神殿に行くのは俗世から離れるすばらしい方法の一つですが、よく注意していなければ、心の中に世のものを持ち込んでしまいます。忙しい生活の中、時間という犠牲を払って行く神殿で、より良い、霊的な経験をするためには、どうしたらいいのでしょうか?習慣の1つになっている神殿参入を改善する6つのアイディアを提案します。

数週間前、わたしは非常に残念な神殿参入をしてしまいました。その時は、神殿参入が「しなければならない」事柄の1つになっていて、焦ってイライラしていました。ひどい頭痛も相まって、神殿に入る頃には疲れ切っていました。中に入ってからも、指でひじかけをせわしなく叩き、セッションが終わると大急ぎで神殿を後にしました。家に向かう車の中で自責の念にかられ、わたしは霊的なものを逃していたことに気が付きました。

毎週の神殿参入を習慣にしようとしていましたが、時々、霊的な糧を得られなかったと感じる週がありました。神殿に参入して儀式を受けるのは、断食と同じように、ある種の犠牲を払う必要があることは分かっていました。食事を断つ代わりに時間を捧げますが、いつも簡単にできるわけではありません。正しくない態度で臨む神殿参入は、あまり充実したものとはなりません。しかし、神殿参入は、亡くなった方の身代わりとして儀式を受けるわたしたちと、亡くなった方の双方にとって祝福となる、啓発される経験になり得るのです。

神殿で感じる御霊と、そこで交わす聖約を心から受けるためには、わたしたちはよく準備して参入し、中にいる間はよく集中する必要があります。わたしたちが自分にできる努力を精一杯することにより、神殿参入がいつも霊感あふれるものとなります。

1. 神殿参入前に、やらなければならないことを、できるだけたくさん片付けておく

わたしたちの多くは神殿を優先するようにしていると思いますが、時々、無計画に神殿に行ってしまうことがあります。主に自らを捧げる機会とする代わりに、まるで片付けるべき仕事のように、すでに忙しいスケジュールの中に投げ込んでしまいます。やり遂げなければならない仕事に急かされて、神殿参入をあまりにもせわしなく終わらせてしまい、中にいても集中できません。

神殿で、より気持ちを集中する助けとなるのは、参入する前にできるだけたくさんの仕事を片付けることです。自分がしなければならないことのプレッシャーが心になければ、主の宮にいる間、本当の意味で主を第一とすることができます。

時には忙しい一日に神殿参入を押し込むしかないことがあります。たとえそうであっても、わたしたちは心の中の「しなければならない」リストを忘れ、神殿の中ではさらに集中して、満たされた経験ができるように意識する必要があります。

2. 先祖の名前を持参する

かつてインスティテュートの教師から、神殿に自分の先祖の名前を持たずに行くのは、確認のための聖霊の賜物なしにバプテスマを受けるようなものだ、と聞いたことがありました。先祖の名前を持って行かなくても、神殿に入ることはすばらしいものですが、本当に神殿参入を完成させる鍵となる要素がないことになります。その教師の言葉はかなり衝撃的なものでした。その言葉はずっと心の中に残っていて、実際に神殿で儀式を受けることで、それが真実であると分かったのです。

神殿で身代わりの儀式を受けるための先祖の名前があるか、親戚に聞いてみるか、もしくはfamilysearch.orgで、儀式を待っている先祖の名前を見つける方法を学んでください。先祖の名前、特に自分が見つけた先祖の名前を持参するのは、エリヤの御霊の存在をさらに感じます。自分が、先祖を自分たち家族と永遠にわたってつなげていると理解する時に、それぞれの儀式はもっと個人的なものになります。さらに、神殿の「なぜ」について考える助けとなります。

先祖の名前を持参すると、わたしの神殿での経験が変化しました。そして皆さんの経験も、変わるでしょう。自分の家族への愛が増し、救いの計画への感謝と、自分がその計画の一部になっていることに、もっと感謝できるようになります。

3. 参入する前に、目的を持って祈る

神殿に参入する前に祈るのは意味のあることですが、祈ることを考えもしないことが、よくあります。祈りなしでは、わたしたちは神殿でほとんど導きを得ることができません。導きを受けることは、霊的に満たされるための重要な要素です。

神殿に行く前に、自分が身代わりになる死者がその儀式を受け入れてくれるように祈ってください。ほかの人々のために身代わりとして働いていることを忘れるのは簡単ですが、亡くなった死者には「いいえ」という選択の自由があるのです。死者が霊として幸福であることを、あなたは気にかけているということを、天の御父に知っていただきましょう。その方のために祈るとき、友人や隣人のために祈っているように、亡くなった方を愛するようになり、神殿で彼らのために儀式を受けることを感謝するようになるでしょう。

