神の宮である神殿において、モルモン教の会員はイエス・キリストに対する献身についてより高度な聖約を結びます。参入するためには清い生活を送ることが求められ、長年に渡って神殿での礼拝を続けていくと、モルモン教の会員はもっとキリストに似た者になります。

 

モルモン教はなぜ神殿を建てるのか?

モルモン教の活動に注目している人は誰でも、モルモン教が神殿建設のペースを速めていることを知っていると思います。これは、当時預言者だったゴードン・B・ヒンクレーに与えられた啓示、すなわち教会の増大している会員たちにとって、神殿がもっと身近に建てられ参入しやすくなるようにという発表から始まりました。そうして世界中に小規模な神殿を数多く建設するようになりました。現在開館中の50の神殿が建つのには120年かかりましたが、51番目から100番目の神殿が奉献されたのは、わずか3年という短い期間だったのです。今日、85%のモルモン教の会員は神殿から3時間以内の距離に住んでいます。

末日聖徒イエス・キリスト教会の4つの使命は、1)聖徒(教会の会員)を救いへと導く、2)死者を贖う、3)イエス・キリストの福音を全世界に広める、4)貧しい人々や困っている人を助けることです。モルモン教の神殿は、最初の2つの目標に関連しています。

モルモン教の神殿は文字どおり奉献され、聖別された神の住まいです。モルモン教の会員によって最初に奉献された神殿は、オハイオ州のカートランド神殿でした。主はその神殿を主の家として受け入れられただけでなく、聖徒らに奇跡的な方法で御姿を現されました。それは神殿建設と神の王国をこの地上に築くことの先駆けとなりました。神殿の外にいた人々には、その屋根は火事で燃えているように光って見えました。多くの人々は天使を目にし、他の人たちは翼の羽ばたくような音を聞きました。多くの人々は預言しました。その一日後に、キリストがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに神殿の中で姿を現され、モーセ、エライアス、エリヤが現れ、再降臨の前に末日の業を備えるための神権の鍵を授けました。ある意味で、神殿は天と地を結びつける場所です。

モルモン教は「神殿の業」を行います。モルモン教の神殿内で行われる業は、神に対してより高度な聖約を交わすことです。モルモン教は神殿の参入して聖約を交わす前に、すでにその備えとなる聖約を交わしています。それはバプテスマを受けることで、キリストの名前を受け、いつも主を覚え、主の戒めを守り、信者の模範になることを約束します。彼らはこの聖約を毎週聖餐を取ることによって更新します。神殿に入るにふさわしくなるためにはバプテスマの聖約を守っていなければなりません。

会員は神殿の中で、亡くなった先祖のために身代りとして儀式に加わります。バプテスマのような儀式は霊の状態では受けることができません。それらは身体にかかわる儀式です。そのため、バプテスマを受ける機会がなかった死者のために、代わりにバプテスマを受けます。彼らは霊の状態で生き続けていると信じています。そして彼らには選択する権利があり、自分の意志によってこれらの儀式を受け入れることも拒むこともできます。

また、神殿では結婚の儀式が執行され、家族が永遠に結び固められます。わたしと夫はカリフォルニアのロサンゼルスにある神殿で結婚しました。モルモン教の神殿の中での永遠の結婚は、自分たちの生涯を通してこれらの聖約を尊ぶ限り、子供たちは永遠の家族として結び固められます。

 

どうして誰もが神殿に入れないのか?

何らかの理由で、他の宗教で実行されていることが受け入れられているにもかかわらず、モルモン教においてはそれが嘲笑の対象になっています。仏教の僧侶が仏門に入る儀式に参列したことがありますか?カトリックのカーディナル(枢機卿)はどうですか?そのような儀式が極めて特別で、厳粛なものだと心得ているでしょう。もし、一般人が招かれていないとしても気分を悪くすることはないでしょう。誰かがフットボールの試合に行くような格好で現れることは考えられません。儀式の内容がツイッターに投稿されるはずがありません。

モルモン教には、有給で働く訓練された牧師がいません。代わりに、教会員たちが聖なる召しを果たします。ふさわしい会員は神殿で聖約を交わす特権にあずかります。これらの聖約は天国に入るために準備し、神の子供たちに仕える助けとなります。

聖なる神殿で聖約を交わすと、より高度な律法に従って生きることが求められます。純潔、慎み、正直などの律法が守られていなければなりません。最初にふさわしさを示す標準が確立されていなくて、どのようにしてより高度な戒めを守ることができるようになるでしょうか。他の宗派の友だちの中には、なぜモルモン教は神殿に入るために什分の一(什分の一は収入の10%を払う)を完納していなければならないのかと不思議に思っています。しかし、単純な犠牲の律法にそって生きることのできないなら、神の務めを果たすために自分を捧げることができるでしょうか。

 

モルモン教の神殿への感謝

わたしの人生の最も麗しい経験のいくつかは神殿で起こりました。他の宗派を信じる友だちで、モルモン教の神殿のオープンハウスに行ったことのある人たちは内部の光と通気性の良さ、さらには神聖な雰囲気に驚きます。そこは世俗とは分離された場所で、純粋さと神聖さにおいてどのような宗派の教会の建物にも見いだせないほど特別な場所です。神殿では瞑想にふけり、主の宮の静けさと敬虔な落ち着きの中で啓示を受けます。神殿の儀式の基本は決して変わりませんが、その儀式の深い内容に目が開かれることは、長い年月の神殿参入によって徐々に起こり、神がその子供たちに備えられている永遠の計画を、より理解する助けになります。主はその全ての子供たちが神の宮に入るためにふさわしくなり、神聖な聖約を交わすように望んでおられます。全ての人が招かれ、全ての人が歓迎されています。

 

関連記事:

集会所と神殿:モルモンの礼拝方式

 

この記事はGaleによって書かれましたが、彼女は既にモルモン教の信条5の記事を投稿しています。ゲイルはモアグッド財団の編集役員です。彼女はモルモン教の改宗者です。