母親として、わたしはよく次のような表現をします。「部屋を掃除しないなら、大好きな毛布(あるいはおもちゃ)はあげませんよ。」「歯を磨かないなら、虫歯になってしまいますよ。」でも文法的に条件をつけた文が、イエス・キリストのもう一つの証であり、聖書と対をなすモルモン書を書いた人々を証明するために使うことができるとは思ってもみませんでした。末日聖徒イエス・キリスト教会(会員がモルモン書を信じているため、時々よくモルモン教会と呼ばれます)の代表的な学校であるブリガム・ヤング大学(BYU)では古代文字を研究する学者たちがその研究をしています。

モルモン書は古代アメリカ大陸の住民と神のかかわりの記録です。この住民たちは聖書の地から船でアメリカにやってきました。BYUのダニエル・ピーターソン教授は、彼の同僚のロイヤル・スカウセン教授によるモルモン書の原文の研究における「もし/そして」で構成されている文の発見は、この言語学的系統を証明していると述べています。ピーターソン教授は次のように述べています。

「文法的に『条件文』とは仮定的な状況とその結果について論じる文です。言語にはそのような文章を形成するために、様々な構造や動詞の形を使います。条件文の中でとても共通する形は「もし/それから」という構造で、「それから」は任意のものになります・・・。

いかなる時代、あるいは方言において、英語では絶対に共通しない条件の形は「もし/そして」の構造です。英語を母語とする人々はそのような表現を使いません。わたしたちは次のようには言いません。「もしあなたがお料理をすれば、そしてわたしは食べます。」しかしそのような言い回しは英語の聖書の翻訳では決して生き残ることはありませんが、この構造はヘブライ語の聖書では共通するものです。

そのため、一番初めの英語のモルモン書の中に「もし/それから」という条件文を見つけるのは重要なことなのです。それはつまりその翻訳は古代ヘブライ人とその子孫により書かれた記録であることを示すからです。」

スカウセンの研究はモルモン書の徹底的な言語的分析と、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとってはモルモン書が真実であるというさらなる証明をしたのです。

 

モルモン書の本文の研究

モルモン書は奇跡的な状況でこの世に現れ、そのときから学術的な論争のテーマとなってきました。キリストが古代に設立された教会を回復した末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の預言者であるジョセフ・スミスは、モロナイという天からの使いにより金版に導かれました。ジョセフ・スミスは正式な教育はほとんど受けておらず、翻訳していた時は妻のエマによれば、「首尾一貫したきちんとした言葉の文章を書くことも口述することもできなかった。ましてモルモン書のような書物を口述などできなかった。」のです。(『Last Testimony of Sister Emma』Saints’ Herald 26、1879年10月1日)現在のモルモン書の文章のほとんどは1829年4月から6月にかけての3ヶ月の間に、教師であるオリバー・カウドリーがジョセフ・スミスの筆記者となって翻訳されたものです。ジョセフが筆記者に口述した手書き原稿は、手書き原稿原本と呼ばれ、現在残っているのはそのうちの28%です。その書物の印刷を補助するためにオリバー・カウドリは手書き原稿の手書きのコピーを作りましたが、それは現在印刷用手書き原稿として知られています。

モルモン書の最初の印刷からほぼ200年たち、これまで20版になり、そのうちの15版は末日聖徒イエス・キリスト教会が出版し、4版は復元末日聖徒イエス・キリスト教会(現在はキリストのコミュニティーと呼ばれており、ジョセフ・スミスの死後、昔の会員たちにより設立された)により出版されています。そして残りの1版は1858年にニューヨークのジェームズ・ライトによる個人出版です。スカウセンは1世紀の4分の1をそれら一つ一つの版と同様に原本と印刷用手書き原稿を精査し、可能な限りモルモン書の一番最初の英語の翻訳に近いものを見つけました。

スカウセンの発見は魅力的なものでしたが、その教義の真実を損なうものではありませんでした。彼は次のように述べています。

「・・・ジョセフ・スミスがどのように翻訳したかについて、証人たちが述べたことを支持する原本の手書き原稿に証拠を見いだせたのは喜びである。モルモン書の原本の手書き原稿を最初に探求したときは、わたしは原本の中に混じっている間違いを散見することでいつも興奮していた。しかし時が経つにつれて、モルモン書の原本の文章の本質についてさらに驚くようになった。特に原本の手書き原稿は、モルモン書が主から明らかにされたという重要な証拠を提供している。まさに、原本の言語の一貫性はその文章が預言者ジョセフ・スミスに一語一語明らかにされたという根拠を支持するものであった。」

 

「もし/そして」の重要性

モルモン書は「変体エジプト文字」という言語を使っていたエルサレムや他の聖書の土地からアメリカに来た先祖を持つ古代の預言者により書かれています。(モルモン9:42、1ニーファイ1:12参照) ヘブライ語の「もし/そして」の構造の重要性は、モルモン書を最初に書いた人々の言語的遺産を支持するからです。正式な教育はほとんど受けていなかった若者のジョセフ・スミスは、この文法的構造の知識はなかったでしょう。ピーターソンは次のように述べています。

