それはあまり現実味のない恋どころか、不可能な恋でした。彼女はモルモン教徒で、彼はカトリック教徒でした。彼女には婚約者がいて、彼はカトリック教の神父になる準備をしているところでした。

しかし当時20歳だったギャリー・J・コールマンが、ワシントン州立大学の寮の部屋から窓の外を見た時に受けた異様な御霊の促しは彼の人生を変えることになりました。

道の向こう側には、同じく大学の寮に住み始めて数ヶ月のジューディス(ジュディー)・イングランドという美しい女性がいました。ギャリーとジュディーは話し始め、お互いが育った小さな町同士はわずか40分の距離にあることがわかりました。

「彼女はわたしの部屋からたった9メートルくらいの隣のアパートにいて、わたしは自分の部屋の窓から眺めていました。そして御霊がわたしに『この人があなたの妻になります』と言うのです」と、コールマン長老はそのときのことについて語ります。

神学校への入学を検討していた敬虔なカトリック教徒として、コールマンは当時すでに独身主義は本当に神様が自身の子供たちに望んでおられることなのか疑問を抱いていましたが、この啓示にギャリーは驚きました。「今聞こえてきたメッセージは、一体何なんだ?どういうことなのか?と思いました。」コールマン長老はそのように回想しますが、彼はそれでも与えられた気持ちに従い、ジュディーを散歩に誘いました。

ふたりはすぐにお互いの信仰と背景についての違いに気がつきました。ギャリーはヤキマ管区での年間ベストカトリックファミリー賞をもらうくらい敬虔な家族に育ち、一方のジュディーはモルモン教の両親の元に生まれましたが、近くにモルモン教の教会堂がなかったため、メソジストの教会に通って育ちました。彼女はモルモン教について最近インステテュートで学び始めたばかりでしたが、神殿での日の栄えの結婚を望んでいました。

お互いの違いに関わらず、ギャリーとジュディーは友人となり、お互いに新たな信仰を紹介しました。

新たな信仰の発見

「他の教会に目を向けることはできませんでした。それは罪だったのです」と、コールマン長老は言います。「わたしの人生において、キャリアにおいて、若いころに、他の教会について学ぶことは罪でした。」ギャリーはジュディーの宗教について学びたいと思っていましたが、彼自身の信仰の葛藤を乗り越えることができませんでした。

ある日ギャリーはジュディーの友達の帰還宣教師が大学構内でクラスを教えていることに気づきました。それは「人生と死についてモルモン教徒の観点」というクラスでした。ギャリーは教室の外に立ち、教わってきたことと、福音を学びたいという新たな望みの狭間で揺れていました。「何度も躊躇して、やっと教室に入りました。」とコールマン長老は言います。そして彼はジョン・マドソンが救いの計画について教えるのを耳にしました。

ギャリーは黒板に描かれた救いの計画の図と、それについて学んだときの気持ちを覚えていました。それから一年後、ギャリーはモルモン書を受け取りました。「そのモルモン書には印がつけられていて、読んでいる人をモロナイの証へと導いて行きました。『この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。』その言葉に従って、わたしは祈りました」とコールマン長老は思い返します。「たった87節読んだあと、祈りを捧げ、証を授かりました。」

その経験の後、ギャリーはインステテュートにかけつけ、ジョン・マドソンと会いました。ジョンはギャリーの良い友人そして教師になりました。「わたしは『あなたの教会に入りたいです』と言いました。彼は『それはできないよ。まだレッスンを受けていないから』と言いました。わたしの『ええ、できます。今レッスンを受けたんですから』という答えに、彼は『いいえ、レッスンを受けなければいけません』と言いました」とコールマン長老は振り返ります。「『そのレッスンはだれがするのですか?』と聞くと、ジョンは『宣教師だよ』と答えました。わたしは『教会に入るためにレッスンを受けたいので、宣教師を探してくれますか?』と言いました。」

