預言者の生涯のハイライト

ジョセフ・スミスの38年と半年の生涯は、生きている者の中で経験されたことがほとんどないような、数々の霊的な経験の高みと、艱難や悲しみや裏切りの深みによって形作られていきました。その生涯は、彼を永遠に兄弟と見なしていた男女の心にも、彼の血を流した者たちの心にも刻まれました。結局、後者のグループは、短い間だけ勝利を祝いますが、前者の人々は自分たちの願いが叶えられて、天に住むという保証を受けました。

以下の年譜はジョセフ・スミスの業、喜び、そして悲しみを時と状況のリストにまとめたものです。特別な種類の出来事の時期は次のような色別がされています。

特別な個人に関する出来事

教会歴史・教義に関する出来事

 

1805年

12月23日:ヴァーモント州ウインザー郡シャロンの町で誕生。(スミス家族はジョセフが14歳になるまで7つの場所に移り住んだ。シャロン、タンブリッジ、サウス・ロヤルトン(以上がヴァーモント州)ウエスト・レバノン(ニューハンプシャー州)、ノーウイッチ(ヴァーモント州)、パルマイラ村、パルマイラ・タウンシップ(以上2か所はニューヨーク州)。

 

1813年頃 8歳

はっきりした日は不明  ニューハンプシャー州グラフトン郡ウエスト・レバノン:チフスが流行し、スミス家の子供たちも感染する。ジョセフの足が感染し、切断は逃れたが、感染した骨を除去する手術が施された。奇跡的な外科手術が彼の命を救うが、ジョセフは長年の間松葉杖を使わなければならない。

 

1816年 11歳

ニューヨーク州オンタリオ郡:スミス家はパルマイラ村に引っ越す。

 

1820年 14歳

早春  ニューヨーク州オンタリオ郡マンチェスター町:ジョセフは最初の示現を受ける。どの教会に加わるべきかという彼の祈りが答えられて、父なる神と御子イエス・キリストの訪れを受けた。

 

1823年 17歳

9月21−22日  ジョセフは初めてモロナイからの教えを受け、翻訳されるべき古代の記録と、イエス・キリストの福音の回復について教えを受ける。

11月19日  パルマイラ町:ジョセフの兄アルヴィンが死ぬ。

 

1824年 18歳

9月22日  ジョセフは天使モロナイにクモラの丘で指示を受ける。その指示はこの年から同じ日に1827年まで続く。

 

1826年 20歳

3月20日  ニューヨーク州シェナンゴ群サウス・ベインブリッジ:ジョセフは「風紀を乱す人物」として法廷で裁かれるが、無罪放免される。ジョセフの雇用者であるジョサイア・ストーウエルがジョセフのために弁明する。

 

1827年 21歳

1月18日  ニューヨーク州サウス・ベインブリッジ:ジョセフはエマ・ヘイルと結婚する。

9月22日  数年の間教えを受けた後、ジョセフはモロナイ天使よりクモラの丘で金版を受け取る。エマはこの旅に同行する。

12月  迫害のために、ジョセフとエマはマンチェスターを去り、エマの両親と住むためにペンシルベニア州のハーモニーに引っ越す。

 

1828年 22歳

2月  ニューヨーク市:マーチン・ハリスはチャールズ・アンソン教授よりジョセフが古代の文字を翻訳したものが正しい翻訳であるとの証明書を受け取る。アンソンはその文字をどこから入手したかを尋ねる。ジョセフの物語を聞いて、アンソンは証明書を取り返し、金版を自分で翻訳することを申し出る。その版は封じられていると知って、預言(イザヤ29:11)の成就するべく、「私は封じられた書物を読むことは出来ない。」と語る。

4月12日  ペンシルベニア州サスケハナ郡ハーモニー:ジョセフ・スミスはマーチン・ハリスを筆記者としてモルモン書の翻訳を始める。

6月14日  パルマイラ町:マーチン・ハリスはハーモニーを116ページのモルモン書の翻訳された部分をもって出かける。主の勧告に反して行われる。彼はそれを見せることにより、その翻訳が真実なものであることを他の人に確信させようとした。それらのページは6月と7月の間に失われる。