「ジョセフ・スミスは欽定訳聖書ではヘブライ語の「もし/そして」の条件の文章は読んだことはないであろう。しかしモルモン書の元の口述手書き原稿の1ニーファイ17:50には次のようにある。『もし、神がわたしにこの水に向かって、「陸になれ」と言うように命じられれば、〔そして〕水は陸になる』『そして』はオリバー・カウドリがいわゆる『印刷用手書き原稿』を作ったときにはずされたが、似た構造―偶然として無視するにはあまりにも多い―は1830年の初版に現れている。」

スカウセンは、ヒラマン12:13-21の「もし/そして」の文の全体的な順序に注目しています。例えば、13節では「そして、もし神が大地に向かって、『動け』と言われれば、〔そして〕大地は動く」とスカウセンは書いています。

「1837年の版から始めて、これらのすべての例外は文章から編集されたものである。そのような原本にあるヘブライ語の「もし/そして」構造の例はジョセフ・スミスが一語一語文章を受けたというさらなる証拠を提供している。もし彼が単に心に思いついたことだけを口述していたら、英語にはない表現やこれらのすべての例にあるようなものを付け加える必要もない。」

ピーターソンは次のように述べています。

「そのような表現―英語としてはおかしいが、ヘブライ語としては正しい―はモルモン書の第2版ではジョセフ・スミス自身により除かれている。文章を書くのは下手でも、彼は英語を母語としていた。彼はこれらの構造は『間違い』であると知っていた。それらの中にわたしたちが見るのは、わたしが思うに『言語混交』であり、文章の元の言語から翻訳された言語への漏洩である。―多くは例えばスペイン語/英語の翻訳ではときには『スパングリッシュ(訳注;スペイン語混じりの英語の意)』となるようなものである。しかしなぜそのようなことが『最も正確な書物』で起こるのだろうか。神からの繊細な暗示からすると、おそらくそれはモルモン書の元の言語が英語ではなかったことに起因するであろう。」

 

学術的研究VSモルモン書の証

スカウセンのモルモン書の研究は、これらの聖文の文章の変化を徹底的に調べたものです。リチャード・ターリーは末日聖徒イエス・キリスト教会の教会歴史家補佐で記録者ですが、スカウセンの研究を「モルモン書についてのあらゆるものを最もよく理解するもの」であると評しています。彼の研究は文章の変化というものを通じて、わたしたちが他の方法ではできない豊かな背景の物語を提供してくれます。ターリーが言うように、スカウセンの分析は「ジョセフ・スミスがどのように翻訳し、どんな種類の文章が彼に明らかにされたのかについての評価」です。彼のThe Critical Text Projectは興味深いものですが、それはモルモン書の証を得る源ではありません。言葉を変えて言えば、人はこの書物が神の御言葉であるのかをどのようにして知るかということです。序文の中で預言者ジョセフ・スミスは次のように書いています。

「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり、わたしたちの宗教のかなめ石である。そして、人はその教えを守ることにより、ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」

しかしモルモン書のこの分析は、その書物の証を得るために必ずしも意図されたものではありません。スカウセンは次のように述べています。

「この研究には霊的な面もある。わたし自身のモルモン書の証はThe Critical Text Projectに基づくものではない。むしろわたしにはこの書物にある出来事は本当に起こったという個人的な証がある。」

むしろ、モルモン書の研究とそれが最初の翻訳から最後の出版された版までどのように変遷―本当は全く変わってはいない―したかについての分析は興味をそそるものです。スカウセンは次のように述べています。 

「元の文章とモルモン書の名前のつづりは文章がジョセフ・スミスに一語一語、一文字一文字明らかにされたという説を支持するものである。一方文章のすべての変遷は人の誤りに起因する。それぞれの場面で、言葉の変遷の正確さはそれを変えた人、それがジョセフ・スミスであろうと、筆記者であろうと、あるいは後の編集者や植字工によるのである。(この警告はもちろん重要な文章それ自身にも同じように当てはまる。)皆は最善を尽くしたが、文章が書き継がれていくうちにいくつかの間違いに至ったようである。しかしこれらの間違いのどれも、この書物のメッセージあるいは教義を大きく損なうものではない。これらの本文に基づく間違いはその書物の読者がその真実性についての個人的な証を受けるのを阻害したことは決してなかった。

原文の編集(ジョセフ・スミスの1837年の版も含め)は、ほぼすべての例で、原文をさらに標準的な多様性を持つ英語に翻訳することであるとみなされるべきである。さらに、この原文の編集において、ジョセフは一人の人間としての編集者として行動していた。1837年と1840年の改訂は「著者の最終的な意図」を代表するものではない。なぜなら彼はモルモン書の著者ではないからである。あるいは彼の編集による改訂は、特に元の手書き原稿から印刷用の手書き原稿に写したときに、もともと筆記者が犯した多数の間違いをジョセフ・スミスはそのままにしておいたので、原文に対して霊感を受けた修正であるという証拠はどこにもない。

