ある日、一人の女性がわたしを訪ねてきました。わたしは結婚というテーマでお話をしたばかりでした。彼女は、わたしがある話を分かち合ってくれたことへの感謝を伝えにきたのです。その話を聞いたことで、彼女は離婚をやめて結婚生活を続けると決めたと言うのです。あなたも聞いたことがあるかもしれません。それはダイヤモンドを発掘し、大金持ちになろうとした一人の男について書かれた「ダイヤモンドを探せ」という話です。

インドを流れるインダス川の近くにある、ゴルコンダというダイヤモンド鉱山を知っていますか?その鉱山からいくつかの世界で最も大きく、すばらしいダイヤモンドが発掘されました。英国やロシアで王冠に使われたものも、この鉱山で発掘されたものです。プロテスタント派の牧師であったラッセル・ハーマン・コンウェルが、世界中を旅しながら「ダイヤモンドを探せ」という有名な説教をしたことで、この鉱山が発見されたエピソードは有名になりました。コンウェルはアメリカと海外各地で6,000回以上もその説教をして7億ドル(約7億7千万円)もの資金を調達し、1880年代にはフィラデルフィアにテンプル大学を設立しました。

ダイヤモンドを求めたアリという男

1988年11月、わたしはある集会に出席するためにフィラデルフィアを訪れました。当時12歳だった息子のジェイソンも連れて行きました。ある日の午後、わたしとジェイソンはテンプル大学を訪問することにしました。そして大学構内のブックセンターへ行き、正式版の「ダイヤモンドを探せ」を買おうとしました。店員は「Acres of Diamonds: A Man, a Lecture, a University」という、テンプル大学の歴史とその設立者ラッセル・H・コンウェルについて書かれた小冊子をくれました。

コンウェルによると、インダス川の近くに住んでいた農家のアリ・ハフェドという人は、人々がダイヤモンドを発掘して裕福になっていると耳にしたそうです。アリは農場を売り、妻と子どもを置いてダイヤモンドを発掘しに出かけました。彼はパレスチナまで旅に出て、ヨーロッパ中を放浪し、惨めな貧困の中、ついにスペイン・バルセロナで死にました。アリ・ハフェドの農場を買い取った人は、農場にはダイヤモンドがたくさん埋まっていたことを後で知りました。何ヘクタールにもわたってダイヤモンドがあり、その人は裕福になりました。その後、もとはアリ・ハフェドが所有していた土地にゴルコンダ・ダイヤモンド鉱山が設立されました。

アリが住んでいた場所に留まり、荒れた地でダイヤモンドを見つける方法を学んでいたら、彼は世界一裕福な人間の一人になっていたでしょう。しかしアリは、家や農場、そして家族を手放し、ほかの地で富を探し求めました。

「ダイヤモンドを探せ」に隠された、結婚に関する霊的な教え

わたしはこの話をするのが好きです。霊的なメッセージが込められていると感じるからです。何を家に残して、俗世のものを手に入れようとしているか考えることがよくあります。この記事を読んでいる人の中で、何人が結婚や家族という「何ヘクタールにもおよぶダイヤモンド」を離れ、その他のものを追求したことがあるでしょうか。アリ・ハフェドのように、幸福や富はいつもどこか他の場所で見つかると思っている人が多すぎるのではないでしょうか。ラッセル・H・コンウェルが聴衆にこの話をするとき、自分がいる場所に留まり、自分の周りで成功と富を探すよう勧めました。そして多くの人がその勧告に従いました。

古代そして現代の聖典には「ダイヤモンドを探せ」のテーマと関係する興味深い訓戒が書かれています。わたしたちは俗世のものを求めて、どんな霊的なものを捨ててしまうでしょうか。イエスはこう尋ねました。「人が全世界をもうけても、自分の命(もしくは伴侶や家族)を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」(マルコ8:36-37)そして、わたしたちは福音の原則や聖約に忠実でいることで、こんな約束を受けています。「また、わたしを受け入れる者は、わたしの父を受け入れる。そして、わたしの父を受け入れる者は、わたしの父の王国を受けるのである。それゆえ。わたしの父が持っておられるすべてが、彼に与えられるであろう。」(教義と聖約84:37-38;イタリック体付加)

わたしたちはそれぞれ自分の「何エーカーものダイヤモンド」をよく評価するべきです。この話から3つの基本的な霊的な教えを学ぶことができます。(1):ほとんどの人は現在の配偶者との生活に平安、満足感、そして幸福を見出せると信じています。(2):アリ・ハフェドの話から学び、与えられているものを知り、今いる場所を離れることによって失うものを知ることです。何エーカーものダイヤモンドを置いて行くことになるかもしれません。(3):わたしたちは荒地にある、カットされ磨かれる前のダイヤモンドを認識する方法を学ぶべきです。

この最後の教えが、記事冒頭の女性がわたしに会いに来た理由でした。わたしは「すべての人にはまだ気づかれていない霊的な素質がある」と話しました。人の価値はまさしく大いなるものです(教義と聖約18:10参照)。自分や伴侶、子供たちなど、すべての人はイエス・キリストが地上に来られ、命を犠牲にしてくださるほど大切な存在なのです。わたしたちは主から見てそれほどの価値があるのです。しかし、日々の平凡な暮らしの中で、もしくは辛く苦しい経験の中で、それぞれがまだカットされず磨かれていないダイヤモンドであることを忘れてしまいがちです。それでも苦労や努力を経て、それぞれの霊的なすばらしさを発掘することができるかもしれません。

1832年3月に、主はこう約束されました。「まことに、まことに、わたし​は​あなたがた​に​言う。あなたがた​は​幼い子供で​あり、父​が​どれ​ほど​の大いなる​祝福を​御手の中に持って​いて、あなたがた​の​ため​に​備えて​おられる​か​を​まだ​理解して​いない。あなたがた​は、今は​すべて​の​こと​に​耐える​こと​は​できない。しかし、元気を出し​なさい。わたし​が​あなたがた​を​導いて​行く​から​で​ある。王国は​あなたがた​の​もの​で​あり、その​祝福​も​あなたがた​の​もの​で​あり、また​永遠の富​も​あなたがた​の​もの​で​ある。」(教義と聖約78:17-18;イタリック体付加)

 

この記事はもともとBrent A. Barlowによって書かれ、ldsliving.comに”The Story That Saved One LDS Couple’s Marriage and What It Can Teach Us About Appreciating Our Own” の題名で投稿されました。