ブリガム・ヤング大学(BYU)の学生H・アンドリュー・ジャストヴィグ(’18年卒)のモットーは「不可能を可能にするのは楽しいよ」です。彼は生まれたときから脳性小児麻痺と診断され、両親は医師たちからは話すことも、歩くことも、学業を修めることもできないと言われていました。しかしジャストヴィグは小さい頃から不可能を可能にしてきて、医師の診断が間違っていたことを身を持って示したのです。4歳の時、祖父母は少しでも歩けたらディズニーの映画に連れて行ってあげると約束しました。そのほうびによりジャストヴィグは100回も映画に行けました。「アンドリューには、『あなたにはできないわ』とは言いません」と母親のステーシーは言います。「あの子が何か心に決めると、それをやり遂げて不可能を可能にするのです。」
BYUでも不可能を可能にし、人々に笑いと希望を与える
ジャストヴィグはにっこりしながらミッキーマウスの肩掛けバッグをひざに置き、BYUキャンパスの中を電動車いすで動き回っています。歩くより速いのです。演劇専攻なので、目いっぱいの授業のほかに劇の稽古、脳性小児麻痺のある男性についての自作のノーカットの劇の下書きや、お笑いショーの独演など忙しいスケジュールをこなしています。
ジャストヴィグは2015年にはワシントンD.C.のケネディーセンター・アメリカンカレッジ・シアターフェスティバルにおいてBYUプロダクションの「わたしたちの町」での演技を表彰され、これがBYUプロダクションがこのフェスティバルでこれまで受けた最高の賞になりました。「僕は舞台に専念したり、グループの先頭に立つとき、自分の病気のことは忘れてしまいます」とジャストヴィグは言います。幸いなことに「僕は恥ずかしいと思ったことはないんです」と付け加えます。
例えばキャンパス内のクラブ「ユーモアU」でお笑いショーが自分の担当のときは、ジャストヴィグはネタで脳性小児麻痺を取り入れることを恐れません。「もし皆さんが僕の言うことを理解できないとすれば、それは皆さんに異言の賜物(馴染みのない言語を理解する能力)がないからですよ」と、彼はショーで言ったこともあります。
学校ではジャストヴィグは特別扱いされないように一生懸命勉強します。小学校時代に培った才能を使って、彼はノートをとるよりも教師の言葉を記憶することを続けています。「アンドリューは自分のことを大目に見てほしいとは思わないし、健常者と同じように普通に接してほしいと思っているんです」とメディア芸術のジョージ・D・ネルソン教授(’77年卒)は言います。彼はBYUでジャストヴィグの演技および脚本の指導をしています。「わたしは全然彼のことを容赦しませんし、毎回彼は立派にやってのけます。」
彼の持つ自信もほかの人たちが気持ちよく過ごせるようにプロ顔負けです。のちに妻となったキャリー・オストラー・ジャストヴィグ(’18年卒)と関係を作ったのも一回のスーパーでの出会いだったのです。最初のデートから時間があるときはいつも二人は一緒でした。「わたしたちが言葉を交わすようになってからもとても自然だったんです」とキャリーは言います。「このすばらしい友人とは永遠にいるみたいでした。」
数か月後、ジャストヴィグはBYUのメリー・ポピンズのプロダクションの多くのキャストの助けと、家族を含むおよそ100人の友人たちが「Anything Can Happen If You Let It(望めば何だってできるんだ)」を歌う中、プロポーズ(下を参照)をしました。これは互いに不可能を可能にするべく元気づけようとするこの二人にとってのテーマソングです。「この歌はわたしたちにとってたくさんの意味を持っているのです。なぜなら不可能を可能にするびっくりするようなことがわたしたちには起こっているからです」とキャリーは言います。「アンドリューは自分ができることはすべて神ができるようにしてくださったことなので、彼は自分の人生全体を神への使命ととらえています。」
この記事は元々はMcKenna Gustafson Clarkeによって書かれ、https://magazine.byu.edu/に投稿されました。