6月15日  ペンシルベニア州ハーモニー:ジョセフとエマの間に最初の子供アルヴィンが生まれる。何時間かのうちに亡くなってしまう。

7月  啓示を受けた後すぐにそれを初めて記録する。(教義と聖約3)

7月  翻訳器と版はモロナイ天使によって取り上げられる。

9月22日  翻訳器と版がモロナイ天使によって、預言者の元に戻される。

 

1829年 23歳

2月  ジョセフ・スミス・シニアがジョセフを訪れる。父親についての啓示を受けて、それは教義と聖約4章に記録されている。

4月5日  ペンシルベニア州ハーモニー:オリバー・カウドリがニューヨークから到着し、4月7日より翻訳が再開する。

5月15日  ペンシルベニア州ハーモニー:ジョセフとオリバーはバプテスマのヨハネよりアロン神権を受け、バプテスマを受ける。

5月から6月  サスケハナ河のほとり:ジョセフとオリバーはペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人からメルキゼデク神権を受ける。

6月1日ニューヨーク州フェイアット:ジョセフはピーター・ホイットマー家族のところに引っ越し、そこに住んでモルモン書の翻訳を続ける。

6月 ニューヨーク州セネカ郡フェイアット:ジョセフはモルモン書の翻訳を修了する。3人の見証者が金版を見、天使モロナイも見証し、神の声を聞く。マンチェスター町:8人の見証者が金版を見、触ってみる。

6−7月 ハーモニー:ジョセフはエマの居る家に戻る。

 

1830年 24歳

3月26日 ニューヨーク州パルマイラ:モルモン書がE.B.グランディン書店で発売され始める。

4月6日 ニューヨーク州フェイエット:ジョセフ・スミスは公式に末日聖徒イエス・キリスト教会を設立する。神権の職である執事、教師、祭司と長老の職が発表される。(教義と聖約20章を参照)

6月28日 ジョセフは偽りの告訴で「風紀を乱す人物」として逮捕され、無罪放免される。

6月30日—1831年の3月 ジョセフはモーセの書(2−8章)を翻訳し続ける。

8月の最後の週:ジョセフとエマはフェイエットに引っ越す。

9月と10月  神の指示の元、ジョセフは最初のモルモン教の宣教師を召す。

 

1831年 25歳

1月2日 ジョセフはなぜ教会がオハイオに移動しなければならないかについての詳細にわたる啓示を受ける(教義と聖約38章)。主は、主の律法とエンダウメントについて約束する。

2月1日頃 オハイオ州ゴーガ郡カートランド:ジョセフはカートランドに到着、そこが次の7年間にわたって教会の本拠地になる。

2月4日  エドワード・パートリッジが最初のビショップとして召される(教義と聖約41章)。

2月9日 教義と聖約38章が成就する形で、預言者は「律法」を受ける(教義と聖約42章)。

4月30日  ジョセフとエマは双子ルイサとサディアスの出産を迎え、早産で、2人とも3時間しか生きられない。

 ジョセフは奇跡的に2人の女性を癒す。

5月9日  ジョセフとエマは、出産に伴って亡くなった母親の双子である新生児ジョセフとジュリア・マードックを養子として迎える。

6月3日 教会の4回目の総大会で、大祭司の職が発表される。

6月19日 ジョセフはそこを「シオンの地」として選定するためにミズーリに出発する。

7月20日  ミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンス:ジャクソン郡はシオンと神殿のある中心地として選定される(教義と聖約57章)。

