わたしの三人の子供たちは、小学校と中学校で、フランス語集中プログラムに入っています。先週末、12歳の娘がメールで、「パリについて聞いた?」とメッセージを送ってきました。わたしたちはメールを交わし、彼女が親しみを感じている場所で起きた事件に対し、彼女が混乱していて悲しみを感じていることが分かりました。娘の友達の一人が、娘にメールで「明日学校へ、パリのために黒い服を着ていこう」と送り、皆そうしました。わたしは、娘に「学校でみんなとどんなことを話したの?」と尋ねると、先生が「今日はパリの事件については話さないでおきましょう」と言ったと話しました。
それだけでした。
子どもに教える
わたしは彼らが、惨事、テロリズム、政治、市民としての義務、同情やその他の重要なテーマについて話し合う、せっかくの機会を逃してしまったことにがっかりしました。しかし、わたしは教師にも同情します。彼女には、話し合うのは重すぎると感じたのかもしれません。
わたしが6年生だった時、スペースシャトル・チャレンジャーが発射直後に爆発する事故がありました。それは衝撃的なニュースで、当時の担任教師がコンピューター室にいるわたしたちを呼び、教室に戻って一緒にニュースを見たのを覚えています。先生が、目に見えて取り乱しているのが分かり、わたしは驚いたのを覚えています。当時11歳の頭では、それは悲惨な事故でしたが、遠い出来事のようでした。
ニュースを見て、宇宙へ行った初の教師になるはずであった、クリスタ・マコーリフについて知るにつれ、わたしはそれがどんなに悲しい出来事であり、どのように避けることができたはずであったか、そして、どのように前へ進むべきかなど、事故について処理しようとする、ニュースを見ている多くの人たちの気持ちとつながっていることに気づきました。それは、悲惨な出来事をとおして、悲しみと何かをしたいという望みが入り混じった、自分が世界とつながる初めての経験でした。
先週パリで起きた出来事は、恐ろしい事件でした。テロ襲撃について詳細を読み、聞くにつれ、41歳の頭には少し重すぎる事件だと感じ始めました。わたしは、数時間ニュースから離れなければなりませんでした。多くの人たちと同様に、わたしはパリだけでなく、悲しみ、悲嘆、疑問でわたしたちを結束させ、世界中をつなぐ非常に多くの悲惨な出来事にうんざりしてきました。他にも、同時に起こる災難は多くあります。そしてこれからもあることでしょう。わたしは、次のように自分に問いました。「わたしたちは、役立ち、犠牲者たちに敬意をはらい、助けられるように、しかし同時に、全くの絶望に飲み込まれずにいるには、どのように反応したらよいだろうか」と。
チャレンジャーの事故とパリの事件の間には、もっと多くの出来事がありました。わたしは、それらを覚えています。次は何が起こるのだろうかという病的好奇心を抱きながら、いつどこでそれらのニュースを聞いたか、どう感じたか、どう疑問を感じたかを覚えています。最近、災難が起こると、「これが、これからわたしの子供たちが受け継ぐ世界なのだ。これが、彼らが住む世界なのだ」と思います。しかし、解決策について考える時、全ての提案解決法に対する全ての政治的複雑さについて考えます。そして、一人の母として、「わたしがコントロールできることって何なんだろう」と考えます。いつも考えています。
モルモン教の教えから次のことを学びました。わたしは、恐れずに生きることを選ぶことができます。わたしは、無関心、不安、憎悪の中に立つ代わりに、信仰と愛を持って前へ進むことを選ぶことができます。わたしは、愛することを選択し、世界に安全な場所である家庭環境を築くことができます。そして、わたしの家に入る人すべては、歓迎されていて、愛されていることを感じるでしょう。わたしは、理解していないことのため、そして、わたしよりもはるかに、直接に影響を受けた方々のために祈ることができます。わたしは、情報を得られますし、投票することもできます。価値のある目的のために、時間とお金を捧げることができます。わたしは、いかなる個人的、宗教的、または政治的レッテルにかかわらず、仲間を愛し、仲間のために祈り、仕えることを、子供たちに教えることができます。わたしは、世界に高潔を生み出すことができ、そして、より良いことを待ち望むことができます。
この記事はリサ・クラークによって書かれ、LDSリビングに投稿されていたものです。