マイケル・マードック,ブリガム・ヤング大学(BYU)学生。預言者により書かれた「高価な真珠」を研究中で「モルモン」はこれを聖なる書物としています。末日聖徒イエス・キリスト教会会員。この投稿は「高価な真珠」のモーセの書からのものです。モーセの書は預言者ジョセフ・スミスに明らかにされた聖書からの翻訳の抜粋です。
わたしたちは父なる神のかたちにかたどられて創造されました
高価な真珠のモーセの書1章にある記述から重要なことを学ぶことができます。ここでモーセは神と語るために山に連れて行かれ,そこで一人になったときにサタンに誘惑されました。神の栄光,神とわたしたちの関係,神がわたしたちを子供としてどのように感じ,接してくださるかについて学びます。
モーセは自然の状態では神と語ることができませんでした。彼は「変貌」(より栄光ある段階へと特別に変化すること)しなければなりませんでした。モーセが再び一人になったとき,経験したことのため非常に疲れ,長い間,動くことができなかったのです。(モーセ1:10参照)このことから神は力強い栄光あるお方であることがわかります。一方,わたしたちがその気になって「霊的な目」を開いて見るなら,神の栄光を見ることができるということも学ぶことができます。(モーセ1:11参照)ひょっとするとこの世の人生を終えるまでわたしたちは御父を見ることはないかもしれませんが,わたしたちの生活の中で神の業や影響を「見る」ことができます。
モーセは神と「顔と顔をあわせて」話しました。天の御父はモーセを息子と呼び,彼は救い主イエス・キリストの「生き映し」であると言われました。このことから,わたしたちが文字通り父なる神の子供であることがわかります。わたしたちはキリストに似ています。キリストは神の御子であられるので,彼もまたあきらかに神に似ているのです。もしわたしたちがキリストに似ているなら,わたしたちは御父にも似ているに違いありません。そしてわたしたちが神と親子の関係にあるならば,それは一種の養子以上のものです。わたしたちは文字通り神の子供であり,神の形に創造され,望むならば神のようになるように定められているのです。
天の御父のわたしたちへの愛
モーセは神と語りました。このことから天の御父はわたしたちとお話をしたいと感じておられ,わたしたちが耳を傾けるならば御霊を通して語りかけられることがわかります。神はモーセに彼の人生で計画を備えられていることを教えられました。神はモーセにただ神のみを礼拝するように命じられました。これはサタンがモーセに自分を礼拝するように言ったとき,モーセがその誘惑に備えるものとなったのです。これは父なる神はわたしたちを気にかけておられ,人生においてもっとも良くなれるようにわたしたちを助ける計画があることを示し,またやがて来る誘惑にわたしたちを備えるものとなります。モーセが誘惑されたとき,神の御霊が一部彼と共に留まっていたため,彼はサタンには栄光がないことを見分けることができました。天の御父はわたしたちに同じようなことをされます。神は御霊をわたしたちに与えることにより善悪の区別をつけられるようになさいました。モーセはサタンに脅かされたとき,神を呼び求め,誘惑に耐える強さを受けました。このことからわたしたちは神が正しい道を示してくださるだけでなく,正しく生きることができるように助けてくださることも知るのです。神は誘惑に抵抗する強さをくださいます。そしてわたしたちが正しく生きられるようにしてくださいます。これは御父が子供たちを愛しておられるということを示します。神は懲罰的な怒る神ではおられず,わたしたちを愛し,気にかけ,助けてくださるのです。
聖文のこの箇所は神が栄光に満ちておられ,わたしたちが神の子供たちであることを教えてくれます。神はわたしたちと語り,教え,備えられ,それから試練や誘惑を通してわたしたちを強められます。わたしたちが神の御霊に耳を傾け,天の御父に祈るなら,わたしたちは霊の目で神の栄光を見ることができ,神をもっと確かに知ることができるのです。