宗教に限らず、生き方や哲学など何かを信じていても、自分の信じている気持ちについて悩むことがあると思います。今回は福音に関して、一度受け入れたのに信仰が弱くなっている人が自分を見つめる方法を紹介します。
なぜ信仰が弱くなるのか
例えば、この教会の歴史、理解や同意できない教会の方針、あるいは自分が待ち望んでいた劇的な瞬間を見いだせなかったなど、一人ひとりが疑問や懸念に直面する時があるでしょう。
そんな気持ちを抱いたからといって、あなたが不信仰というわけではありません。あなたが何か間違ったことをしているわけでもなければ、信仰が弱まっているから今まで大切にし、生きがいにしてきたすべてを捨てるべきだということでもありません。
あなたの人生の中で、今まさに信仰が本当に必要ということなんです。理解できないことを乗り越えるために信仰があるのです!
古い小説の『ジェーン・エア』の中で好きな言葉の一つは、この物語のヒロイン、ジェーンの言葉です。愛する男性に誘惑され、自分は間違っていると思うことをするよう言われた時、ジェーンはこう答えました。
「法と原則は、誘惑のない時代のためのものではないわ。それは…このような瞬間のためのものよ。 わたしが自分の都合に合わせて法と原則を破っていいなら、それらに一体どんな価値があるの?」
ジェーンの場合はモラルを守ることでしたが、特に問題がないなら、信仰を持つことは結構簡単です。しかし、問題があったり難しい時に最も重要になるんです。もしちょっとだけ疑いの兆しが見えたために、それまで信じてきたことをすべて捨ててしまうなら、信仰に何の価値があるのでしょうか?試されたことのない信仰は、本当の信仰ではないのです。
もしあなたの信仰が弱っていると感じても、希望を失わないでください。たとえ信仰がとても小さいと感じても、自分が持っている信仰を捨てないでください。そして、「何か間違ったことをしているのだろうか」「教会を去るべきなのだろうか」と問う代わりに、次の5つの質問を自分に問いかけてみてください。
1.モルモン書が真実だと信じていますか?
現在、モルモン書が真実だと信じているとは言えない、あるいは確信が持てないのであれば、真実であるという証を得た時のことを思い出してみてください。その証を得るために何をしたのか、そしてその時と同じ手順を繰り返しているかについて考えるんです。
モルモン書の証がないなら、どうすれば証を得られるか自問してみてください。もちろん、「真実ではない」と神様に尋ねることはできますが、受け取った答えに基づいて行動する意志はありますか?「(神様を)知るために(自分の)すべての罪を捨てる」覚悟がありますか?もしそうでなくても大丈夫です。でも、答えが返ってこなくてもがっかりしないでください。
そしてこれは重要な注意点です。自分が経験した霊的な体験を否定しないでください。モルモン書に登場するレーマンとレミュエルは、自分たちが見た天使や分かりやすい解釈を得た瞬間をすべて否定し、言い逃れました。ですから、振り返った時に「ああ、あのときは分かっていたと思ったけど、本当にそうだったのだろうか 」と考えないでください。自分自身を疑わう代わりに、今の自分の人生は当時と何が違うかよく考えてみてください。どうすれば以前のような経験を再現できるのでしょうか?
2.教会が真実でない理由だけでなく、教会が真実である理由も同じ熱意で調べていますか?
これまで何度も何度も、人々が教会歴史の間違い探求という終わりのない作業に落ちていくのを見てきました。わたしたちの信条に反することや、真実かどうかわからないようなことに出くわすのです。そして、教会が真実ではないという結論をさらに証明するために、ほかの証拠を探し続けます。
しかし、教会が間違っている理由を探すのと同じように、教会が真実である理由を積極的に探しているでしょうか?この二つに同じ時間とエネルギーを費やしていますか?教会が真実であるかどうかを真剣に確かめようとするなら、福音の教義、奇跡、良さが、否定的に見える事柄を完全に上回っているとわたしは信じています。
3.神様の御心を行い、戒めを守っていますか?
ヨハネによる福音書7章17節で、キリストはユダヤ人たちにこう約束しました。「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教えが神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。」直訳すれば、キリストがあなたに求めていることを実際に行うなら、キリストの言っていることが真実か嘘かを見分けることができる、ということです。
神様が求めたことを実行せずに答えを求めるのは、体重を減らしたいのにライフスタイルを変えないようなものです。体重を減らしたいのであれば、一定の原則に従わなければなりません。運動してカロリーを制限して、それを継続します。福音が真実であることを知りたければ、あなたも神様の戒めという形で継続して原則に従う必要があります。
その後、求めている結果や答えを得ることができます。
4.教会が真実であって欲しいと思っていますか?
