モルモン教の戦争

戦争,モルモン書,そして教義と聖約

モルモン教の戦争の政治的な現実についてのコメントは、防御の戦争を正当化することによって主に規定されます。それらはモルモン書や現代の啓示で与えられています。中心的な主張はモロナイ(ニーファイ人の司令官,紀元前72−56年)、預言者モルモン(ニーファイ人の軍の最後の司令官,326−385年),それから1833年にミズーリ州で迫害が山積みされていた時期に教会に与えられた指示(教義と聖約98章参照)の中に見い出せます。 [7]

司令長官モロナイはニーファイ人の主な戦争の目的を表現した旗を掲げます。「我々の神と宗教,自由,平和,妻子のために」。(アルマ46:12)戦争するための政党的な目的が,ここでは防衛という意味で表現されています。モロナイ司令長官は,前線での防御体制,いくつかの市のためには防御の構造物の建設,様々な占領させられた町を奪回するための攻撃隊に軍の主力を運用するなどの工作をしました。

このように彼は,ニーファイ人の自由と土地,妻子,平和を維持する備えをして,彼らが主なる神のために生きることができるように,また敵からクリスチャンの大義と呼ばれているものを保つことができるようにした。(アルマ48:10

ニーファイ人が討たれ始めたのは,彼らの軍隊がレーマン人の所に上って行ったためである。もしそのようにしなければ、レーマン人はニーファイ人を支配する権力を持てなかったであろう。しかし見よ、神の裁きは悪人に下る。そして,悪人によって悪人が罰せられる。人の子らの心をあおり立てて流血を生じさせるのは悪人だからである。(モルモン4:4−5

モロナイはニーファイ人に,敵から自分たちを守るべきであること,「必要であれば血を流してでも敵に対して自衛するように」,しかし「自分からは危害を加えないように,また敵に立ち向かうのでなければ,決して剣を振り上げないように」(アルマ48:14)教えたのです。

そのようにすれば、神は自分たちをこの地で栄えさせてくださると,ニーファイ人は信じていました。言い換えれば,神の戒めを忠実に守るならば,神は自分たちをこの地で栄えさせてくださり,また自分たちの直面する危険に応じて逃れるように,あるいは戦争の準備をするように警告してくださると、彼らは信じていました。(アルマ48:15

ニーファイ人は戦場に行く前に預言者に助言を求めました(アルマ16:5;43:23;3ニーファイ3:19−20参照)そうすることによって,彼らは「神は敵を防ぐためにはどこへ行けばよいかを自分たちに知らせてくださり,その通りにすれば主は自分たちを救ってくださることも,彼らは信じていた。これはモロナイが信じていたことであり,彼は心の中でそのことに誇りを感じていた。すなわち,血を流すことではなく,善を行なうこと,民を守ること,神の戒めを守ること,罪悪に立ち向かうことに誇りを感じていた。」(アルマ48:16

4世紀後に,ニーファイ人は「自分たちの力を誇るようになるとともに,また敵に殺された同胞の血の報復をすると天の前に誓い始めた。」(モルモン3:9)そして,彼らの司令官であったモルモンはその地位を退いたのです。彼らは主が次のように言われていることを思い出すことができませんでした。「報復はわたしのすることである。わたしが報復する。」(モルモン3:15)モルモンは責任感によって再びニーファイ人の軍を率いましたが,彼はニーファイ人の攻撃的で,血に渇いた報復の気持ちは,もっと深くにある堕落の裏返しであり,それが究極的には彼らの没落へと導くことを知っていました。その民が拷問,強姦,奴隷化することなどの野蛮な行為へと陥っていくのを観察してモルモンは嘆きました。「おお,わたしの民は何と堕落したことか。彼らには秩序もなく,情けもない。見よ、わたしはただの人であり,わたしには一人の人間としての力しかない。私はもはや命令を実行させることはできない。」(モロナイ9:18

