最近モルモンは公式ウェブサイト、LDS.orgの1つのセクションに変更を加えました。モルモンもその信仰に興味を持っている人々にも、多くのトピックについてモルモンの信条が何であるのかを見つけ易くしています。

トピックによって学ぶ 、のセクションは非常に長い掲載されていますが,表示の仕方が変わり,議論の的になっているような項目について詳しい説明が加わっています。そのような内容が今後も増えていきます。 メディアは最近の 人種と神権, ジョセフ・スミスの最初の示現についてのいくつかの改作 と 一夫多妻制などについての項目に注目しています。

これらの変更はモルモンの家族がよく話題になる問題について,通常インターネット上で非教会員によって間違って理解されているのですが,扱っています。しばしば,教会を非難しようとしている人によって書かれた記事は不正確で不完全な情報を含んでおり,その問題について知識のないモルモンを混乱させかねません。その新しい情報源はとりわけ青少年には有益です。子供の時からの信仰を新しい方法で評価し始めるからで,幼い子供たちには教えられていないトピックについて学んでいるかもしれないからです。

一般的に,そこの記事の内容は新しいものではありません。それらのトピックについてもう既に深く研究している人は、既にそこにあることを知っているでしょう。ただ,それらのことが一か所に集められたことはなかったのです。そこに書かれた記事は教会内部の資料だけでなく、外部からも集められているのです。宗教に関する学者が、研究や記事をまとめるときに協力するように招かれています。このサイトによって教会の会員の間にある文化的な作り話を明らかにして,彼らが知っている話は個人の類推であって,正式な教義ではないことを説明しています。

新しい資料はとりわけ青少年には利益になります。教会は新しい青少年に対するプログラムを打ち出して,それによって自分の疑問についての答えを追求するように青少年に教え,彼らが単に答えを与えられるままになることを乗り越えられるようにしています。彼らのクラスでは,疑問が出されて,先生の助けのもとで様々な信頼できる源から答えを見つけられるようにしています。彼らは一般的に小さなグループに分かれて研究し,それから自分の学んだことを教え合うので、先生の話をただ聞くのではありません。先生は議論の進行係の役割を果たします。目的としているのは、彼らが疑問を見つけられることにおいて自立するようにすることです。「トピック毎に学ぶ」のページにある記事には追加の参照資料が載せられているので,青少年のプログラムについては先生と生徒にとって貴重な資料になります。

多妻結婚についての記事には,その実施は最初のモルモンの預言者であるジョセフ・スミスに対する啓示として与えられたことに始まると説明されています。わたしたちはいつも神がなぜ物事をするように命じられるのかを知りませんが,その記事によると、いくつかの可能性が示唆されています。モルモンの人口を自活できるレベルに早く上げたかったこと,そして確かにそれが実現しました。そしてその記事ではいくつかの背景が述べられています。初期のモルモンの間にどのように実施されたのか,女性たちはどのようにそのことを受けとめたのか,もしそのような結婚が行なわれなければ、どんなことが起こったのかについて説明されています。そこには問題が起こったことも述べられており,しかし特定の利益もあったことも触れています。ほとんどすべての結婚を願望する女性の望みが叶えられました。多くの多文化間の結婚があり,移民してきた女性たちが地域社会により早く馴染むことができ,言語や文化を習得しました。その記事にはまたその実施が比較的少数の物たちの間でなされただけで,誰もがそうすることを要求されたのではなく,たいていの男性は2人より多くの妻を持つことはありませんでした。さらにその記事には,1904年前に何人かの教会員が法律に逆らって多妻結婚を継続したことにも触れています。その時点ではあらゆる多妻結婚は禁じられていました。今日,多妻結婚を実施するモルモンは破門になり,それが法律で認められている地域でも同じです。

