幸せになるために生まれてきた

わたしたちはみんなこう願っています。「幸せになりたい。」
もうすでに幸せならば、このように願うのではないでしょうか。「今の幸せがこのままずっと続いてほしい。」

でも思い描いた幸せが手に入らなかったならば、どのように感じますか?今までの幸せが突然に奪われたらどうでしょうか?日常の風景や大切な人との交わり、貴重な時間、普通の暮らしを失ったときに、人は喪失感に襲われ、不幸せだと感じるのでないでしょうか。そんな時にこの記事が、イエス・キリストの贖いに頼りながら前向きに生きるためのきっかけになればと願っています。

奪われた大切なもの

2020年の新型コロナウイルス感染拡大により、世の中は一変しました。愛する人との別れ、職や住まい、財産を失った人々が大勢います。医療従事者や福祉関係者などは患者を守るために日々命の危険と隣り合わせで働いています。様々なイベントや行事がキャンセルになり、楽しみにしていた思い出は刻まれることなく過ぎ去り、やるせなさでいっぱいの人も大勢います。感染症の問題は社会全体にのしかかり、人々の生活を大きく変えました。

今まで当たり前だったことが、もはや当たり前ではなくなってしまった。今までの安定した暮らしが覆されて、大切な物や人、時間、そして自由までをも奪われたと感じる人がたくさんいるでしょう。

感染症以外にも、人々の暮らしや生活を脅かすものは数多くあげられます。例えば自然災害、いじめ、人間関係のこじれ、経済的不安、病気、障害、家庭の問題、虐待、犯罪などです。

華やかな世界で活躍している有名人や著名人にも、過去にいじめを受けた経験を告白している人たちがいます。タレントのしょこたん、ジャングルポケットの斉藤さんは壮絶ないじめを受けたことを告白し、どのように苦しみを乗り越え、生きる希望を見出したかを語っています。

苦しみと向き合う時間

幸せが奪われたとき、人はどのように感じるのでしょうか。状況や事態の深刻さにもよりますが、悲しみ、怒り、信じられない気持ち、不安、喪失感、無力感を感じるのではないでしょうか。自分では変えられない状況に打ちのめされ、自信を無くし、時にはふさぎこんだり、生きる希望を失くす場合もあるでしょう。

生きていることが辛くてしょうがないと感じる人もいるでしょう。夜は涙で枕を濡らし、朝になると新しい一日が始まることを呪うのかもしれません。一歩前に進むことすら苦痛に感じるかもしれません。

このような状態に陥ったときに、どのように苦しみと向き合ったらよいのでしょうか?どのように悲しみや苦しみを和らげ、困難な状況を打破できるのでしょうか?

悩みや苦しみはすぐには解決しないことがほとんどだと思いますが、わたしたちがまずできることは、悲しみや怒りの気持ちを認識することなのではないでしょうか。自分の身の上に起こったことを信じられない、信じたくない気持ちでいっぱいになるかもしれません。「なんでわたしはこんな目に遭わなければいけないの?」「何も悪いことはしていないのにどうして苦しまなければならないの?」それとは反対に、自分のせいにすることもあるでしょう。

周りの人に助けを求める

悩み苦しみを抱え込まず周りの人に助けを求めて癒される図

自分の気持ちや問題を受け止めきれないかも知れません。でもそのやるせない気持ちを自分だけで抱えるのでなくて、ぜひ周りの信頼できる人に打ち明けてみてください。周りの人は必ずしも解決策を知っているわけではありませんが、あなたの状況を把握し、共感してくれることがあなたの支えになるはずです。自分だけでは抱えきれない問題も、人に話すだけで気持ちが軽くなることもあります。また相談機関等に相談することにより、必要な援助を受けられる場合もあります。世の中には様々な支援をしている相談機関や支援団体があります。問題や悩みを教会のビショップ(教会員を助けてくれる地元の指導者)に相談すると、その内容によってはLDSファミリーサービスを紹介されるかも知れません。

