モルモン書のわたしの証は曾祖父マリウス・ファルセブからの借り物で始まりました。曾祖父はデンマークのランダースでモルモンに改宗し、自国を離れて新しい「シオン」の聖徒たちと合流するためにすべてを捨てたのです。曾祖父は宣教師にとっては手ごわい人でした。宣教師を何度もつっぱね、彼らの持つ「良き訪れ」を拒んだのです。しかしひとたび「御霊を得る」と曾祖父の証は岩のごとく堅固なものとなりました。子供だったわたしにモルモン書とジョセフ・スミスの証を得るまでは、彼の証を貸してあげようと言いました。「わたしの証に頼りなさい。自分でしっかりした証が得られるまでは」と。わたしはそれに従いました。
モルモン書への証を強めてゆく過程
小学生時代、わたしはモルモン書を元にしたディータ・ピーターセン・ニーリーの作品を何冊も読み、そこに出てくる登場人物と歴史は子供だった純真なわたしの心に響きました。中学生になるころにはわたしはモルモン書を初めから終わりまで真剣に読むようになりました。わたしは読み終えて、モルモン書がほんとうに「神の言葉」であるという証の種が芽吹いてくるのを感じた日のことをはっきりと覚えています。モロナイの勧めに従い、わたしはこれが神の書物であるという聖霊の確認を求めました。わたしの証は素朴な信仰でした。わたしはモルモン書が真実であるという証をしてくれた祖父母、両親、教師たちに対して深い尊敬の念と愛を抱いていました。わたしにはこれで十分でした。
大学時代もわたしはモルモン書を学び続け、初等協会や日曜学校のクラスで子供たちにその内容を教え始めました。この経験は自分にとって大きな影響を与え、人物や光景だけでなくモルモン書の核となるものを理解できるようになりました。古代の預言者たちが話した原則を自分と結び付けて考えられるようになりました。わたしの最も大切な相談相手は教会の会員ではなく、彼は比較宗教学で卒業していました。彼にとってモルモン書は19世紀のおとぎ話の文学以外の何物でもなかったのです。わたしは自分の経験から科学的論拠や文学的なものなどを通してなぜわたしが信じているのかを彼に論理的に納得させようとしましたが、彼にはそれは通じませんでした。御霊が証するのを彼はおそらく好まなかったのでしょう。そうするためには生活を変える必要があったからです。モルモン書に関するわたしたちの最後の会話で彼は「君が大学院まで行って、もっと教育を受けたらモルモン書に対する自分の信仰の誤りも分かるようになるだろう」でした。
エルサレムでモルモン書への証を増す
しかしそれは正反対でした!博士号を取得する過程において、学問を追求する世界に足を踏み入れ、さらにモルモン書を学ぶようになると、それが真実であるという「証拠」をさらに見出したのです。1994年にわたしたち家族は長期休暇のためにイスラエルのエルサレムに引っ越しました。そこに住むという経験がモルモン書についての多くの見識の扉を開くことになろうことは思ってもみないことでした。わたしはエルサレムに住むことで旧約聖書や新約聖書の理解が深まるのではないかと思っていましたが、現実はモルモン書が正確であり、驚くほど明白であるというわたしの知識をより確固としたものにしたのです。
ヘブライ大学近くのHa Nachal通りにあるアパートに引っ越した瞬間から第1ニーファイの最初のページについての若いころからずっと気になっていた懸念がはっきりと払拭されたのです。「水の流れている川」と言う言葉がモルモン書の最初の部分には頻繁に出てきます。わたしはこれは余計なこと(そもそも川というものは水が流れているし、だから川って呼ばれているんだよ!とわたしは考えました)、あるいはおそらくジョセフが「古代世界」からもたらされた書物であることを示そうとしてそのような言い回しをしたのだと考えていたのを思い出しました。わたしたちの住んでいた通りの名前を翻訳してなぜニーファイが「水の流れている川」と言ったのか、その理由が初めて分かりました。Ha Nachalの意味は水のない川です。Naharは「水の流れている川」を表わします。古代イスラエル(エルサレム)には二種類の川があり、それは水があるかないかでした。おそらくジョセフはそのような知識はなかったでしょう。彼はwadi(枯れ谷、アラビアなどの雨季以外は水のない谷)または「水の流れていない川」のあるような地域には住んだことはなかったからです。そのような地域(古代ユダヤ?)出身の人でなければ二種類の川は馴染みはないでしょう。
