この記事は、知恵の言葉を理解するシリーズの一部です。

 

先週の「知恵の言葉を理解する」で、世界保健機関の重要な発表についての考えを述べました。世界保健機構は、その証明する 説得力と特質に基づいて、明らかに加工肉はがんの原因となり、赤身の肉も同様にがんの原因になり得ると結論付けました。(Meat Causes Cancerを参照。)予想されたように、この記事に対して、多くの否定的な反応がありました。人々は、自分の好きな食べ物について、悪いうわさを聞きたくないものです。もちろん、証明を無視しようが正当化しようが、それは人の自由です。悲しむべきことに、たばこが最終的に発がん性物質であると発表されたときも、まったく同じでした。

わたしは、肉が発がん性物質である事実により、人々の食習慣が変わることを期待しているのでしょうか?それどころか、わたしは、多くの人の食生活は、今までと変わらないだろうことを理解しています。なぜ自信を持ってそう言えるのでしょうか?たばこががんの原因になると初めて立証された時に、たばこを吸うのをやめられるかどうかを喫煙家に尋ねました。喫煙家たちはたばこをやめられたのでしょうか?いいえできませんでした。「たばこが好き」だからです。それは、事実を無視したり、正当化するに十分な理由でした。

今日、わたしは違う質問をしてみたいと思います:わたしたちが摂取する食物について、主に勧告を求めるのは、賢いことでしょうか?

 

わたしたちの体は神殿である

だれも、美しいモルモン教神殿の床に、ごみを捨てる人はいないでしょう。考えただけで、悲しくなります。わたしたちは神殿を愛し、主の家であるので、文字どおり主の宮居として扱います。しかし、主の御霊が常に宿るように守るべきものは、これらの神聖な建物だけではありません。新約聖書で、パウロは次のように言っています。

あなたがたは知らないのか?自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。(1コリント6:19-20)

美しいモルモン教の神殿にごみを捨てる人は誰もいませんが、わたしたちの体の神殿には、ごみや不健全な物質を取り入れても、気にしない人が多すぎます。なぜでしょうか?自分の体は、自分が所有していて、自分のしたいようにする権利があると思うからでしょうか?

しかし使徒パウロは、わたしたちの体は、自分自身のものではなく、自分のしたいようにするものではないと教えています。パウロは、わたしたちの体は神から与えられたものであり、さらに、わたしたちは「代価を払って買いとられた」と教えています。なんと高い代価を払われたことでしょう!パウロは、わたしたちは、「自分のからだをもって、(霊においても)神の栄光をあらわしなさい」と結んでいます。(1コリント 6:19-20)。

神の栄光をあらわすには、わたしたちの神殿である体に、どのような食べ物を採り入れればいいのでしょうか?

 

神殿推薦状

わたしたちの愛する末日聖徒の神殿は、神聖なので、神権指導者から推薦される人だけが、参入することができます。神殿推薦状を得るには、教会の指導者と面接をし、いくつかの質問をされます。その質問により、主の前に立つにふさわしいかどうか評価され、神殿での奉仕のために、わたしたちを推薦するかどうか決められます。

わたしたちが、主の宮居に参入するときに、神殿職員は推薦状が認められたものであるかどうかを、注意深く確認します。もし推薦状が適切に処理されていなかったり、1日でも期限が切れていた場合、神殿に入ることは許可されません。

最近あったことですが、神殿の扉を開け、フロントデスクまで行った時に、わたしは神殿推薦状を持っていないことに気づきました。フロントデスクの神権者が同じワードの友達であり隣人であり、プロボ神殿に毎週火曜日に参入するときに、毎回フロントデスクであいさつを交わしていた人だったので、彼はわたしが神殿推薦状を持っていることを知っていました。しかし、友達であっても、適切な手続きをしないで、神殿に入れてもらえることはできないことを、わたしは知っていました。彼は、主の神聖な宮居をとても大切に思っているため、推薦状なしにわたしを入れることはできません。

その日わたしは、神殿で奉仕する機会をあきらめ、帰ろうとしました。しかし、この親切な神殿職員は、神殿の手順に従って、有効な神殿推薦状をもっていることを証明するために、わたしたちのビショップに電話をしてくれました。これには、時間がかかりましたが、不平不満を言ったり、急ごうとする人はいませんでした。わたしたちは、適切な手順に従うことは、他の判断よりももっと重要であることを知っていました。

推薦状なしに、末日聖徒の神殿に参入できる人は誰もいません。たとえそれが、社交的に気まずいことであったり、不親切に思えてもです。ある判断は、なによりももっと重要だということなのです。

 

わたしたちが食べる食物のために、推薦状を求めるのはどうでしょうか?

