正直に言いましょう。どの日曜学校(教会で日曜日に行われる聖典勉強のクラス)のレッスンも等しく教えられているわけではありません。あるものは考えを刺激し,何週間も頭に残りますが,不満に感じられるのもあります。
ボランティアといつも代わる「牧師」の教会の中で,一定の教師を他の教師より親しみを持って感じます。ある人たちは他の人たちと違う風に共鳴し合います。自分がレッスンに出ていて退屈する時に,隣の人がうっとりして聞き入っているということがあります。レッスンに引き込まれるのは素晴らしい経験で,先生が物事を説明することが実にしっくり来ることがありますが,どうしたらどのようなレッスンやお話からも,一番価値あることを学べるでしょうか。
積極的に自分の参加の仕方や,期待している事を調整することによって,どのような日曜学校のレッスンからでも最高のものを得ることができます。レッスンに耳を傾ける時に,より積極的で益のある学びの経験をわたしたちの一人一人に対してもたらしてくれる質問を自問する方法があります。
このレッスンは誰のために意図されているか?
先生が語っていることやその言い方が自分には完全にはしっくり来なくても,そのことはだれかがまさしく聞く必要があることかも知れないと覚えておくことは助けになります。
先生が,自分とは対立した意見を言っても、多分その基になっている原則は同じです。特別なトピックについて,しばしば様々な角度から捉えることができるのです。その先生はその中の一つを強調しているのかもしれませんが,そのほかの見方を否定しているわけではないということです。しばしば,先生に対する批判を少し控え,大目に見ることが助けになります。
この記事はサラ・アレンがLDS Livingに投稿したものです。
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