キリストと言えば、十字架。そしてクリスチャンであればそこに「贖い」や「贖罪」という言葉がセットでくる。でも、それってどういう関係があるか説明できる?
まず最初に…..
わたしたちはみんな、神の子です。神はわたしたちが幸せになる計画を用意されました。
【救いの計画】
前世ー神の御元で霊の存在として成長。
現世ー神は地球を「試しの時期」を過ごす場所として組織し、そこでわたしたちは骨肉の体を得て、自分の意思、つまり選択の自由を使って神の戒めに従って信仰を育んでいけるか、試しを受ける。
死ー肉体は墓に葬られるけど、霊は霊界で生き続け、復活を待つ。
復活ー完全な肉体と霊が再び結合し、わたしたちの存在は永遠に続く。
これだけ見ると、「キリストも贖い(救い)も要らなくない?」って思うけど…….
贖いは誰に必要か?
正解は「全員」です。笑
なぜかと言うと、全人類の歴史で最初に起こる大きな変化、「堕落」が起きたから。
堕落はアダムとエバがこの世に死をもたらすことによって起こりました。(詳しくはこちら)それによって、人は自由意志を持ち、自分の生き方を決めることができると同時に、物理的な影響も受けるようになりました。当然、間違いや失敗(神の目から見て「罪」)も犯す状態になったんだ。
「清くないものはそこに住むことができないからである。」(モーセ6:57)
神は人が悔い改め、清められる方法を備えてくださった。人が地上に足を踏み出す前に、イエス・キリスト(神の長子)はこの世で人によって犯される罪の代価を支払うことに同意なさいました。イエスは完全で罪のない暮らしを送られることで、人類を罪と死から贖う資格を与えられました。
わたしたちの日常的な用法では、「贖う」とは「購入するないしは返済を終わる;支払いあるいは他の満足させる方法で取り戻す」となっています。聖典によると、キリストは文字通り代価を支払って、人を罪と死の支配から「買い戻す」ことをなさったのです。
「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。」(1コリント7:23)
ゲツセマネの園、そして再びカルバリの十字架で、贖い主であられるキリストは堕落によってもたらされた個人の罪、悲しみ、病気、そして不当な扱いに対しての神聖な代価を支払われたのです。全く人の理解を超える方法で。これが、「キリスト」「十字架」「贖い」の関係ですね。
悔い改め(自分の罪を告白し捨てる)を条件に、悔いる人々はキリストの恵みを受け入れます。キリストの恵みにより、物理的にバプテスマ、聖霊の清めの力などの福音の儀式を受ける特権が与えられ、罪のある状態から清い状態へと生れ変わり、神の国に入る備えができるようになります。
「清くないものは、決して父の王国に入ることができない。したがって、信仰を持ち、罪をすべて悔い改め、最後まで忠実であることによって、わたしの血により衣を洗われた者の他には、父の安息に入る者はいない。」(3ニーファイ27:19)
贖罪による影響力
イエス・キリストの贖いの行為は、この世の悔いる人たちに清め、平安、そして希望をもたらしますが、贖いは永遠に及びます。これ、すっごく大切だから、もう一度言うけど、今、生きているわたしたちを清め、心を癒し、将来を明るく照らしてくれるのが、贖いなんです!!!そして、それは一生どころか、死んでも永遠に続くのです。
全人類に無条件に与えられる贖いの効力ー肉体の死からの克服(みんな復活します)
「彼、すなわちイエスは、世のために十字架につけられ、世の罪を負い、世を聖め、それをすべての不義から清めるために来た・・・。彼により創られたすべての者が、彼によって救われるためである・・・・。御父から御子を示された後に御子を否定する滅びの子らを除く、その御手によって造られたすべての者を救われる。」(教義と聖約76:41-43)
でもキリストは、悔いる精神のない罪人に贖罪の恵みを全て与えることができません。(そりゃ、そうだよね。笑)
「見よ、神であるわたしは、すべての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。しかし、もしも悔い改めなければ、彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。その苦しみは、神であって、しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が、苦痛のためにおののき、あらゆる毛穴から血を流し、からだと霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。」(教義と聖約19:15−18)
キリストの贖罪の条件:神の律法と儀式に対する個人の従順
贖いは、この世におけるものと霊的なものの両面で、「堕落」の影響を克服します。贖いなしでは、人の罪は完全に赦されず、再び神と共に住むことはできないのです。
「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」……すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな艱難をとおってきた人たちであって、その衣を子羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。」(ヨハネの黙示録 7:13−15)
もし贖罪がなかったらどうなるか?
すべての人は、「自分の罪のゆえに罰せられ、アダムの背きのゆえには罰せられない」(信仰箇条第2条)のですが、アダムの「堕落」によって人類は死と悪魔の影響力を受けるようになりました。もし贖いが死を克服しなければ、人はその堕落した状態で永遠に留まり、復活の望みはなく、永遠に悪魔の影響力を受け続けます。 😱😱😱😱😱
「おお、神の知恵、神の憐れみと恵みよ。見よ、もしも肉体がもう二度と起き上がることがないとすれば、わたしたちの霊は、永遠の神の御前から落ちて悪魔となったあの天使に従うようになり、もはや起き上がることはない。そして、わたしたちの霊は、あの天使のようになっていたに違いない。わたしたちは悪魔の使いである悪霊となって、神の御前から締め出され、偽りの父とともに、彼自身のように惨めな状態にとどまっていたに違いない。まことに、その者はわたしたちの始祖をだました者であり、光の天使であるかのように装い、人の子らをそそのかして人殺しをする秘密結社を作らせたり、あらゆる隠れた闇の業を行わせたりする者である。おお、神の慈しみの何と深いことか。わたしたちがこの恐ろしい怪物に捕まらないように、神は逃れる道を備えてくださっている。まことに、その恐ろしい怪物とは死と地獄であり、わたしはそれを肉体の死および霊の死と呼ぶ。」(2ニーファイ9:8-10)
十二使徒であったジェームズ・E・タルメージは、イエス・キリストの贖いの使命が絶対的に必要であることについてこう言っています。
「そのような事柄が贖い主の必要を示しています。主がいらっしゃらなければ、人類は堕落した状態に永遠にとどまることになり、永遠の進歩の望みは必然的になくなってしまうでしょう。この試しの生涯は進歩する機会なのですが、困難や危険は非常に大きく、この世における悪魔の影響はあまりにも強く、それに対する人間の抵抗力はあまりにも弱いために、天からの力による助けがなければ、人類の中のいかなる人も自分がもともと来た所である神の御もとに戻ることはできないでしょう。贖い主の必要性は人が自分自身ではこの世のレベルから霊的なレベルに上がれな…いという能力不足によるのです。….ですから、人が現在の堕落して比較的後退した状態からより高い霊的な生活に進むためには、自分自身の力以上のものが働いてくれなければなりません。…自力では自分を救えません。人類の贖い主であり救い主の存在は、何の疑いもなく永遠の父の計画(『人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと』)を実現するために必須のものです。そして贖い主であり救い主である方はイエス・キリストで、この方を除いて他にはあり得ません。」
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