旅路

旅路

私の好きなモルモン教の賛美歌の一つは、「みたまはわれに」です。

聖霊についての賛美歌

この曲は単純で、心なごむ賛美歌です。メロディーは快く、私には子守唄を思い出させます。しかしこの賛美歌の教えてくれる教義は力強いものです。私は、その歌われている教えのために、この賛美歌はもっと静かな思考を促すように構成されていることが興味深いと思います。3番目の歌詞で次のように記されています。

「みたまよわれを いやしたまえや

おのれを清め み旨をなさん」

私の生涯を通して、このようにするのがたいていの場合、私が聖なるみたま、聖霊を感じる方法です。ほとんどいつも、それは優しい促し、やさしく突き動かされる気持ちです。たいてい、突然のひらめきで、静かな「わかった!」と叫びたくなるほど自分の必要としている問題の答が心に浮かんで来ることです。

 

車の旅で受けた啓示

一つの例をあげます。ある時夫と車で旅をしました。私たちは夫の近い先祖のゆかりのある博物館のある州に通りかかっていました。彼は私にそれを見せたいと興奮気味で、彼自身そこに行ったのは小さい時1度だけでした。その博物館は1週間に1度だけ、限られた時間しか開館しないので、それに合わせて旅を計画しました。

出発した時、少し遅れていました。そして計算してみると、閉館時間に間に合わないことが分かりました。夫は見るからにがっかりしていました。この後は何年も機会がないだろうという状況下でしたので、そう感じるのも当然でした。博物館は丁度改築されたばかりで、新たな研究とたくさんの新しい内容が付け加えられ、夫が一度も見たことのないものを展示していました。彼はまたそれを私に見せたかったのです。私もそれは惨めな気持ちになっていました。どうしたら良いか分かりませんでした。それで、私は心の中で祈ることにしました。助手席で目立たないように頭を下げ、天の父に非常に熱意を込めて祈りました。その祈りとは次のようなものでした。

「愛する天の父なる神様、私たちはこの旅にでていることで本当に幸せで、行くことが出来ることに感謝しています。私たちは遅れているので、博物館に間に合って着くことが絶対出来ないのでとても悲しいです。私はそこに行きたいという望みは正しいものだと思います。私の夫の家族の所ですし、彼にとってとても大切なことだからです。私は謙遜に奇跡が起こるようにお願いしてもよろしいでしょうか。時間どおりにつくことが出来る方法を授けて下さいませんか?」

それからふさわしい方法で祈りを締めくくりました。通常、私の祈りで、最善を尽くして、その問題に自分の解決方法を述べることにしています。そして、私が主の前に努力すること、そして主とともに行動を起こすことにしています。しかし、この場合、そこで私が考えつく唯一の方法は、すべての車がわきにどいてくれ、すべての警察官が消え、高速で目的地まで行けることでした。そのようなことは起こりそうもありませんでした。

それから、5分も立たないうちに突然アイデアが浮かびました!電話を取り出し、その博物館の連絡方法を捜しました。夫にその計画を説明する間もなく、ダイヤルして、電話を耳に押し付け、私の目を輝かしながら夫を見ました。

電話に答えがあった時、私は「リヴィー・ウィットカーの魔力」(記事の著者のこと)を出来るだけ働かせ、大学で習ってきたスキルを使って、閉館後に私たちに個人的なツアーをもうけてもらえるように依頼したのです。

私の夫はものすごく驚き、安心しました。私は心の中ですぐに自分の背中を軽くたたいてよくやったと言い始めていました。自分がそのような考えを思いつくなんて何と賢いのだろうと考えていました。そして、何とスムーズに彼らを説得して私たちを助けてもらえるようにしただろうかと考えていました。

でもその時、突然、私は祈りが答えられたことに気付き、謙遜になりました。私はすぐさま、私たちが博物館に間に合って到着できるように祈ったほとんど直後にアイデアが生まれたことに気付きました。奇跡を祈り、ほどなくしてそれが起こったのです。そして、私は自分自身を祝っていました!私の考えをたどってみて、そうなったことが明らかでした。一連の考えは、リヴィー、自分はPR(協力を求める方法)のことを知っている、自分は人間関係のことがうまい。電話して、状況を説明したらどうですか?私が思い出すのは、彼らに語った特別な内容は、私の頭の中にそのような考えが起こったからです。その時の考えの道筋は、「博物館の館長に自分たちが博物館の名前の由来になっている家族の子孫で、別の州から向かっていること、今博物館の住所をGPSに入れてあり、その示すところで正確な到着時間を伝えること」というものでした。

何が起こっているのかはっきり認識しないまま、私はこれらのすべての促しに従いました。そして、奇跡が起こったのです。そして、私が確信しているのは、天の父が電話の向こう側の人たちにも聖霊の力を通して霊感を与えていたということです。

私がこれらのことをすべて考えてみた時、私が高慢になって過ちをしたことに気付き、直ちに夫に向かって、自分の力で出来たのではないのに自分のことを自慢してしまっていたこと、この奇跡が起こる前に祈ったことと霊感が与えられたことを告白しました。それから、頭を下げて、夫と私のために祈って、私のことで赦しを乞い、宇宙のこのように小さなこと、といってもそのときには私たちにとってはとても大切なことのために、すばらしい奇跡を起こして下さったことに心から天の父に感謝をささげました。

 

聖霊は私たちの精神を啓発し、心に平安を語りかける

イエス・キリスト

イエス・キリスト

このように聖霊は私に語りかけます。聖霊は私の精神を啓発し、アイデアを与えてくれます。聖霊が宿るときには、私は決定が良いか、悪いか、正しいか、又は間違っているかが識別できます。これが私の指針です。

啓示についての好きな聖句の一つは教義と聖約6:21−23です。

「見よ、わたしは神の子イエス・キリストである。わたしは自分の民のところに来た者である。そして、民はわたしを受け入れなかった。わたしは暗闇の中に輝いている光である。そして、暗闇はそれを理解しない。まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたはこれ以上の証を望むならば、これらのことが真実であるのを知ろうとして心の中でわたしに叫び求めた夜のことを思い出しなさい。わたしはこの件についてあなたの心に平安を告げなかったであろうか。神からの証よりも大いなる証があるであろうか。」

私はそれを信じています。私は、必ずしも天使の訪れや、稲妻や、海が2つに分かれることが答えとして必要ではないと思います。もっとも意義深い証は、心と精神に来る神からの平安だと思います。

 

まとめ

記事のタイトル:聖霊と車の旅の啓示

要旨:聖霊が私に語りかける方法は、静かで小さな促しや啓発されるようなアイデアや思いが心の中に入って来ることです。

リヴィー・ウィットカーは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(「モルモン」の女性)で、アイダホに住んでいます。彼女は2007年の1月2日に国連での仕事について以来、ニューヨーク、イタリア、アイダホでさまざまな専門的なコミュニケーションの仕事をしてきました。目下、リヴィーはフリーランスの著作活動に献身しています。小さいときから書くことに熱中していて、日記は物心つき始めてからずっと書いています。それでも、もっとも充実した著作活動はモア・グッド・ファウンデーションのために、自分の信条をオンラインで伝える活動をすることだと思っています。