息子と離れてから1年後、わたしは、古代イタリアの広場をさっそうと歩く伝道中の我が子と再会しました。息子に駆け寄り彼の肩をつかむと、決して言うつもりのなかった言葉がわたしの口からこぼれ出ました。
「帰ってきて。帰ってきて。帰ってきて」と、わたしはささやきました。
息子は、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として奉仕していました。
想像以上に、わたしは息子に会えないことを寂しく思っていました。モルモン教ではない母親のわたしは、末息子が自分の人生を犠牲にしてまで、2年間、孤独と向き合い、ほぼ休みなく働き、毎日のように侮辱され、救いのメッセージにまったく興味のない人々に出会うであろうに、それでもなぜ伝道に出たいと思うのか理解できませんでした。わたしも、別の宗教を信仰する身でありながらも、このコミットメントは不可解でした。
新しい教会を探し求める
ハリーは、かなり多くのさまざまなキリスト教に触れながら育ちました。彼の父親のマイケルとわたしはカトリック信者でしたが、後にわたしたちはふたりとも別の教会に移りました。 ハリーが子供のころから、彼とわたしは無宗派の教会、新生集会、福音主義の長老教会に集いました。そして後に、わたしの再婚相手であり、ハリーの継父であるチャックとともにメソジスト教会に通い出しました。
ハリーが中学生のときに、彼は活発で大きな青年部のある長老教会に戻りました。しかし高校生になると、ハリーは、強い信仰があると主張している多くの仲間たちの週末の矛盾した行動に納得できなくなりました。高校2年生のときに、彼はわたしに別の教会を探したいと言いました。
昔から知っているサッカーの友達をとおして、ハリーは、末日聖徒イエス・キリスト教会の仲間とつき合い始めると、友達のカーツの教会を訪問する機会が増えていきました。ハリーが週末に泊まりで教会の若い男性のリトリート(日頃の喧騒から離れ、祈りや瞑想をしながら福音を学び、指導者からお話を聞く活動)に行ってもいいかと尋ねるまで、チャックとわたしは何も気にとめていませんでした。わたしたちは驚くとともに、少し面白いとも思い承諾しました。
その週末後、ハリーはわたしたちに、末日聖徒イエス・キリスト教会について真面目に学びたいと話しました。「宣教師からレッスンを受けるには、親の許可が必要で、ビショップが両親と話したいと言ってるんだけどいいかな?」と聞きました。わたしは、この教会についてまったく何も知りませんでしたので、ビショップの訪問を歓迎しました。
ビショップの訪問のときに、わたしは彼に「もしハリーが末日聖徒になったら、家族はバラバラになるでしょうか?ハリーは、わたしたちよりも自分は良いキリスト教徒だと思うようになるのでしょうか?」と尋ねずにはいられませんでした。
するとビショップは次のように説明してくれました。「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になることにより、ハリーはもっと良い息子になり、家族ともっと仲良くなるはずです。」
わたしは、「では伝道はどうですか?伝道中に、両親と話すことはできないというのは本当ですか?」と聞きました。
「この教会の多くの青年は伝道に出ますが、強制ではありません」とビショップは答えました。
わたしは、末日聖徒がタバコやお酒をやらず、結婚前の純潔を守るといった厳しい道徳律は素晴らしいと感じましたが、伝道には不安が残りました。
まもなくして、ふたりの素晴らしい宣教師がハリーにレッスンを教え始め、わたしは興味をそそさられました。レッスンは形式ばっておらず、気まずさを感じるような題材はまったくありませんでした。ハリーのバプテスマのために、教会は多くのさまざまな宗派の家族や友人で埋めつくされました。
わたしは、ハリーがバプテスマを受ける選択をしたことをますます嬉しく思いました。息子は、自分の部屋と心にキリストを飾り、お酒に傾くことなく、素晴らしい友達を作り、高校生活を終えることができました。とはいうものの、彼はまだ普通の10代の若者であり、車を運転するときはスピードを出しすぎたり、長電話をしたり、ときに口答えすることもありました。わたしが、「良いモルモンの男子だったら、そんなことはしないと思うけど」と言うと、息子はしかめっ面をしたものです。