ジュディーはこの変化がすごい早さで起きたことを覚えています。「ある週末にギャリーが、わたしが教師として働いていた学校のあるスポケーンに来て、『もうこの教会について学ぶことはできない。それはわたしにとって罪だから』と言いました。」

「そして彼は去っていったのですが、それからほんの数日後に、彼から電話がかかってきて、宣教師からレッスンを受けているというのです。またある週末にギャリーはスポケーンにやってきました。わたしが玄関を開けると、スーツに身をまとった彼は光を放っていました。そしてわたしは彼にこう言いました。『いつバプテスマを受けるの?』すると彼は『三週間後だよ。』と言いました。そして実際に三週間後、彼はバプテスマを受けました。彼はそれを後悔しませんでした。」

ギャリー・コールマンは、カトリック教に対する信仰の火と献身をこの新しい信仰へ向けました。

「彼女はわたしがバプテスマを受けたときそこにいました」とギャリーはジュディーのことを言います。「わたしが彼女に、教会員となったいまなら、わたしと結婚してくれるかと尋ねたのはそのときです。そして彼女は『はい。あなたがわたしを神殿へ連れて行ってくれるなら、結婚します』と答えました。わたしにはそれがどういうことがよくわかりませんでしたが、『わかった』と返事をしました。そして、実際にそうしたのです。」

家族への打ち明け

「敬虔なカトリック教徒の家族、管区で年間ベストカトリックファミリーに選ばれるほどの家族は、子供や兄弟がカトリック教を離れることをひどく悲しむでしょう」とコールマン長老は言います。「わたしの家族は、わたしがコールマン家に大きな傷を負わせたと感じました。そのため、家族からもう一度受け入れられ、愛されるのはとても困難でした。」

しかし、その痛みはコールマン家族にとって新たな理解の扉を開けることになりました。ギャリーのバプテスマからたった36時間後、ギャリーの弟がワシントン州立大学のキャンパスに会いにきました。「弟はわたしを見て『もう(バプテスマを)したのか?』と聞きました。わたしは『したよ』と答え、弟は『どんな気持ちだ?』と尋ねました。わたしは『いい気持ちがする』と答えました」とコールマン長老はそのときのことを振り返ります。彼の弟が次に言った言葉にギャリーは驚きました。「まぁ、ギャリーはわたしの兄だから、正しいことでないのならば、バプテスマを受けなかったと思ってるよ。」それからたった90日後、ギャリーは弟のバプテスマ会に参加しました。ギャリーの両親は敬虔なカトリック教徒でい続けましたが、8年後にはギャリーの妹とその家族が教会に加わりました。

「家族が永遠の祝福を受けるためには、誰かが初めの一歩をとらなければいけません。」とコールマン長老は言います。「今わたしは何千もの先祖のために、家族歴史と神殿の儀式に取り組んでいます。家族の中の誰かが最初の人にならなければいけないのです。わたしたちの場合、それはわたしでした。想像できるとおり、選ばれしときがあります。しかし、困難も実に現実的なものでした。新たに改宗した人をサタンが攻撃することは想像できるでしょう。教会を嫌う人たちによって書かれた文献を通してだとか、サタンはあなたのした正しい選択のせいで、あなたをつぶしにかかります。とにかく大変な時期なのです。わたしはそれを十分に承知しています。自分が経験したからこそ、だれかにバプテスマを受けるように招待する時に、そこには支払わなければならない代価があることを説明できます。」

中央幹部へ

バプテスマを受けてからほんの数年後、ギャリー・コールマンは所属ステークの七十人(指導者的存在)に召されました。「当時は、各ステークに七十人がいました。そして60年代の教会では、七十人は地域の宣教師でもありました」とコールマン長老は言います。その翌年、彼はワシントン州伝道部の専任伝道部会長会に召されました。教会に加わってから、彼は5つの伝道部会長会で奉仕し、3度伝道部会長(カリフォルニア州アーケディアで3年、ニューヨーク州ローチェスターで3か月、ジャマイカで1ヵ月)として奉仕しました。「伝道、それはわたしの人生です」とコールマン長老は言います。セミナリーとインステテュートでの28年間の経験は、彼が福音を学び、教えるのに必須のものでした。