8月3日 ジョセフはミズーリ州で神殿用地を奉献する。

9月12日 オハイオ州:ジョセフはポーテッジ郡のハイラムに引っ越す。

11月1日 ジョセフはそれまでに受けた啓示をまとめ、教会の会員はそれを「戒めの書」として印刷することを決意する。この本は今日教義と聖約と呼ばれる。

12月3日 ジョセフは自分とシドニー・リグドンを伝道に召すという啓示を受ける。彼らはカートランドを去り、オハイオ州南部で布教活動を始める。

 

1832年 26歳

1月10日 ジョセフとシドニーはカートランドに戻る。

1月25日  ジョセフは公式に末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長であり預言者として支持される。彼はその地位に亡くなるまで就任する。

2月16日 ジョセフはシドニー・リグドンとともに3つの段階の栄光についての示現を受け、死後の世界における生活についての教義が明らかにされる(教義と聖約76章)。

3月24日  オハイオ州ハイラム:ジョセフとシドニー・リグドンは夜中に暴徒によって捕えられ、体にタールと羽毛をつけられる。

3月29日  ジョセフとエマの養子として貰い受けた息子のジョセフ・マードックは、ジョセフがタールと羽毛をつけられた晩に、寒気にさらされたことがもとで亡くなる。ジョセフは、捕えられたときに病気の幼児を世話していた。そして赤ちゃんはドアを開けられ寒気が入るままの状態で一人残された。

10月-11月 ニューヨーク州アルバニーとマサチューセッツ州ボストン:ジョセフはニューウエル・K・ウイットニーとともに伝道する(教義と聖約84:114参照)。

11月6日   カートランド:ジョセフ・スミス三世が、ジョセフが東部での伝道から帰る数時間前に生まれる。

 

1833年 27歳

1月22−23日 カートランド:ジョセフは預言者塾を組織する(教義と聖約88:70−80,117−141)。

2月27日 ジョセフは「知恵の言葉」についての啓示を受ける(教義と聖約89章)。これはモルモン教の健康に関する規範。

3月18日 カートランド:ジョセフは大祭司の会長会のメンバーの中から教会の大管長会を組織する。ジョセフ・スミスが会長、シドニー・リグドンとフレデリック・G・ウイリアムズがその顧問に召される。

6月1日 カートランドの神殿の建築が始まる。

7月23日 カートランド:神殿のすみ石が据えられる。

10月5日-11月4日 ジョセフはペンシルベニア、ニューヨーク、カナダの一部に伝道する。

11月22日 ジョセフはシオン(ミズーリ州ジャクソン郡)から聖徒が追放されたこととミズーリ州での暴徒の攻撃の悲惨な結果についての知らせを受ける。

12月18日 巡回伝道者ないしは祝福師の神権の職が発表される。この神権時代の最初の祝福師の祝福がジョセフの両親、3人の兄弟、オリバー・カウドリにあたえられる。

 

1834年 28歳

2月17日 カートランド:教会の最初のステークがジョセフを会長として組織される。

2月26日  啓示に添って、ジョセフはシオンのキャンプに対する参加者を募り、一群の男性がミズーリに向かって、ジャクソン郡から追い出されようとしている聖徒たちを 助ける(教義と聖約101章と103章を参照)。

5月8日 ジョセフはミズーリに向かって出発し、シオンのキャンプの2つの分隊の一つを率いる。

6月22日 「フィッシング・リバー」の啓示(教義と聖約105章)により、シオンのキャンプは解散する。

7月 ジョセフはキャンプ解散後、カートランドに戻る。

9月1日 ジョセフは自分でもカートランド神殿の建設に従事する。

10月 ミシガン州ポンティアック:ジョセフはそこの聖徒を訪問する。

 

1835年 29歳

2月14日  ジョセフは十二使徒定員会を組織する。

2月28日 ジョセフは七十人定員会を組織する。

3月28日 ジョセフは神権に関する啓示を受ける(教義と聖約107章)。その中で神権の各職の責任が概説される。

7月9日 その目的のために聖徒から寄付されていた資金を使って、マイケル・チャンドラーからエジプト人のミイラとパピルスが購入される。

7月19日  ジョセフはチャンドラーから入手したパピルスの翻訳を始める。その翻訳は高価な真珠のアブラハム書となる。

9月  教義と聖約の初版が完成する。

 