モルモン書の元の原文は初期の近代英語の用法を反映している。すなわち1500年代からの聖書の文体である。それでもなお、モルモン書の中に見られるこの聖書の文体は(イザヤやマタイのような)欽定訳から直接引用しているものを除き、欽定訳の文体と等しくはない。」

これらの発見はスカウセンが指摘したように、モルモン書の真実性を損なうものでは決してありません。むしろ、それらはモルモン書の以下にあげる序文に見られる古代の予言者の言葉が真実であることを表すものです。

「ところで、もし誤りがあるとすれば、それは人の犯した間違いである。したがって、キリストの裁きの座で染みがないと認められるために、神にかかわるものを非難しないようにしなさい。」

それでは、どうしたらわたしたちはモルモン書が神の御言葉であると自分自身で知ることができるでしょうか。

モルモン書の序文には次のようにあります。:

「わたしたちはあらゆる地に住むすべての人に『モルモン書』を読み、この書物に含まれている教えを心の中で深く考え、そして、この書物が真実かどうか、キリストの名によって永遠の父なる神に問うようにお勧めする。この手順を踏んで、信仰をもって問う人々は、『モルモン書』が神から与えられた真実の書物であるという証を、聖霊の力によって得るであろう。(モロナイ10:3-5参照)

聖なる御霊を通じて神からこの証を得る人々は、その同じ力によって、イエス・キリストが世の救い主であられ、ジョセフ・スミスがこの終わりの時代の主の啓示者であり、主の預言者であることを、そして末日聖徒イエス・キリスト教会が、メシヤの再臨に先立って地上に再び設立された主の王国であることを知るであろう。」

このようにしてスカウセンはモルモン書の証を得たのです。彼は次のように述べています。

「25年くらい前、自分にとって辛い時期にわたしはモルモン書を読んでいた。わたしはアルマ19章のアンモンとラモーナイ王と王妃の話を読み直していた。そこでは召使のエービシが地面から王妃を起こしたところであった。

『そしてその女は、王妃のそばに行くと、王妃を地から起き上がらせようとでもするかのように、その手を取った。すると、その女が王妃の手に触れた途端、王妃は起きて立ち上がり、大声で叫んだ。「おお、恐ろしい地獄からわたしを救われた、祝福に満ちたイエス様、おお、祝福に満ちた神様、この民に憐みをおかけください。」そして、王妃はこのように言うと、喜びに満たされて両手を組み、人々の理解できない多くの言葉を語った。…』(アルマ19:29-30)

わたしがこの聖句を読んでいると、御霊がわたしに個人的に証をした。「これはほんとうに起きたことです」わたしはいつも人生のこのような瞬間を大切にしてきた。そしてモルモン書は主の御言葉であるという確かな知識を主に感謝している。」

わたしはこのような経験をとても嬉しく思います。なぜならそれは一人一人がモルモン書の真実であることの証をどのように得ることができるか―読んで、祈り、神に尋ね、そして最後に聖霊を通して答えを得る―を描いているからです。十二使徒定員会(大管長会とともに末日聖徒イエス・キリスト教会を管理する)のラッセル・M・ネルソン長老は次のように教えました。

「わたしはこの聖典が神から与えられたものであるというわたしの証を付け加えたいと思います。わたしはこの本を何度も読みました。また、この書物について書かれた多くのものも読みました。著者の中にはその物語や、そこに登場する民、歴史的エピソードに注目した人もいます。一方、言語構造、武器の記録、地理、動物、建築技術、重さや測りの単位について注目する人もいます。これらのことは興味深いものですが、モルモン書の研究はその本来の目的であるイエス・キリストを証するということに焦点を当てると最も実りあるものとなります。比較すると、他のすべてのことは付随するものです。あなたがモルモン書を読むときに、最初の章から最後の章までその書物の本来の形である生ける神の御子、主イエス・キリストに集中してください。…モルモン書を祈りの気持ちで読む人は皆、それが神から与えられたものであるという証を得ることができます。加えて、この書物は個人的な問題をとても実際的な方法で助けることができます。悪い習慣から抜けたいですか?家族の関係を良くしたいですか?神聖なものを感じる力を増したいですか?モルモン書を読んでみてください。それはあなたを主と主の愛の力により近づけるでしょう。」

モルモン書は神の御言葉で、わたしたちはそれを自分で知ることができます。スカウセン教授がそのThe Critical Text Projectで見出したヘブライ主義や他の発見は、多くの人々がすでに知っていることについて、別の面で豊かな層を付け加えたのです。つまりこの書物が真実であり、これはエルサレムからアメリカ大陸に渡ってきた古代の予言者たちによって書かれたということを。

 

 

この記事はLisa Mによって書かれ、bookofmormononline.comに投稿されました。