1992年にギャリーは良き友ジョン・マドソンと同じ部会で教会の七十人として奉仕するように召されました。「わたしとジョンは、ジョセフ・スミスの時代以来、バプテスマを施した人と施された人で同じ部会で中央幹部に召されるはじめての二人組でした」とコールマン長老は言います。

新たな召しを受けても伝道の業は続きました。「ジュディーとわたしは135の伝道部を訪問しました。それはわたしたちのとても好きなことです」とコールマン長老は語ります。しかし、この新たな伝道の経験には更なる学びが伴いました。「ヒンクレー大管長は七十人に召されて7、8か月経ったころの1993年4月にわたしにこう言いました。『コールマン長老はスペイン語が話せますか?』わたしが『いいえ、話せません、大管長』と答えると、彼は『では学んだ方が良いですね』と言いました。それがわたしたちがスペイン語圏での地域会長会という召しを与えられると知ったきっかけでした。その後10年その召しを果たしました」とコールマン長老は振り返ります。

福音を分かち合うこと

「証がある人は分かち合う必要があるだけです。」コールマン長老は言います。「それがわたしのしたことです。わたしたちが持っているものを見てみるように人々を招くことです。」

彼の特異な見解と背景が2007年4月の総大会で頻繁に尋ねられる「モルモン教徒はクリスチャンですか?」という質問についてのお話をすることに繋がりました。彼のお話はその後、教会の最初の公式モルモンメッセージにつかわれ、モルモン教の信条を力強い方法で明確にしました。

現在、解任された中央幹部として、コールマン長老は教会に加わったときからしている「愛する福音を分かち合うこと」を続けています。

「『旦那さんが解任されてから何をしていますか?』と聞かれますが、『同じことですよ。人に手を差し伸べます。』と答えます。」とジュディーは言います。「教会内、外に関わらず、質問してきた人にはそう答えます。たくさんの人との関わりを持つことができ、主はさらに多くの人々をわたしたちの生活の中へ送ってくださいます。」

この完璧な例として、コールマン長老は友人との食事中に席を立ち、レストランに入ってきた帰還したばかりの宣教師に自己紹介をし、伝道を終えたことを祝いました。夫妻の友人はジュディーに向かって「彼に自由時間はないのね。根っからのものだわ。」と言ったそうです。ジュディーは言います。「それが、夫の伝道についてのわたしが思いつく最も完璧な描写です。」

しかし、これらすべてはあの日曜日にギャリー・コールマンが部屋の窓からジュディー・イングランドを見かけなければ不可能なことでした。「彼が始めてわたしを見かけたとき聖霊の促しを受けたことは、結婚した後に知りました。それは重要なことだと思いますが、その啓示なしには、わたしたちの交際もどこへもたどり着かなかったでしょう。お互いにお互いの住む世界に足を踏み入れることはなかったでしょう。」それがコールマン長老の人生を変えた瞬間でした。

「わたしがしてきたこと全ての理由は、主が福音と共にジュディー・イングランドをわたしの人生へ送ってくださったからです」とコールマン長老は言います。「そしてわたしたちは福音をわたしたちの結婚や家族に分かち合うことができました。だからわたしはなんの名声も受けません。主がわたしたちを助けてくださったのです。そしてジュディーなしでは有り得なかったことなので、彼女とわたしは平等だと感じます。」

この記事はもともとDanielle B. Wagnerによって書かれ、ldsliving.comに”How a Man Preparing to Become a Priest Became a Mormon General Authority” の題名で投稿されました。
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