自己防衛のために武器を取るのであっても,それは恐ろしい選択です。それは神が命じる時にだけ行なうべきことです(教義と聖約98:33)そして「平和の申し出」を3度行なった(教義と聖約98:34−38)後にすべきです。これらの敵に主の名前によって警告することを三度行ない,自分たちや家族に3度も攻撃を受けるのを忍耐強く耐えた者には偉大な報いが約束されます(教義と聖約98:23−27,39−43)「しかしながら,あなたの敵はあなたの手の内にある。そこで、あなたが彼の行ないに応じて彼に報いるならば,あなたは義とされる。もし彼があなたの命をねらい,あなたの命が彼によって危険にさらされるならば、あなたの敵はあなたの手の内にあり,あなたは義とされる。」(教義と聖約98:31) [8]

主はその民にさらに指示をお与えになりました。

見よ、これはわたしの前に義とされるためのすべての民に対する一つの範例である,と主なるあなたがたの神は言う。さらにまた,まことに、わたしはあなたがたに言う。もしあなたの敵が初めてあなたを襲った後,彼が悔い改めて,赦しを請うてあなたのもとに来るならば,あなたは彼を赦して,それをもうあなたの敵に対する証拠としてはならない。二度目も,三度目も同様にしなさい。貴方の敵があなたに対して犯した過ちを悔い改める度に,七の七十倍まで,あなたは彼を赦さなければならない。もし彼があなたに対して過ちを犯し,最初は悔い改めなくても,それでも,あなたは彼を赦さなければならない。もし彼が再度あなたに対して過ちを犯し,悔い改めなくても,それでも,あなたは彼を赦さなければならない。もし彼が三度あなたに対して過ちを犯し,悔い改めなくても,あなたはまた彼を赦さなければならない。しかし,もし彼が四度あなたに対して過ちを犯すならば,あなたは彼を赦すことなく,これらの証拠を主の前にもって来なければならない。彼が悔い改めをして,あなたに対して過ちを犯したすべてのことに関してあなたに四倍報いるまで,それらは消し去られることがないであろう。

もし彼がこれを行なうならば,あなたは真心から彼を赦さなければならない。また,もし彼がこれを行なわなければ,主なるわたしがあなたの敵に百倍の報復をしよう。また,彼の子供たちと,彼の子供たちの子孫,すなわちわたしを憎むすべての者の子孫に,三代,四代に至るまでそうしよう。しかし,その子供たち,あるいはその子供たちの子孫が悔い改めて,彼らの心を尽くし,彼らの勢力と思いとを尽くして主なる神に立ち返り,そして彼らが犯した,あるいは彼らの父が犯した,あるいは彼らの父の先祖が犯したすべての過ちについて四倍返すならば,そのとき、あなたは憤りを解かなければならない。そして,報復はもう彼らに及ぶことはなく,彼らの過ちが彼らに対する証拠として主の前に持ち出されることは決してない,と主なるあなたがたの神は言う。アーメン。(教義と聖約98:38−48)

このように,ミズーリ州での告訴や、預言者ジョセフ・スミスと彼の兄弟ハイラムが殉教した1844年のノーブーでは,教会の立場は厳格に防衛的な立場を取りました。同じように,ユタの遠征隊の軍事的脅威が1857年に起こった際にも,流血が起こらずに収まりました。 [9]

2003年の4月の総大会で,ヒンクレー大管長は、取り立てて戦争と平和の問題について語りました。彼は長い間保持されている見解,「軍務に服する者はそれぞれの政府に対して,その統治権の意向に添って行動するという義務を負っている」との見解を述べ,それは新約聖書の時代の教会のものと同じくらい古い見解です。それと同時に,彼は主の戒めである,「戦争を放棄して,平和を宣言する」という見解を繰返しました。しかし,彼は「自己防衛」は正当化されるとして,直接的な攻撃に対する対応策であると述べ,「家族,自由のために,そして専制,驚異,抑圧に抵抗するものとして,戦う義務があることが事実であるとして,国家が武器を取ることを正当化する時や状況があるのです」と語りました。(大会報告,2003年4月5−6日,81−85ページ) [10]

 

 

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