わたしたち1人1人は特別な神の子供であり、その価値は計り知れないというのがモルモン教で教えられていることです。わたしもその教えを信じていますが、自分に自信がなくなった時は、どうしても自分と人を比べてしまいがちです。今日はわたしの身に実際起こった出来事と、そこから学んだうらやむことについての教訓をご紹介します。
火曜日の夜、インスティテュートでのことです。わたしの目に留まった青年がおしゃべりをしに来てくれました。一緒にいたわたしの親友は、わたしが彼とうまくいくように脇役を務めることにしました。でも、思ったようにいきませんでした。わたしはすぐに彼の関心が変わったことに気づきました。その素敵な青年は、わたしの友だちに興味を持ってしまったのす。彼はすぐに親友のフェイスブックのページを見つけると、数日後にはデートに行くよう誘ったのです。彼女はそれを受け入れ、2人は楽しい時を過ごしたようです。それから間もなくして、わたしの友だちがそのことについて興奮気味に知らせに来ました。わたしの中のうらやみという名の怪獣がささやき始めたのは、その時からでした。
サタンとの格闘
最初のうち、わたしは思ったより上手にその事態に対処しました。純粋に彼女のために、また彼女の生活に訪れたすばらしい祝福を喜びました。でも、彼女のあるコメントによって、わたしは傷つきました。その時、わたしはとても疲れていました。そして、感情がとても高まっていたので、そのことについて話すよりは寝た方がいいと思いました。
わたしは横になって寝ようとしましたが、消極的な傷ついた気持ちに圧倒されました。サタンがわたしの心の状態をよく分かっていたことは明らかでした。自分の生涯での1つ1つの事柄を心の大きなスクリーンに映し出し、彼女と自分自身のことを比較し始めました。それから1時間ぐらいして、やっと自分の気持ちを鎮めて眠ることができました。
朝になると、状況はずっと明るくなっているように思われました。わたしは一日中、怒りや苦しい気持ちをなくす方法を学べるように祈りました。主はそれがなくなるように助けてくださいました。主のおかげで、自分の人生に対する気持ちはかなり良くなっていました。すると、まるでわたしが進歩しているまさにその瞬間をサタンが分かっているかのように、傷ついた気持ちや心痛がわたしの心にすぐ戻って来たのです。
この状況でだれも間違ったことをしていないと、頭では分かっていました。自分にとっては理想的な成り行きではなかったのですが、事態はもっと悪くもなり得たのです。わたしは友だちが主から祝福されているとは分かりましたが、自分の気持ちは慰められていませんでした。正直に言って、自分が一体どのように感じていたか、はっきりとは分かりませんでした。とにかくあまりいい気持ちではありませんでした。
祈りの答え
ひざまずいて祈り、懇願しているときにジェフリー・R・ホランド長老の話の中の1行が心に浮かびました。「人に付け加えられても,自分のものが取り去られるのではありません。」この言葉について深く考えていると、そのお話を全部読んだ方がいいという気持ちになりました。ホランド長老はさらにこう述べています。「わたしたちは,豊かさや才能,美しさ,祝福の多さを競っているわけではありません。」
それこそわたしに必要なメッセージでした。ホランド長老が、自分の心にあって言えなかったことを表現してくれていると感じました。わたしは友だちのことをうらやましいと思っていたのです。わたしは2〜3日の間、自分がまるでレースに出ていて、なぜかゴールの前でつまずいてしまった犠牲者のように感じていました。親友がお化粧もせずにスウェットのズボンをはいていながら、だれかを簡単に魅了してしまったことをうらやましがっていました。彼女が持つすべての良い特徴をうらやましがっていました。わたしにもあったらいいなと思っていました。彼女が異性と容易に話せることがうらやましかったのです。要するに、彼女の成功がうらやましかったのです。
うらやむことから学んだこと
問題の根っこを見つけてからは、この木を切り倒すことはずっと容易でした。彼女が成功したということは、わたしが失敗したという意味ではないということに気付いたのです。時々、自分が欲しいと思っていることと、自分にとって最も好ましいものは違っています。それはタイミングの問題です。わたしはこの経験に感謝しています。時には、この出来事が無くなれば良いのに、と思うことを経験することで、わたしたちはもっと学び、より良い人になることができると理解しました。
幸せなことに、わたしはもう親友のことをうらやましく思っていません。わたしはこのような教訓を得たことに感謝しています。神が御霊を通してわたしの心に答えを送ってくださったことに感謝しています。わたしは喜んで自分のために引き立て役になってくれた親友に感謝しています。わたしは神様がわたしたちを愛しているがゆえに、時々「いいえ」と言われることに感謝します。
うらやましくなった経験がありますか?どのようにして、そういう気持ちを克服できましたか?どの聖句、引用、あるいはお話がこのトピックを研究するために役立つか、ぜひコメントしてください。
この記事はアシュリー・デューイ によって書かれ、LDSブログに投稿されました。翻訳者は有泉芳彦です。