世の中には神を信じない無神論者や、神の存在を知ることは無理だという不可知論者などがたくさんいます。多くの人は、『人智を超えた存在』を信じながらも、組織された宗教を避けています。これらの人々の多くは、今まで祈ったことがないのです。また、祈りを読む、記憶した祈りを言う、または、神は管理責任者ではあるけれども個人にとっては遠い存在である、という信仰を持つ人々もいます。
わたしは、しばしば間違って「モルモン教会」と呼ばれる、末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗者です。モルモンの宣教師に紹介される以前から神の存在は信じていたと思いますが、わたしにとっては個人的ではありませんでした。わたしは宗教のない家庭で育ったので、神はいるに違いないという漠然とした感覚だけで、信条や教義はまったくありませんでした。モルモンの宣教師は、確かめるために祈るように求めました。彼らは、わたしが考えたこともなかった「答えを受ける」ということがあると、確信していました。わたしは、祈りとは、人が神に感謝を捧げ、必要を満たしてくれるように願う、一方通行だと考えていました。
その祈りは、誰もが始めての時にするのと同じようなものだったとおもいます。一人になる場所を見つけ、ひざまずいて、「どなたかそこにいらっしゃいますか?」と、尋ねました。すると突然、わたしがそれまでに経験したことのない感覚が、わたしに打ち寄せました。それは高い所からやって来て、ゆるぎない確信で温かく満たしてくれたのです。わたしがようやく尋ねたので、神は今も昔も常におられると、喜んでわたしに明らかにしてくださったのです。
わたしはイエス・キリストの教会のバプテスマを受けました。そして最初の数年、わたしは、いくつかの重要な決断についてのわたしの問いに力強く答えた個人的な啓示を受けました。わたしは神に、ある男性が結婚すべき相手かどうか尋ねました。それは重要な事柄だったので、神は聖霊を通じてわたしに答えてくださいました。「はい」と。
しかしわたしは、「神権の祝福を」一度しか受けたことがありませんでした。聖なるメルケゼデク神権を持つ人が、頭の上に手を置き、癒しや慰め、予言的な言葉を含む神からの啓示のパイプ役として祝福するのです。結婚後、神権者としてふさわしい夫は、わたしが必要だと感じた時はいつでも、神権の祝福を与えてくれました。長年にわたり、神権の力により何度も癒されました。それは時々、実に奇跡的でした。またある時は、私も夫も両親も気がついていなかった自分自身について大いに知らされることがありました。
主がわたしたちをなんと良く知っていらっしゃるのかということを、わたしはわかり始めました。まだ成長段階にあるわたしたちですが、その弱点と可能性の両方をご存知なのです。実際神は、わたしたちが生まれる前から永遠にご存知で、どの弱点が現世において一時的な罠となるのかご存知です。時に、啓示を通じて受ける予想は信じがたく、わたしの能力をはるかに超えていて、考えたこともありませんでした。しかしそれらは完全な花のように開き、自然にしかも奇跡的におこったのです。
神はこれほど完全にその子どもたち一人一人をご存知で、もし、わたしたちが神様のもとに来て尋ね、受けた導きに従うならば、知識をわたしたちの人生や試練の中を導くために使いたいと思っておられるのです。この結びつきが一度作られ、常に祈ることを学ぶと、そのような導きは日々与えられるようになります。
神があなたを親密に知り、愛してくださっていると知り、あなたの人生はどのように変わるでしょうか?神との交わりにもっと積極的になりますか?神の判断をもっと信頼しますか?神の御霊を受けるために、自分自身を清い器にしますか?神に仕えて他の人々の人生に触れるために、あなたの人生を神に委ねますか?
神の愛は無限です。神の主要な目的は、わたしたちを昇栄させることです。