カウンセリングを受ける
カウンセリングを受けることが役に立つと思うのであれば、注意を払い祈りを持って決断しましょう。ビショップの助言はとても大きな平安と助けとなるかもしれません。ある姉妹は、彼女のビショップの、伴侶の決断に関する問題にばかり注意を向けるのでなく、今彼女自身の霊性を高めるために何ができるかにより集中するようにという助言がすべてを変えたと語ります。「彼の助言に従うことで、現在の状況を絶望的ではなく希望的に見ることができるようになりました。」プロフェッショナル・セラピストもまた、悲しみのステップを進む中で伴侶とのコミュニケーションを改善するには素晴らしい助けとなるでしょう。専門的な助けを求める場合は、セラピストについて事前に調べましょう。偏見のなさそうに見えるセラピストでも、略歴やブログを見てみるとその人の価値基準や立場の中に、あなた自身のそれと大いに対立するものが見つかるかもしれません。カウンセラーと初めて合うときには、状況を説明し、その人がその問題について適切なカウンセラーであることを、質問を通して見極めてください。正しい助けを得られれば、あなたの目の前にある試練を乗り越えるための強い道具を得ることができるでしょう。
伴侶の特質を前向きにとらえ感謝する
状況的には、伴侶の特質を後ろ向きに捉えることに必要以上に集中してしまいがちだとしても、良いことを探すことで伴侶と、そしてあなたたちの結婚生活に休憩を与えましょう。あなたの伴侶は、とても勤勉で良い供給者かもしれませんし、クリエイティブだったり、要領がよかったり、やりくりが上手だったり、もしくはそのすべてかもしれません。または、他人に耳を傾けさせたり楽しむことが上手な人かもしれません。
どれにしても、伴侶にあなたがそれらの素晴らしい特質と、それがほかの人やあなたを祝福していることに感謝していると伝えて下さい。洗面所の鏡や伴侶の枕の上にメモを残すのもいいかもしれません。伴侶がそれを見た時に微笑むようなことならなんでもいいのです。子供がいるなら、子供たちに伴侶のどんなところが好きかを伝えましょう。教会の会員ステータスに関わらず、子どもたちは親の一人がもう一人の親について感謝していると聞くことで力強くなるのです。
共通点に集中する
伴侶との最も大事な共通点の一つが失われてしまったとしても、まだふたりに共通することを探しそれに集中することでとても良い影響が得られます。子どもたちへの愛や、社会へ貢献したいという気持ちなどがその例です。ある姉妹は、ご主人が家族のモルモン書勉強には参加しなくなっても、新約聖書の勉強には参加してくれると話しました。他の姉妹は、山が大好きなところがご主人との共通点で、ふたりで山々をドライブするのがとても好きだと説明します。あなたが伴侶と分かち合えること、一緒にできることをリストにしてひとつひとつやっていけば、やがてふたりはポジティブな思い出で満たされていくでしょう。
あなたの生き方で証を示す
伴侶が教会を離れてからも、オープンに信仰や証を分かち合える夫婦もいます。しかし、それが全くできなくなってしまう夫婦もいます。どちらにしても、あなたが示せる一番強い証はあなたの行動、そして信仰に基づいた生活を通して通じるものです。毎日の生活のなかで、親切な話し方や慈愛を持って伴侶や子供たちに接するように心がけ、家庭、教会、そして社会において奉仕をすることを続けてください。同時に、完璧に良い模範を示さなければならないと気負い過ぎないように気をつけましょう。結局、福音のなかで最も大切な原則のひとつは悔い改めなのですから。わたしたちは誰でも失敗します。自分自身が失敗することを許してあげましょう。主はあなたの努力をよくご存知です。彼はあなたの努力をとって増やし、あなたと、あなたの伴侶を含む他のひとを祝福することに使ってくださるでしょう。
教訓と成長を享受する
