2008年の10月の総大会からモンソン大管長のお話「人生の旅路に喜びを見い出す」で紹介されていたボーグヒルド・ダールという人の話を紹介します。そこからわたしは自分が母としての試練をどのような態度で乗り越えるべきかを学ぶことができました。
試練ではなく祝福に目を向ける
1890年にボーグヒルド・ダールは生まれ、幼い頃から重度の視覚障害に苦しみました。しかしハンディキャップがありながら、彼女は周りの忠告を無視して色々なことに挑戦し、大学にも進学し学士号を取得しました。最終的に彼女は全部で8つの学校の校長を務めました。そして彼女が50歳を超えた頃、医療の進歩により長年奪われていた視力がかなり回復したのです。飛ぶ鳥や流し台で光を受けて輝く泡、毎晩見る月の満ち欠けなど、だれもが当たり前だと考えるような小さなことを見てとても喜びました。
彼女の人生は視力が回復する前も後も受けた祝福への感謝で満ちていました。彼女には感謝の心があったので、試練の中にあっても祝福を見いだし、豊かに生きることができたのです。そしてモンソン大管長はある作家を引用しました。
「豊かさと貧しさは、並行する現実として人生に同時に存在している。心の中にあるどちらの庭に目を向けるかは、常に本人が意識して選ぶのだ。……人生に足りないものにとらわれないという選択をし、例えば、愛、健康、家族、友人、仕事、美しい自然、〔幸福〕をもたらす事柄を追求することなど、豊かにあるものに目を向けて感謝するなら、自分の幻想が作り出した荒れ地は消え去り、地上の天国を味わうことができる。」
わたしは受けている祝福や小さなことに意識的に目を向け感謝できているだろうかと考えました。ダールのように受けている祝福や小さなことに意識的に目を向け感謝できているだろうかと。
慣れない地での生活、母としての試練
アメリカに来てからこれまで以上に自分の無力さにガッカリしてきました。遠く離れた家族や友人のことを考えると、孤独を感じる時があります。旦那の仕事が危うい時に、わたしは一体何ができのだろう、どうしたら家族を守れるんだろうと考えては祈ることしかできないという答えにたどり着き、落ち込みました。アメリカで働ける特別な能力もなければ 子育てをしながら他のことをこなす自信もなかったのです。仕事をばりばりしてる人がいたり、学業を頑張っている人がいたりする中で わたしは子育てをするという選択をし、良い母親になるためにいろいろなことにチャレンジしてきたつもりでしたが、試練があるごとにサタンはわたしの心の弱い部分をグサグサと荒らしてきます。汚いオムツを1日に何度も替え、何回履き替えしても何度も汚れる服、片付けても片付けても散らかる部屋、娘のために頭をひねって作っても食べてくれない夕飯、わたしのやっていることは意味あることなのか、一体自分の価値はあるのかと悩みます。
モンソン大管長は説教の中でこう言っています。
「今、子育て中の皆さんは、きれいに磨いたばかりの家具に付いた小さな指紋や、家中に散らかったおもちゃ、畳んだ端から崩されていく山のような洗濯物、こういった光景があっという間になくなってしまい、意外にもそのことに大きな寂しさを感じるようになるでしょう。そのことを心に留めてください。」
多少家が汚くても、それが一時的であってそれさえも幸せなことであること、夕飯が質素であっても、洗濯が山積みになっていたとしても家族にとって自分がどれほど必要であるか、どれほど価値があるかを気づかされました。母親業に失敗しているのではないかという気持ちから感謝を忘れるのではなく、この状況の中に感じる喜びを見出すことによって180度違った人生になります。
意識を変える
この言葉を聞いてからわたしは意識を変えるようにしました。
非日常のように思える美しく整った家とスタイル抜群な母親の写真で溢れかえるSNSを閉じ、携帯を伏せ、自分の幻想と理想を捨て去り娘とそして自分のことと思い切り向き合う1日とそうでない1日の差をはっきりと感じました。母親として妻として一番何が重要なのかを感じ始めました。ピッカッピカに磨かれたお家でもなければ、着飾った自分の姿でもなければ、ものすごい豪華なお料理でもなかったのです。洗濯を畳んではグシャーっと崩されながらも一緒にクローゼットにしまって楽しめる余裕ができました。形がゆがんだパンが出来上がっても笑って一緒に食べられる幸せを感じました。ゴミの落ちた床をものすごい時間がかかる小さな口のバキュームで一緒に掃除をする楽しさを感じました。泣いてつきまとってくる娘に対してイライラするかわりに、彼女がどれだけ母親を今必要としているかを考えるようになりました。意識を少し変えることで、これだけの喜びがうまれ、1日の最後には感謝の祈りで溢れることになったのです。全く同じことをこなす日でも、感謝する日としない日では大違いです。全く同じ試練を乗り越えなくてはいけなくても、祝福を数えあげるのと そうしないのでは大違いです。人生を振り返った時にどの苦しい時期であっても、感謝と喜びで満ち溢れた人生であったと言える人生を送りたいなと感じました。
福音によって、
最後にモンソン大管長の言葉で終わりたいと思います。
「この人生を大切にしましょう。人生の旅路に喜びを見いだし、友と家族に愛を示しましょう。いつの日か、明日は底を突くのですから。」
これはスチュアート幸代さんによって書かれたものです。