1836年 30歳

 1月21日 ジョセフは日の栄えの栄光についての啓示を受け、彼のなくなった兄アルヴィンが天国に居るのを見る(教義と聖約137章)。彼は神が義人で福音をまだ受けていない人たちも救われることを知る。

3月27日  ジョセフはカートランド神殿を奉献する(教義と聖約109章参照)。

4月3日  ジョセフとオリバー・カウドリはカートランド神殿で一連の示現を受ける。主が御姿を現され、神殿を受理なさる。モーセはイスラエル集合の鍵を回復する。エライヤスはアブラハムの福音(永遠の家族の秩序)の神権時代の鍵を回復する。エリヤが神権の完全な結び固めの鍵を回復する(教義と聖約110章)。

6月20日  カートランド:フレデリック・グレインジャー・ウィリアム・スミスがジョセフとエマ夫妻に生まれる。

7月25日—9月 マサチューセッツ州サレム:ジョセフは伝道に従事する。

11月2日 ジョセフはカートランド・セイフティー・ソサエティー銀行を組織する助けをする。

 

1837年 31歳

5月 カートランド:1837年の経済的な恐慌に始まって教会の中に大きな分裂が起こり、多くの銀行(上記の銀行を含む)が倒産する。多くはジョセフのことを堕落した預言者と呼ぶ。

6月 ジョセフは英国に宣教師を派遣する。彼らは7月19日に到着する。

 

1838年 32歳

1月12日 ジョセフはそこで起きた聖徒の背教に絡んだ暴徒の攻撃を逃れるためカートランドを去る。彼はノートンで家族が一緒になるのを待つ。彼は自分を脅している暴徒によって200マイル近くも追跡される。

3月14日 ジョセフはミズーリ州コールドウェル郡ファーウエストに家族と一緒に到着する。

6月2日  ミズーリ州ファーウエスト:アレクサンダー・ヘイル・スミスがジョセフとエマに生まれる。

7月4日 ファーウエスト:神殿のすみ石が据えられる。

7月8日  ジョセフは什分の一に関する啓示を受け、教会の慣例の一部に定める。

8月6日 ミズーリ州デイヴィース郡ギャラティン:末日聖徒の何人かは、奴隷制反対に投票しようとして、選挙の日の暴力に苦しめられる。

10月9日 預言者の記録によると、末日聖徒のますます激しくなる暴徒の暴力から政府が保護してくれるようにとの請願に対し、リルバーン・W・ボッグズミズーリ州知事は、「争いはモルモンと暴徒の間のこと」と答えてとり合ってくれない。

10月25日 クルーク・リバーでの戦いで、十二使徒のデヴィッド・W・パッテン長老とミズーリ州の兵士1人が殺される。

10月27日 ミズーリ州ジェファーソン市:末日聖徒が過激な行為にでているという偽りで誇張した報告に対応して、ボッグズ知事は「撲滅令」を発令し、命を奪うという脅迫を与えることで聖徒を拷問にかけ、ミズーリから追い出すことを許す。

10月30日 ミズーリ州デイヴィース郡:ハウンズ・ミルにおいて、末日聖徒が死傷者を出すような攻撃を受ける。

10月31日 預言者と他の教会の指導者が、ファーウエストを包囲しているミズーリ州兵の指導者との平和的交渉という建前で会合している間に牢獄に入れられてしまう。

11月1日 恣意的に、何の根拠もなく、預言者に死刑が宣告されるが、突発的な軍事裁判において、「モルモンに対する見せしめ」ということで判決がなされる。アレクサンダー・W・ドニファン将軍の勇気ある発言で、預言者の命は助かる。