わたしたちの神殿である体に、何を入れるかどれくらい気をつけていますか?わたしたちの口に入る食べ物も、推薦状があるかどうか確認するのは、道理にかなっているでしょうか?もし、わたしたちの神殿である体のために、特に主が薦める食べ物を食べ、適切な推薦がない食べ物を全て受け入れなかったらどうでしょうか?

知恵の言葉が収められている、教義と聖約89は、わたしたちの体にとってよい食べ物とよくない食べ物について、具体的に説明されている文書です。明らかに、わたしたちは、主が具体的に採らないように言われる、アルコール、タバコ、コーヒーやお茶を含む、いかなるものも神殿であるわたしたちの体に、入れるべきではありません。他の食べ物はどうでしょうか?神殿推薦状の時の面接で聞かれる質問のように、教義と聖約89章の聖句を使って、わたしたちが食べようとしているその食べ物がテストに「合格」し、神殿であるわたしたちの体に入るのにふさわしいかどうか、質問することができます。

植物性食物には、次のような質問ができるでしょう:

  • 健康によいものでしょうか?
  • 「季節のもの」でしょうか?
  • これを食べるのは、賢明なことでしょうか?
  • 感謝をもって食べられるでしょうか?

肉には、次のように問うことができます:

  • 控えめに用いているでしょうか?
  • 冬季や寒いときや飢饉のときでしょうか?
  • 飢えの甚だしいときでしょうか?
  • 感謝をもって食べれるでしょうか?

 

知恵の言葉で、具体的に言及されていない食べ物はどうでしょうか?

教義と聖約89章の原則は、多くの種類の食べ物に及んでいますが、特に言及されていない食べ物もあります。どの食べ物は言及されておらず、どのようにこの食べ物は主が薦められるものかどうかを、知ることができるでしょうか?

世界中の食べ物は、植物性食物と動物性食物と、大きく2つに分けることができます。主は、この2つについて教義と聖約89章で次のように言われています:

植物性食物

主は、すべての「健康に良い」植物を「人間の体質、体力、利用」のために定められました。これは、全部ではありませんが、果物、野菜、豆類、自然の状態で育てられた穀物といった、主がわたしたちのために創造された、多くの素晴らしい健康に良い植物が含まれるように思われます。ここに、省略されているものは何でしょうか?主は、ほとんどの栄養が奪われたり、不健康な原料が加えられた、体によくない加工度の高い食品や、精製された食品といった、植物性食物については何も語られていません。

動物性食物

主は、肉もわたしたちの「利用」のために定められました(しかしながら、肉は控えめに、そしてなるべく必要なときに用いるべきです)。ここで、省略されている動物性食物は何でしょうか?言及されていない動物性食物が2つあります。それは、乳製品と卵です。(魚が省略されていると言う人もいます。またある人は、魚は肉に含まれると言います。なぜなら、それらは全てさまざまな生物の肉であり、とても似通った栄養的側面があるからです。)

このように、主が知恵の言葉で、具体的に上げておられない食べ物は、3つの主要な種類に分けられます。それは、健康に良くない植物性食物、乳製品、卵です。これらの食べ物はどうでしょうか?これらの食べ物について、主が教義と聖約89章で、薦めておられない後で、 この末日にわたしたちのために用いるよう、主が明確に薦めておられる箇所が聖典にあるでしょうか?または、これらの食べ物は、主からの「薦め」がないと結論づけることができるでしょうか?

少なくともこれらは、わたしたちの利用のため主が「定め」られなかったので、わたしたちの健康にとって生命維持に必要ではない食べ物であると認めていいでしょう。ですから、心配せずに、わたしたちの食事から、これらの食べ物を省くのは明らかに自由です。(わたしはまた、科学が、健康の理由だけで、それらを用いないことを支持していることを提案します[以下の注釈参照]。)

しかしながら、知恵の言葉で明確に言及されていない食べ物は、主が薦めるものかどうかを知る別の方法があります。わたしが、神殿推薦状を持たずに神殿に行った時のことを思い出してください。その時に、わたしが神殿に入るのに、ふさわしいことを提示できなかったため、神殿職員がとった手続きがありました。それは、わたしのビショップに電話をすることでした。同じように、主が具体的に薦めていない食べ物に出会う場合、わたしたちは天父に祈り、その食べ物を摂取することを主はお薦めになるかどうか尋ねることができます。主は勧告を与えられます。もしわたしたちが、この証を得られないのなら、わたしたちの神殿なる体に、その食べ物を摂取すべきではないかもしれません。

祈りながらこれらの質問を用いて、神殿であるわたしたちの体に取り入れる前に、その食べ物は主が薦められるものかどうか知ることができます。これにより、パウロが述べるように、「神のものである、自分自身のからだをもって、霊をもって、神の栄光をあらわす」ことができます。

 

 

ジェイン・バーチ 「知恵の言葉を発見する: Surprising Insights from a Whole Food, Plant-based Perspective (2013)、および多くの知恵の言葉に関する記事の著者です。
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