ヤコブ書のオリーブの木のたとえは非常に正確で、これらのすばらしく珍しい木の農業用語を表しています。オリーブの栽培がとてもさかんなイスラエルやイタリアに住んでいた経験からわたしはその栽培方法に関するたくさんの情報を入手しました。それは正確なので園芸の教科書として使えるほどです。ジョセフもおそらく合衆国東部のどんなアメリカ人でもこの古代から伝わる熟練した栽培知識は持っていなかったことでしょう。その知識を持っていた古代世界の人が書いたのでしょう。
聖書のヘブライ語を学んでいたわたしはモルモン書の文章に何度も「ヘブライ語の表現」を発見しました。ジョセフはそのような学問をするゆとりはありませんでした。いにしえの世界について学べば学ぶほど、モルモン書はイスラエルの家系の古代の人々によって書かれたという知識はより確固としたものになりました。
「chasanot」(ユダヤ教においてヘブライ語聖書を歌うように読むこと)を学んでいたときに、まさに目からうろこの落ちるような驚きを経験しました。わたしは8世紀にティベリアス(ガリラヤ)地域で律法学者たちが書き留めたしるしを読めるようになりたいと思っていました。このしるしはモーセが初めてトーラー(旧約聖書のモーセの五書:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を唱えたとき、モーセがしたことに対して象徴を与えました。これらのしるしを解読できる学者は世界にほとんどいませんでした。幸いなことにわたしはヘブライ大学のエズリ・ウバル教授とともに研究することができました。この古代の芸術に関してほとんど専門家がいないということが分かっていたので、わたしは彼に長年の研究でどんな珍しい経験をしたか質問してみました。教授はニューメキシコ州アルバカーキの大学での講演について話してくれました。教授はトーラー、預言者や詩篇で使われている様々な慣習について学生たちを啓蒙するよう依頼されました。
創世記1章1節から始めました。教授が「Brseet bara Elohim…בָּרָא אֱלֹהִים בְּרֵאשִׁית,」と詠唱を始めると、ナバホインディアンのグループがとてもざわつきました。最初の休憩のとき、そのグループが教授の元にやって来て、「創造」の物語について詠唱したメロディーがどこからやってきたものなのかを尋ねました。教授はこれは8世紀からヘブライ語聖書にあると指摘しました。なぜそのような質問をするのか彼らに尋ねると、その答えに教授は当惑しました。彼らは「教授の詠唱した言語は違っても、メロディーは先祖たちが何代もの間『創造』の物語について詠唱したものと同じなんです」と言いました。「なぜそのようなことが起こるのでしょうか?」と、エズリはわたしに尋ねました。「イスラエルの子孫の一部が聖典とともに新世界に来るのは可能だったんでしょうか?」「そうです!でもわたしがそのことを知った理由についてはお話しできません。イスラエルでは伝道しないことをイスラエル政府に約束したからです」とわたしは答えました。「わたしは説明だけ聞きたいのであって改宗したいとは思いません!」と教授は言いました。「そうですか。でももしわたしが教授に説明したら、あなたは改宗しますよ!」とわたしは言いました。もしアメリカに来たら、なぜわたしがイスラエルの血統が聖典(ラバンの真鍮版)を持って新世界にほんとうにやってきたと信じるかを説明できると言いました。わたしは教授にユタ州立大学に来て、そこで聖典の詠唱に関するシンポジウムをしてくれるように手配しました。わたしは教授にモルモン書を贈り、教授はそれをむさぼるように読みました。教授はそれで完璧につじつまが合い、わたしもそうでした。音楽の口承は数千年も伝わるのです。わたしにはリーハイと家族は神殿/ユダヤ教会からモーセの書を持ち帰り、それを子供たちや孫たち、ひ孫たち、そして現代にまで口伝えで教えたのであろうと信じる理由があります。言語は特に書き留めていないと変化しますがメロディーはとても整然として脳に正確に残り、何世紀にもわたり、口承し同じままで残るのです。
結論
世の中の学問である言語、歴史、音楽、芸術を学べば学ぶほど、わたしはモルモン書の翻訳が神聖なものであり、正確であるということにさらに納得したのでした。次の世でリーハイ、ニーファイやアルマに会うときまでこれは続くかもしれないと思っています。
マイケル・バラムについて
マイケル・バラムはこれまで世界中で40年間にわたりオペラやリサイタルで活躍してきました。ユタ州ローガンの出身で、バラム博士はアメリカ、ヨーロッパ、アジア、ロシアや中東での大きなコンサートに出たほか、バチカンやホワイトハウスにも招聘されて上演しました。彼のオペラのレパートリーには100を超える役で600回を超える数を上演しました。世界の名だたる歌手であるジョーン・サザーランド、ビバリー・シルズ、キリ・テ・カナワ、ビルギット・二ルソンやプラシド・ドミンゴらと定期的にシカゴリリックオペラ座をはじめ、サンフランシスコ、サンタフェ、ダラス、ワシントン、フィラデルフィア、セントルイスおよびサンディエゴオペラなどで共演しました。