わたしはアメリカに住んでいる時に離婚した経験がありますが、離婚問題で悩んでいる時は教会のビショップに相談しました。ビショップに相談する時は言語の壁があったので、英語の堪能な日本人の教会員の男性がビショップとの面接に何回も立ち会ってくれました。その男性が、離婚やビザの手続きをする時のために、日本語が堪能な弁護士を紹介してくれました。わたしは結婚していた相手から家を追い出されてしまったので、行き場所がなく困っていました。ビショップはワードの独身の姉妹に話してくれて、わたしがしばらく彼女の家に住めるように手配してくれました。そしてLDSファミリーサービスのカウンセラーを紹介してくれました。

本来は結婚カウンセリングを夫と受ける予定でしたが、夫が約束の時間に現れなかったので、しかたなくわたしだけがカウンセリングを受けることになりました。そのカウンセラーは日本で伝道した元宣教師だったので、日本語を話すことができて、日本の文化にも理解がある人でした。彼は以前はカウンセラーの仕事をしていましたが、その時はカウンセラーのマネージャーをしていました。でも日本人のわたしの相談を受けるために、カウンセリングの仕事を引き受けてくれました。彼から教えてもらったことは、自分には変えられないことがあること、そして自分に変えられることを変えていくことでした。

まず最初にカウンセラーと一緒に目標を作りました。その目標は「一日2時間だけ夫のことや、夫の家族について考えても良い」でした。それはわたしが四六時中、夫のことや夫の母親について考えていたからです。そして毎回カウンセリングの時に目標のフォローアップを受けました。カウンセラーは、夫を変えることは不可能なので、自分が変わるための第一歩をわたしが踏み出せるように導こうと考えていたのだと思います。最初はその目標は全く達成できずにいました。しかし2ヵ月のカウンセリングを終えるころには、夫について考える時間も次第に減り、新しい人生の目標もできて、その目標に向かって努力するようになりました。そんなカウンセラーの後押しもあり、わたしは前から興味があった分野の勉強をするために、大学復学のために準備を始めました。

エリザベス・スマートさんの物語

わたしがユタ州のソルトレイクシティに住んでいた時に、市内である誘拐事件が起きました。とても衝撃的な事件なのですが、被害者であるエリザベス・スマートさんの前向きな生き方から学べることがあると考えたのでここで紹介させていただきます。当時14歳だったエリザベスさんは、夜中に就寝中、突然家から姿を消しました。長い間行方不明でしたが、9か月後に無事に保護されました。彼女は加害者の夫婦に誘拐されてから、様々な地域を転々としました。加害者の夫婦からは虐待を受けて、男性からは、日常的に性的暴力を受けていました。

彼女は保護されて自宅に戻った時に、母親からこのように言われました。「あなたは本当に大変な目にあった。もし加害者を懲らしめるとしたら、一番の良い方法は、あなたが受けたひどい仕打ちに囚われずに、これから幸せになることよ。あなたは9か月間のかけがえのない幸せな時間を奪われてしまった。でもこれからは、その時間の一秒たりとも加害者に奪われないようにしなさい。」彼女は母親のこの言葉に支えられてきたそうです。

彼女はどんなに苦しい時にも幸せ探しをし、どんな小さなことにも感謝をしたそうです。加害者と共に人目を避けて山中で暮らしていた時は、食べるものがなくて飢えや渇きに苦しむことがあったそうです。そんな時に雨が降り、渇きを潤すことができたことを感謝しました。事件が起こるまでの14年6か月は幸せな家族や住む家、友達や教育に恵まれていたことを感謝しました。加害者は親族や知人ではなくて、全くの他人だったことも感謝しました。

保護された後に家族の元に戻り、普通の生活に戻ることができたことを感謝しました。自分には愛してくれる家族や友人がいたことを感謝しました。何千人もの人が自分のために祈ってくれたことを感謝しました。その後彼女は大学に進学し、ロンドンに留学しました。末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師としてフランスで伝道をしました。そして結婚をして、今は3人の子どもを育てています。