12月1日 ミズーリ州クレイ郡:リッチモンにおける突発的法廷の後、預言者と他の数名はリバティーの牢獄に入れられ、国家に対する反逆と殺人の偽りの嫌疑で、審判されるのを待つ。国家に対する反逆罪とは、聖徒が暴徒化した民兵に抵抗したことで、殺人罪の方は、クルークト・リヴァーにおける民兵の死に対するものであった。ジョセフ・スミスはそれに加担したというものであったが、実際彼はそこには不在であった。

 

1839年 33歳

3月20日—25日 リバティーの牢獄の中で、ジョセフは教義と聖約の121,122,123章の啓示を受ける。

4月16日 ミズーリ州ブーニー郡コロンビア:法廷への途中(会合場所を変更することに成功した後)、ジョセフは守衛によって出獄することを許される。

4月22日 イリノイ州アダムズ郡クインシー:ジョセフは自分の家族のもとに戻る。

5月1日 イリノイ州コマース(後のノーブー):ジョセフは聖徒が生き延びられるように土地を購入する。

6月27日—8月8日頃 ジョセフは彼らの英国への2番目の伝道に先立ち、十二使徒定員会のメンバーに教える。

7月21−22日 イリノイ州ノーブーとアイオワ州モントロース:マラリアで苦しむ聖徒の間で大いなる癒しが行われる。

10月29日 1839年 ワシントンD.C.:ジョセフはミズーリ州の聖徒の惨状に対して是正を要求するため、国会に赴く。マーチン・ヴァン・ルーレン大統領(11月29日)および国会議員何名かとの面会は実を結ばない。

 

1840年 34歳

6月13日 エマはドン・カルロス・スミスを出産する。

4月15日 最初の死者のためのバプテスマが執行される。ジョセフはその儀式が有効なものであると宣言する。

9月14日 ノーブー:ジョセフ・スミス・シニアが亡くなる。

10月3日—4日 大会が開かれる。ジョセフはノーブーに神殿を建てること、死者のためのバプテスマ、あらゆる種類の儀式の回復について話す。

 

1841年 35歳

1月19日 ジョセフは聖徒がノーブー神殿とノーブー・ハウスを建てるための指示を受ける。鍵となる神権指導者が指定される。死者のためのバプテスマの儀式が正式に導入される(教義と聖約124章)。

2月1日、4日 ジョセフはノーブー市の評議会員に選出され、ノーブー軍(市の民兵組織)の中将に選出される。

春 ジョセフは、エライジャによって回復された鍵を使って最初の永遠の結婚を実施する。

4月6日 ノーブー神殿のすみ石が据えられる。

6月5日 リバティーの牢獄に逮捕収監されたことに遡る反逆罪と殺人の偽りの嫌疑で、再び逮捕されるが、その時意図されていたことは、彼をミズーリに送り裁判を行うことであった。その令状は1841年6月10日に反古とされた。預言者が述べたところによると彼の弁護は「ミズーリでの告訴は詐欺、賄賂、強要によって得られたものであって、そのすべてについて私は証明する備えがある」という根拠に基づいていた。ジョセフは釈放される。

8月7日 ノーブー:ジョセフの弟ドン・カルロスが亡くなる。

8月15日  ジョセフの息子ドン・カルロスも14ヶ月で亡くなる。

11月8日 ジョセフはノーブー神殿の地下にあるバプテスマフォントを奉献する。

 

1842年 36歳

1月5日 ジョセフはレッド・ブリック・ストアーと呼ばれる万屋を創業し始める。

2月6日  ジョセフとエマの息子が死産する(名前は付けられず)。

2月15日 ジョセフはノーブー紙「タイムズ・アンド・シーズンズ」の編集長になる。

3月1日 ジョセフはアブラハム書を出版し始める。信仰箇条がタイムズ・アンド・シーズンズに掲載される。

3月17日  ジョセフは女性たちを組織し、ノーブーの女性の扶助協会を組織する。

5月4日 ノーブーのレッド・ブリック・ストアーの2階で、最初の長いエンダウメントの儀式を執行する。9人の男性が参加するが、その中にはブリガム・ヤング、ヒーバー・C・キンボール、ウイラード・リチャーズが含まれている。