また、導きを必要とする問題への答えを祈り求め、苦しんでいる時には強さを祈り求めてください。初めてエンダウメントを受けた頃、わたしは耐え難い深刻な問題と闘っていました。今までそのようなことに関わったことがなく、わたしは恐れていました。再び神殿に行く準備をしている時、天の御父に、自分が人生の中で正しい決断をしており、問題を乗り越えることができると知りたくて、慰めを求めていました。2回目のセッションに入っていると、今まで感じたことのないような快い平安に圧倒されました。心の痛みと苦しみのさなかに、わたしは喜びを感じたのです。あなたは大丈夫ですよ。」という思いが心の中をぐるぐるとまわり、わたしはその気持ちを信じました。ほんとうに大丈夫と感じるまでは、しばらく時間がかかりましたが、わたしはその日、神殿で答えを得たのです。その時から、神殿に行くときは目的を持ち、祈りながら行くようになりました。そのように祈って神殿に行くと、いつも良い気持ちを感じます。

4. 参入する前に体の調子を整えておく

神殿参入は会員にとって義務ですが、ほかの義務と同様、わたしたちが一番調子の良いときこそ、最も良いものとなります。つまり、参入する前に霊的にも肉体的にも備えておくべきであるということです。

もし、わたしのように時々頭痛がしたり、ほかに調子の悪いところがある場合は、セッションで辛くならないように薬を飲んでおくのも良いでしょう。おなかが空いたりすると力が出なくなるなら、参入する前に食事を摂り、水をたくさん飲んでください。可能であれば、参入する前に少し運動して、心がリフレッシュして活気づくようにしてください。セッションに入る前にトイレを済ませておけば、自分が参加している儀式に集中する助けになります。肉体的に健康であり、事前に備えておくと、神殿参入がより快適なものとなり、天の御父があなたの心に授けたいと思っておられる啓示に備えられるでしょう。

5. 神殿を出る前に聖典を読みましょう

どの神殿に参入しようと、神殿には儀式を受ける前も、受けた後も聖典を読むところがたくさんあります。いつもセッションが始まる前に聖典を読んでいますが、このようにして時間を使うのはすばらしい方法です。最近まで思いつかなかったことですが、セッションが終わってからも聖典を読むことです。それは信じられないような経験でした。

神殿の儀式を終えると、わたしたちの心は御霊や今までなかった洞察に対して、より受け入れるようになります。儀式を終えたあとに聖典を読むと、儀式の前に読んだときよりも霊的に敏感になり、特別な思いを持って読むようになります。神殿は、霊的に波長を合わせて洞察や啓示を受けるには最も良い場所の一つですが、わたしたちのあまりにも多くが聖典に触れることもなく神殿を後にします。

聖典を読んでみてください!神聖な聖約を交わした後、どのような答えや洞察が心の中に流れ込んで来るか試してみてください。あなたは聖典を開くだけで、人生における重要な霊感を得るかもしれません。

6. 覚えておく

わたしの残念な神殿参入の後、この時感じた罪悪感はずっと続き、何度も何度も思い出しました。そして思い返すたびに落ち込んでしまうことを、母に話していました。すると、彼女が言ってくれた言葉に、とても謙遜な気持ちにさせられました。母は「あなたが身代わりとして働いた方は、今まで神殿の経験をしたことがないのよ。彼らは儀式を受けるためにずっと長い間待っていたの。」と言いました。それはまさに真実であり、わたしにとって驚くべき見解でした。

多くの会員が定期的に神殿に参入する習慣を持っていますが、時にそれが単なる習慣になり、いつもしていること、例えば歯を磨くことと同じになってしまいます。神殿参入が、わくわくするような楽しい機会というよりも、むしろ中で経験する霊的な出来事と聖約を交わすことに自己満足を覚えるだけになってしまう危険があります。身代わりとして受けている儀式が、その死者にとっては新しい経験であるということを覚えておく時に、わたしたちは神殿の美しさと力、そして聖約のすばらしい賜物を認識することができます。そして神殿参入が単なる習慣的な行いではなく、もっとすばらしい経験となります。

わたしたちが最初に参入したときにどのように感じたか、約束はどれほどすばらしいものであったか、感じた気持ち、受けた霊感をどれほど真剣に受け止め、その後どれだけ注意して導きに従って生活するようになったかを常に思い起こすなら、神殿参入はさらに豊かなものとなります。これらのことを常にわたしたちが覚えているならば、神殿に参入することで常に祝福を受けることができます。

そしてわたしの母が言ったように、「時間がない」と理由をつけて利己的になったり、ただスケジュールが忙しすぎて神殿の中でもイライラしてしまうときには、このことを覚えておくべきです。幕の彼方にいるわたしたちの兄弟姉妹は、誰かが自分の時間から2時間を犠牲にして、彼らのために儀式を受けるのを、何十年も何百年も待っています。この2時間が、わたしたちすべてにとって永遠になるでしょう。そのすばらしい贈り物を認識しないことは、わたしたちにとって恥ずかしいことなのです。

 

この記事はArianna Reesによって書かれ、ldsliving.com“6 Ways to Improve Your Temple Experience”の題名で投稿されました。

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