赦すことは、幸せになること

エリザベスさんは、事件が起きてから8年後に、加害者の裁判の証言台に経ちました。その時に証言台で話した言葉は、彼女の力強さを的確に表していると思います。彼女はこのように言っています。「もはや加害者はわたしにいかなる影響を与えることはできません。過去に左右されずに幸せに生きていますし、これからもずっと幸せに生きていきたいと思っています。」

これまで彼女は様々な講演会や運動を行っていますが、あるイベントで赦しについてこのように語っています。「加害者のことを赦せなかったら、その分だけわたしは幸せになれないと思っています。90パーセントだけ赦して、残りの10パーセントを赦さないとしたら、それは幸せではないと思います。わたしの夫を100パーセントを愛し、二人の子どものことも100パーセント愛するためには、加害者を100パーセント赦さないとできないと思います。赦すことは、他の誰でもなく自分のためだと思います。赦すことが人生の目標ではありません。人生の最終目的は、幸せになることです。赦すことはひとつの通過点であり、その先にわたしたちを待っているのが幸せなのです。」

イエス・キリストの贖いに頼る

それでもなかなか人を赦したり、不幸せな出来事を忘れることはできないものです。わたしも夫やその家族に裏切られたことをとても苦しく感じました。自分の身の上に起きたことを嘆きました。苦しい気持ちに押しつぶされそうになった時に、わたしはイエス・キリストの贖いに頼りたいと心から願いました。なぜなら自分の力ではこの苦しみに立ち向うことができなかったからです。どうか信頼を裏切った人たちのことを赦せるように、神様に嘆願しました。苦しい気持ちは、わたしが願ったように魔法の力で瞬時で取り去られることはありませんでした。でも神様は溢れるほどの愛をわたしに注がれ、周りの人を通してわたしを助けて導いてくださいました。職場の人たちは毎日励ましてくれました。夫の家族の中でも、住む場所を提供してくれた人たちもいますし、寂しくないように家に呼んでくれた人もいました。神様はわたしのことを支えてくださいました。遠い日本に住んでいる家族はわたしのことを励まし、祈ってくれました。

暗闇の中を前に一歩進むことすら苦痛に感じていた時に、わたしを支えてくれたのは、やはり福音でした。わたしはいつもモルモン書の中の、ヒラマン書5章12節を心にとめて、イエス様を信頼したいと願っていました。

「わが子らよ、覚えておきなさい。あなたたちは、神の御子でありキリストである贖い主の岩の基を築かなければならないことを覚えておきなさい。そうすれば、悪魔が大風を、まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも、まことに悪魔の雹(ひょう)と大嵐があなたたちを打つときにも、それが不幸と無休の苦悩の淵にあなたたちを引きずり落とすことはない。なぜならあなたは堅固な基であるその岩の上に建てられており、人はその基の上に築くならば、倒れることなどあり得ないからである。」(ヒラマン5:12)
イエス・キリストの贖いは、暗闇の中に差し込む光のようにわたしたちに希望を与え、前向きに生きて行けるように助けてくれます。神様はわたしたちが幸せになることをお望みです。

光は必ず差し込む

どうしても赦せない時もあると思います。赦せたとしても、そこに至るまでにとても長い時間がかかるときもあります。事態が改善しない時もあります。苦しい状況を打破できない時もあります。辛いときは辛いと言っていいし、苦しいときは弱音を吐いてもいいです。時には立ち止まって休憩することも大切です。でもそこで完全に歩みを止めないでください。
神様はわたしたち一人一人の苦しみや悲しみを誰よりもよくご存じです。わたしたちが苦難を乗り越えて、より一層幸せになることをお望みです。苦しいことが沢山ありますが、それと同じくらいに、もしかしたらそれ以上に神様はわたしたちに沢山の感謝すべき恵みを与えてくださっています。きっと神様がお与えになった祝福を数えることで、生きる希望が持てるようになるかもしれません。今は辛くても少しずつ日々歩み続けるならば、その先には必ず神様が用意してくださった幸せが待っているはずです。神様からのプレゼントに気づけるように、前向きに生きることができるように心から願っています。

 

 

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