5月19日 ジョセフはノーブーの市長に選ばれる。

8月6日 ジョセフは、聖徒が引き続き迫害を被り、ロッキー山脈に追い出され、そこで偉大な民になると預言する。

8月8日 ジョセフはミズーリ州の知事リルバーン・W・ボッグズを殺害する行為の共犯者であるとの偽りの嫌疑で、根拠のないままの逮捕状発令の後、逃避生活に入る。それらの告訴は教会のミズーリにおける敵たちは無期限で、預言者を捕捉する行為に移ることを示唆している。

9月1日、6日 手紙で、ジョセフは死者のバプテスマの執行の仕方について新しいガイドラインを発表する(教義と聖約127,128章)。

12月21日 ジョセフは自分が、偽りの告訴に直面するためにミズーリに戻ることが法律上要求されるか否かを廻る裁判に出廷する。ジョセフをミズーリに送ることは法に反することが確定し、ジョセフは釈放される。

12月26日 ジョセフは任意でノーブーでの逮捕に降伏する。ミズーリにおけるリルバーン・W・ボッグズの殺害のとんでもないでっち上げの告訴に基づいた逮捕状である。

 

1843年 37歳

1月5日 ジョセフはスプリンフィールドの連邦判士により、彼がイリノイの市民であることから、その逮捕からは逃れるという理由で、釈放される。

5月28日  ジョセフはエマ・スミスとこの世と永遠にわたって結び固められる。

7月12日 日の栄えの結婚についての啓示が記録される(教義と聖約132章)。

12月 預言者は彼の不在の間、ブリガム・ヤングが神殿の儀式を監督するように委任する。

 

1844年 38歳

1月29日 預言者は合衆国大統領の職に立候補することを発表する。

2月20日 ジョセフは十二使徒に教会を総括する方法について指示を与え、西部に聖徒のための新たな定住先を探し出す捜査隊を準備することについても指示する。

 3月  預言者は十二使徒に最後の責任を与える。その中で王国の業に就いての責任を彼らの背に負わせる。

4月7日  キング・フォレット説教(ジョセフは、キング・フォレットの葬式でこのスピーチをしたのでこの名前がある)として知られる説教を行う。これは教義としての画期的な意義をもつ。

6月7日 「ノーブーの解説者」が出版され、ノーブーの人々に怒りと恐れをかき立てる。怒りは預言者への中傷により、またその他の教会の指導者への非難に対してである。恐れはその論調により、ノーブー憲章を無効にすることで、聖徒の手から地元の政権を奪ってしまおうと呼びかけていることによる。

6月10日 イリノイ州によって市に許されているノーブー憲章のもたらす特典の範囲で活動をしているとの結論を受けて、ノーブー市の評議会は1つの条令を可決して預言者を市長として、「ノーブーの解説者」を「妨害」行為として排除する権限を与えることにする。かくして、その出版社は取り壊しになる。

6月24日  ジョセフはハイラムとともに、「暴動の誘因」(ジョセフがその当時合法的に「ノーブーの解説者」を取りこわした行為に対する表現)という告訴に対してイリノイ州ハンコック郡カーセージの警察本部長の元に自首する。預言者はそれからノーブーにおける軍事法を宣言したかどで、反逆罪に問われる。

6月27日 ジョセフはカーセージの牢獄で兄のハイラムとともに殉教する。それはイリノイ州ハンコック郡で、その牢獄を担当する暴徒によって殺害される。

6月28日 ジョセフとハイラムの葬儀が行われる。

6月29日 ジョセフとハイラムの身柄はノーブーで埋葬される。

11月17日  デヴィド・ハイラム・スミスがジョセフの死後エマに生まれる。

 

 

この記事はdwhiteによって書かれ、historyofmormonism.comに投稿されました。