末日聖徒イエス・キリスト教会には、さまざまなバックグラウンドを持った人が集います。育った環境、出身国、話す言語、そして障がいの有無などです。

3月22日㈯~3月23日㈰の2日間、岡山県の教会では、ある特別なカンファレンスが行われました。カンファレンスでは、全国からろう者と手話を学んでいるろう者が集まり、様々な活動を通して手話で交流をしたり、手話を向上させたり、手話だけの聖餐会が行われました。

交流を通して信仰を深める

末日聖徒イエス・キリスト教会では、会員たちは教会堂に集い礼拝することが求められています。礼拝行事や集会に参加しほかの会員と交わることが、個人の信仰や証を強める助けになると信じているからです。

教会員は断食し、祈るため、また人の幸いについて互いに語り合うためにしばしば集まった。 また、主イエスを記念してパンとぶどう酒を頂くためにしばしば集まった。

モロナイ書6章5-6節

また、この教会では、男性向け、女性向け、親向け、子供向け、青少年向け、独身者向けなど、さまざまな種類の集会がたびたび設けられます。これは差別ではなく区別で、この分けられた集会で、互いに理解を得やすかったり友人が見つかりやすかったりします。

同じような悩みや経験を持つ会員と出会えた時、わたしたちはお互いに慰め合い助け合い強め合うことができます。経験に限らず、その経験で得た証はほかの人が証を得る助けになります。私たちが1人で成長することは難しいのです。

今回の手話に特化したカンファレンスは、長く教会員にいる会員にも珍しい集会だと感じるでしょう。しかし、ほかのろう者の教会員と出会えたり、手話を上達して奉仕の機会を得たい会員にもとても有意義な時間になったことでしょう。

楽しさと学びのカンファレンス

この手話カンファレンスでは、モルモン書の話を手話で表すという活動がありました。身体全体で聖文を表すその様子はまるで示現を見ているようだと表現されています。

親睦会ではジェスチャーゲームが行われ、解答は手話で行われました。手話を使ってのゲームも大変盛り上がります。

また、手話だけの聖餐会、アメリカ人のろう者との国際交流、そしてCODA(コーダと読む『Chidren of Deaf Adults』の略)の会員の経験談を聞く機会、レベルに分かれて手話を学ぶ時間もありました。

楽しい時間と学ぶ時間、そして霊的な時間という充実したプログラムは、参加した人たちが御霊を通して互いを知り、主の愛を感じたことでしょう。

すべての人が神にとって等しい存在

教会の手引きにはこうあります。

天の御父は、御自分の子供たちを愛しておられます。また、「すべての人が神にとって等しい存在」であり、御父は「御自分のもとに来て主の慈しみにあずかるよう」すべての人を招いておられます(ニーファイ第二書26章33節

教会に来る人はどんな人でも神様の前では等しい存在です。もちろん、その人が教会の中で担っている責任への感謝や職務への敬意を表すこともありますが、教会指導者も同じ神様の子供です。

どのようなバックグラウンドがあったとしても、学力に違いがあったとしても、わたしたちは同じように教会に集い、聖餐を受け、学ぶことができます。

しかし「等しい」というのは条件が同じということではありません。子どもたちが分かる言葉を使って福音を教え、言語が違う人が理解できるように翻訳された聖典やテキストがあります。耳が聞こえない人達のためには、手話を使ったり文字を表記するなどすることで、わたしたちは「等しく」福音を学び礼拝することができます。

ろう者が与えた良い影響

わたしが以前にいたワード(地域にある教会の集会所)に、ろう者の教会員がいました。その人のために、最初は隣にほかの会員が座り、文字を使って聖餐会やレッスンが分かるように助けていました。その姿は、自分も筆談でその教会員とコミュニケーションが取れることを教えてくれました。

その後、最初に筆談をしていた教会員が手話を学び、聖餐会やレッスンを手話で通訳をするようになりました。ときどきどうやって手話で表現したらいいか分からないというような顔をしていましたが、手話を使った通訳が始まってから、ろう者の教会員の方は以前よりも教会で明るくなりました。

そこから、手話を学んでみたいという教会員が何人かいたことが分かり、集会後に手話教室が始まりました。そこには老若男女の教会員が集い、一般的な表現の手話から福音を表す手話を学びました。

わたしの甥っ子と姪っ子たちも手話教室に参加して、手話で簡単なコミュニケーションを取れるようになりました。ろう者の教会員の方にとって、簡単なコミュニケーションでも多くの人が手話を学んで話しかけてくれることが嬉しかったといいます。

これはわたしたちが海外に行った時に、日本語で話しかけられると嬉しく感じることと似ていませんか?

手話教室のかいもあってか、そのワードで手話通訳ができる人が増え、聖餐会やレッスンの通訳を交代でできるようになりました。

手話通訳は大変疲れるそうです。しかし何人かの人と協力し合うことで、ろう者の教会員が福音を学び、証を強めることができたのです。

1人の人を助けたいという気持ちから、多くの人が新しい才能を見つけ伸ばし、手話を通じて教会員同士の絆が深まりました。

まとめ

手話のためのカンファレンスを開いたり、手話を学んで福音を学ぶ助けをすることは、まさしくキリストの教えの実践です。わたしたちは誰かを助けたり助けられたりすることで、互いに成長し強め合い、またよい友達になることができます。そして、2日間のカンファレンスのために準備に携わった人たちの奉仕の模範に感謝します。