日本の性差の歴史
歴史の教科書でもお馴染みの卑弥呼の時代、男女に差はなく、政治でも性別による地位の差はなく個人の能力が反映されていました。しかし、次第に首長は男性が多くなり、女性は小首長という役割へ移って行ったと言われています。それは、当時の日本が中国の律令制(現在でいう法律)や家長制度を導入していったためです。そのため、歴史の中で女性の存在や活躍が見えづらくなっていきました。
仕事も、かつては男女で差はほとんどなかったようですが、変化が社会の男女の役割を作り、男性は政治や経営、女性は農作業となっていきました。しかし、女性が完全に農業や家庭内での仕事をしていたわけではありません。女性は巫女や職人といった職業、また芸者など性的なことに関係する職業をしている女性もいました。
出産や月経による血液を汚れとして、女性を差別する風潮が生まれていきました。
明治には、政府は宮中の女官を全員辞めさせ、天皇も男系による皇位継承が定められました。女性には選挙権はなく、政治から女性の排除がされていきました。
書籍:国立歴史民俗博物館(2020). 性差(ジェンダー)の日本史 国立歴史民俗博物館振興会
教会の女性への見解
末日聖徒イエス・キリスト教会では、女性は大切な神の娘で排除される存在としていません。
しかし神権が女性に与えられないからということで、教会は男女不平等だ、という声もあります。
そもそも、神権はふさわしい男性の教会員に与えられますが、これはすべての男性という意味ではありません。パッカー長老は、「神権は、神に代わって行動するために神が地上の男性に与えられた権能であり、力です。神権の権能を正しく行使するとき、神権者は神がその場におられるなら行われるであろうことを行うのです」と言いました。
神権がふさわしい男性会員に与えられるということで、教会は女性を蔑視しているんでしょうか?
末日聖徒イエス・キリスト教会の教義では、男女の関係性は対等です。
これは時代の流行によって変わるものではなく、神様が創造された時から変わらない教えです。そして神権が男性に与えられるという事実も神様が定められたので、これもまた時代の変化に応じて人が変えることはできないのです。(オークス「神権の権能と鍵」『リアホナ』2014年5月号 p50)
「男性と女性は,神の目から見て同等であり,教会の目から見ても同等ですが、同等というのは、男女がまったく同じであるという意味ではありません。男性と女性の責任と天与の賜物は、その本質において異なっています。しかし、重要度や影響力が異なるということではありません。教会の教義は、女性を男性と同等に置いていますが、女性は男性と異なっていることを示しています。神はどちらかの性がもう一方の性より優れているとか、大切であるとは見なしておられません。」(M・ラッセル・バラード「主の業における男性と女性」『リアホナ』2014年4月号,48)
バラード長老の話から、女性にも神権の職を与えることが必ずしも平等ではない、ということが分かります。以前の記事『末日聖徒の日曜礼拝、女性のズボンはダメ?』でも、男女平等とは女子の男子化ではないという話がありました。女性には女性の役割があります。そして忘れてはならないのは、女性も神権の力にあずかり、神様の御業をこの地上で代わりに行うことができるという事実です。
神権を行使する姉妹たち
神権の職に召されていないからといって、女性が神様の業に携わることができないというわけではありません。教会の中で、姉妹たちの役割はとても重要なものです。現在末日聖徒の女性が指導している組織が存在します。
- 扶助協会
- 若い女性
- 初等協会
姉妹たちは、「集会で説き勧め、祈り、指導や奉仕をする様々な職を受け、地元や全体レベルで神権の評議会に参加し」しています。そして、専任宣教師として全世界で伝道活動にも参加しています。「女性は神権の職には聖任されていなくても、神権の権能を行使するのです。」ほかの宗教では、このような奉仕や指導をする場合、聖職を授けられていることが必要なこともあります。(福音トピックスより)
末日聖徒の女性が、教会の中で特別な奉仕や責任を果たす時、一時的にその役割のために召されます。この召しの義務を果たすとき、確かに姉妹たちは神権の権能を行使しています。
姉妹たちは、家庭でも神権の力の表れを受けます。ジーン・B・ビンガム姉妹の言葉をシェアします。
「多くの場合、わたしたち女性は、召しや家庭において、『多くの善いこと』を成し遂げる力が神権の力の表れであることに気付いていません。実際のところ、世界で行われているあらゆる善いことは、神の力を通して行われているのです。……女性がこの神権の力にあずかることができるのを知ることにより、わたしたちは強められ、自分たちの責任や割り当てがどのようなものであれ、求められていることを実行できるようになります。」
女性の存在が必要な神権の業
神権者である男性と、神権の職に聖任されていなくても神権の権能を行使する女性は、どちらも必要な存在です。
「ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。」
(1コリント11章11節)
母親、妻、娘、どのような立場であっても、女性は男性に影響力を持っています。女性の助けなしに、男性の進歩はない、とボイド・K・パッカー長老は言っています。それは女性も同じです。そして、女性を軽んじると神権は大幅に力を失う、とも言っています。
ですから、神権者ではないからということで、教会の中で姉妹たちが発言権が与えられなかったり蔑まれたりするべきではありません。それは神権と神様の御心を正しく理解していない人が、教会の中で神が平等に定めた男女の関係を、不平等にしているということになるでしょう。
男性に神権が与えられるということは、男性が優秀だからという意味ではありません。神権は1つの役割として男性に与えられました。そして神様は、神権の業にたずさわるためにはふさわしさを保つという条件を上げられています。
「女性が妊娠、出産、子育てをして、さらに神権も与えられたら、教会で男性の役割が本当になくなってしまうわ」と話す姉妹に会ったことがあります。彼女は冗談で言ったのでしょう。
子育ては男性も女性も共にすることができますし。しかし、神様の子供を地上に呼ぶために、妊娠出産をすることは女性にしかできないので、これは神様が与えられた女性の1つの役割なのでしょうね。
同じ神様の子供であっても、身体の造りなどの違いから、区別が存在します。しかし、残念ながらその違いが差別を生み出すことがあります。でも男女の違いは、お互いを補うために必要な差です。
歴史や習慣を大切にすることは時には必要かもしれませんが、男性も女性も幸せになるために、神様の業を推し進めるために今ここに存在しているということを忘れないでください。