この教会が真実であることを望みますか?この信仰に伴うすべての責任と戒めを受け入れたいですか?それとも、自分の人生に何らかの問題があるために、この教会が真実でない理由を探しているのでしょうか?
自分には合わないと感じていたけど、好きだったから付き合ったという経験はありますか?わたしはあります。自分の直感や周囲が何と言おうと、きっとうまくいくと自分を説得し、その人との相性がいい理由を探しました。実は普段はわたしのことをないがしろにしていたのに、たまにある優しい部分に集中していました。
教会を信じるということでも同じことが起き得ると思います。例えば、教会に興味がある人が本当にお酒を飲むのが好きで、それをどうしても諦めたくないとします。それは自然なことで、その人が悪くて不誠実な人だということにはなりません!
しかし、その大好きな飲酒という習慣を手放したくないために、その習慣を手放さずにすむように、教会が真実でない理由を探すのです。教会が真実でない理由を熱心に探すので、教会が真実であることをすべて見逃してしまっています。基本的に、教会が真実であることを望んでいないので、真実でない理由を探して見つけているのです。
その逆の場合もあると思います。もし教会が真実であることを望むなら、その理由を見つけて、疑いの兆候を完全に無視するということです。結局のところ、真実でなければ、ある教義を聞いた時のあの素晴しい気持ちを感じるとは思えません。御霊がそばにいなければ、わたしに危険を警告したり、ひどく落ち込んでいる時に平安や慰めを感じるとは思えません。
偏見なく真理を探究する人なら誰でも、3つ目に紹介したように、神の御心を行い、神の戒めに従えば、真理を見出すことができると信じています。
5.良いことは悪いことを上回るのか?
2番目の質問でこのことを簡単に取り上げていますが、より深く掘り下げることが必要だと思います。福音の良い面が、あなたが苦手とすることを上回っていますか?教会には悪いことよりも、より良いことの方が多いでしょうか?
福音が強調する優しさ・愛・平和は、悪から来ているのでしょうか?福音はキリストとその教えに従うことに重視していますが、それはただ盲目的な服従を作り出すための戦術なのでしょうか?
そうは思いません。福音にはわたしたちが知らないこと、今、あるいはこの人生で理解できないことがあります。しかし、ジェフリー・R・ホランド長老が感動的にもこのように語っています。
「兄弟姉妹、これは現在進行している神の業です。その中のあちこちに現れや祝福があふれているので、時々、検討し、理解し、解決しなければならない問題が発生しても、どうか過剰に反応しないようにしてください。問題は今も発生し、これからも発生します。この教会では、わたしたちが知っていることの方が、知らないことよりも常に大切です。また、この世界では、すべての人は信仰によって歩まなければならないことを覚えておいてください。
ですから人間的な弱さに優しくあってください。自分の弱さに対しても、死すべき肉体を持つ男女のボランティアによって率いられるこの教会で皆さんとともに仕える人々に対してもそうです。神の完全な御子を除けば、神は不完全な人間を通してその業を行ってこられました。それは神にとって大変な忍耐を要することでしょうが、それでも神はそのようにしておられます。わたしたちもそうするべきです。また、欠点を見たときには、この業の神聖さに欠点があるのではないことを覚えておいてください。ある才能のある作家がこのように言っています。無限の油が注がれるときに、限りある器でそのすべてを受け入れられないからといって、油のせいにしないでください。この限りある器はまさに皆さんやわたしです。どうぞ忍耐強くあり、親切で、赦す心を持ってください。」
(ジェフリー・R・ホランド「主よ、信じます」『総大会』2013年4月)
疑問があったり悩むことがあっても大丈夫です。でも、信仰を手放す前に以上の5つの質問を自分に問いかけ、正直に答えてみてください。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、キリストがこの地上に回復された教会であると心から信じています。そう信じているおかげで、悲しみや心痛、無力感や絶望感、心配や悩みなどのあらゆることを乗り越えることができました。信仰がわたしの人生をより良いものにしてくれました。あなたが証を取り戻したり強めようと努力する時、信仰があなたの人生をもより良いものにしてくれることを心から願っています。