リサイタリストとしてバラム博士はアメリカ国内の最も有名なコンサートホールなどで上演し、批評家の絶賛を浴びました。その中にはケネディーセンター(ワシントンDC)、オーケストラホール(シカゴ)、ジョーダンホール(ボストン)、ジョーンズホール(ヒューストン)、ロサンゼルスミュージックセンターが含まれます。またブロードウェイレジェンドのカレン・エイカーズ、タミー・グライムズ、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、ジーン・ステイプルトン、エセル・マーマンらと共演しました。
24歳でバラム博士は名高いインディアナ大学の歴史上最年少で音楽の博士号を抜群の成績で取得しました。熟練したピアニスト、オーボエ奏者であり、ユタフェスティバルオペラの創立者であり総監督でもあります。このフェスティバルはアメリカ国内でも大きなオペラフェスティバルの一つになっています。過去24年間ユタ州立大学の音楽の教授であり、また、インディアナ大学、ミュージックアカデミーオブザウェスト、ユタ大学、ブリガムヤング大学の教授陣にも名を連ねています。ブリガムヤング大学では1992年に社会人教育における最優秀教員賞を受賞し、スタンフォード大学、エール大学、ブリガムヤング大学アイダホ校、カトリック大学、マンハッタン音楽学校の客員教員でもあります。
国内のみならず海外でも世に出した著書や音楽媒体は40作品を超え、毎週行われるユタ公共放送のラジオプログラム、3つの大きな映画作品の主役を務め、テレビにも定期的に出演しています。バラム博士は12のプロの芸術家の組織の理事としても務めています。1996年にはイギリスのマーガレット・サッチャー首相によりThe 100 Top Achievers in the State of Utahの一人に指名されました。2003年にはユタ州知事よりArtist Extraordinaire(たぐいまれなアーティスト)として指名され、The Utah Congress of Parents and Teachers(両親と教師のユタ会議)の名誉終身会員に選任され、2007年にはThe Daughters of the American Revolution(アメリカ愛国婦人会)より「地域教育優秀賞」を受賞し、2010年にはユタ科学・芸術・文学アカデミーにより「ユタ州人文科学の重要な貢献」としてガードナー賞を受賞しました。
この記事は元々はMichael Ballamによって書かれ、FAIR MORMONに投稿されました。
モルモン書の確かな証はその人に与えられる御霊によりますが一度でも与えられたら確実に信じることができました。
堀井兄弟、記事を読んでコメントをしてくださって、ありがとうございます。そうですね、人によって御霊のささやき方は違いますが、証を一度受けると、信仰も強くなりますよね。そして、続けて証を強めていきたいですね!
私は、1985年娘が9才の時、一緒にバプテスマを受け、モルモンに改宗しました。当時は、まだ全部を知ることが出来ませんでした!?
特にジョセフ スミスについての証を得る事が難しかった…。
しかし、この教会が本当の教会であると言う確信めいたものが何処からとも心の奥底の魂に(御霊)が囁き掛けるのです❗
なので私は、母子家庭でもあった事もあり、自分と子供の将来の為、正しい道を歩む為に導かれる様に、この教会に改宗しました。
後に教会の歴史の旅に参加した際、色々な事を学び、色々な物を見て聞いて、全てが御霊の囁きを通して、喉に遣えていた部分が、スゥ―と腑におちた思いがありました。
私達人間は、現世でどんなに頭が良くてお金を持っていたとしても、皆不完全な部分を持っていると思います。
私達人間は、何処から来て死んだら何処に行くのか?と言う事を先ず知る事が大事なのでは…と思います。
最後に、ナバホ インディアンが音楽や代々言い伝えられて来た事がモルモン書と一致していると言う所が意外でした!?
新苗姉妹、コメントありがとうございます。バラム兄弟のように、姉妹も証と知識を年月をかけて育てて行ったのですね。全てがわからなくても、信仰を使って、教会に行き続ける時に、それぞれのきっかけで、また神様のタイミングで聖霊の力で証が確固としたものとなっていきますよね。姉妹の経験談を分かち合ってくださって、ありがとうございます。そしてわたしも、インディアンの音楽の事を読んだ時、びっくりしました!