いくらかの人たちは、こう言うかも知れません。「試練なら歓迎!教訓と成長を受け入れる準備はできています。」たとえ自分が準備のできていない時に来た避けられない試練でも、その教訓と成長の可能性を心から受け入れることでわたしたちはとても多くを得ることができます。これらのことを経験したことのある人達と話をする中で、彼らはわたしに、それらの試練から受けた益について分かち合ってくれました。彼らの伴侶や他の人に対する忍耐が増し加えられ、より深く慈愛と柔和な心を持って苦しんでいる人に接することができるようになり、試練の中にも喜びがあることを知り、そしてなにより自分の証を当たり前のものと思ってないがしろにしてはいけないということなどです。三人の子供の母親であるレイチェルは、試練から与えられる教訓と成長の機会を享受することを助けてくれたのは、数年前に彼女が見たジェームズ・E・ファウスト長老の妻であるルースに対するインタビューのビデオだったといいます。ファウスト姉妹は、娘からどうしてそんなにいつも一生懸命働くのかと聞かれ、こう答えたと言います。「ママはあなたのパパに頼りきって天国に入るつもりはないのよ」レイチェルは、「この言葉は常にわたしの頭にありました」と言っています。「そして今のわたしにとってはぴったりの言葉です。」困難な時期から得られる贈り物を享受することで、この先に続く旅に必要な力と光を受け取る最高の機会を得ることができます。
現実と希望のバランスを取る
伴侶が信仰を失ってしまうという状況を経験した人の多くは、伴侶が教会を去ることなど想像もしなかったし、考えられる中で最もつらい試練のひとつであると話します。圧倒的な悲しみに屈服し、希望を失ってしまうという人もいますし、永遠の結婚と永遠の進歩というコンセプトがもはや意味を成さない未来を想像することの辛さを語る人もいます。
彼らは、心の痛みと共に教会や神殿に一人で行くことを考えるときに希望を持てずにいる気持ち、そして子どもたちを福音の中で育てようと努力するときに伴侶がその一部にいないことに対しても同様の気持ちを話します。それでも、これらの人たちは、時に厳しくも思える現実と希望のバランスを取ろうと探し求めています。
ある姉妹はこう言います。「終わりまでは、本当に終わることはないのです。神は素晴らしい軌跡を行うことができます。」彼女はこういった奇跡を待ち望むと同時に、毎日を伴侶が教会に戻ってくるようにと期待するだけに費やしたりはしません。「このような状況での一番大きな希望は多分、主が物事をどうにか働くようにしてくださるということでしょう。」と彼女は言います。あなたがあなた自身にあげられる最高のギフトの一つは、この人生とこの後の人生での可能性にオープンで居続けることなのかもしれません。
愛を選ぶ
伴侶が信仰を捨てたとき、その苦い感情とネガティブな思いは迅速にあなたを襲うことでしょう。しかしながら、それよりも力強い選択もできます。それは、それらの感情を意識的に、そして積極的に愛するという選択です。ある姉妹は、裁きたいという感情を捨てたとき、より強く自由に愛することができるようになったと言います。「救い主はわたしの伴侶をどのように見て、どう感じるだろう?彼または彼女を今日愛するために、主はわたしに何をさせるだろう?」という質問についてよく考えてみてください。それに対して受ける答えによって行動を起こすことで、間違いを犯すことはまずないでしょう。
心を開いて愛することがまだ簡単にできないのであれば、モルモン書で与えられているこの助言について考えて見てください。「したがって、わたしの愛する同胞よ、あなたがたは、御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように、また神の子となれるように、熱意を込めて御父に祈りなさい。(モロナイ7:48)」
より深くあなたの伴侶を愛するために、あなたには何ができるでしょうか?彼らを許すことはどうでしょう?許しと増し加えられる愛はすぐに手に入るものではないかもしれませんが、熱心な、祈りの気持ちでの努力によって、それらは与えられます。そしてその許しと愛が与えられた時は、それらはあなたが結婚生活と信仰生活を過ごしていく中で、あなたの重荷を信じられないほど軽くしてくれるでしょう。
この記事はDebra Sansing Woodsによって書かれ、ldsliving.comに”When a Spouse Loses Their Faith“の題名で投稿されました。
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