「最初の示現」のいくつかの版についての記事は,ジョセフ・スミスの示現が1820年に起こりましたが,それはジョセフが14歳の時でした。彼はどの教会に加わるべきかの結論で悩んでいました。どの教会が真実なのか自分では決めかねていました。新約聖書の欽定訳のヤコブ1:5を読んだ後,それが神に知恵を求めて祈ることができると書かれていたので,彼は祈ることを決心しました。答えを求めて森の中に入って行って祈り,神とイエス・キリストの訪れを受けました。神はその息子を紹介して,その救い主はジョセフにどの教会にも加わらないように,それは完全な福音がまだ地上にはないことを理由に挙げられました。後になって,彼が若い成人になった時、イエス・キリストの福音を回復する最初の預言者として神によって召されました。

多くの人たちは,教会はこの示現にはいくつもの改作があることを隠していると主張してきました。事実,このことについての情報は長い間教会員には入手可能でした。彼らが教会歴史のクラスをとる時、大学生にはこのトピックについての資料が渡され,そのマニュアルはオンラインで,無料で見ることができます。モルモン教会所有のブリガム・ヤング大学の教会歴史の教授が教会の成人向けの月刊誌に,1985年にこの出来事の分析を書いています。(ミルトン・V・バックマン・ジュニア,「ジョセフ・スミスの最初の示現についての述懐」,エンサイン,1982年1月参照)一つの記事が1970年の教会の雑誌に現れました。その雑誌は今日もう廃刊になっています。事実,多くの記事がこの様々な改作について議論していて,教会員の目にすることができる形で出版されてきました。

このサイトの新しい記事はいくつかの改作の一つ一つについて,ジョセフによって語られたいくつかと,それから彼を知る人々からの間接的な報告から由来するいくつかの改作の両方について概略しています。それぞれにはその背景が説明されていて,読者がその報告を取り巻く状況を理解できるようになっています。その記事は外部の人がその報告を無効なものと見なす根拠が実直にリストされていて,それから,それらの報告を支持するような議論を説明しています。その記事はさらに研究するための参考資料のリストがあり,モルモンによって出版された本もそれに含まれています。

3つ目の記事は人種と神権についての問題を概括しています。それには教会の構造が,いかに会衆が多様であることを励まし,今日においてはどの人種にも神権が付与されることを強調しています。ジョセフ・スミスのもとでは黒人が神権を受けていましたが,ブリガム・ヤングは教会の大管長であったときにそれを中止しました。神権と神殿での権利は1978年にスペンサー・W・キンボールのもとで回復されました。教会の会員の中には個人的な理論を創り出して、なぜ禁止が起こったかを説明する者があり,その中には教会員の間でよく知られるようになったものもありますが,たいていはプロテスタントとモルモニズムに改宗する前の文化的伝統に基づくもので,そしてそれらは決して教会の公の教義になっていませんでした。

この記事はこれらの誤った理論を評価し,この禁止についての歴史についても評価しています。

「今日,教会は過去に取り沙汰された次のような見解を否定しています。すなわち,黒い皮膚は神の忌み嫌うもの,のろいであるとか,それが前世の行為を反映するのであるとか,異人種間の結婚は罪であるとき,黒人ないしはその他いかなる人種や民族がいかなる点においてもほかの人たちより劣っているとかいう考えです。」 (人種と神権).

これらの記事はそれまであちこちに分散されてきた情報を集め,新たな学問的な視点を導入してそれらの問題点についての簡略に解説し,モルモンも非教会員も研究の資料がさらに見つかるように配慮しています。これらのものは、モルモニズムについて信頼のおける情報を探し求める人たちにとって,もう既に非常に情報が豊かにまとめられているこのウエッブサイトに加えられた貴重な資料です。

まとめ

記事のタイトル:モルモンは教義のトピックについてのページに大事な変更を加えている

著者:テリー・リン・ビトナー

要旨:LDS.orgのトピックに加えられた新たな変更はモルモンの信条についての議論の対象になり,複雑な教義の問題を明確化している。