モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の初期の歴史において行われた多妻結婚は、「同時に一人以上の妻または夫を持つという実践および習慣」と定義されます。これはキリスト教の世界が好んで取り入れているものではありません。なぜなら神は一人の男性と一人の女性の間の結婚を明白に定められたのは一般的な統一見解だからです。聖書もモルモン書も結婚についての神の標準をこのように明白に定義しています。これらのどちらの聖典の教えでも、神御自身が宣言されたときにのみ、設けられた標準は変更、または改訂されるということを強調しています。
聖書の創世記29:21-30に記された多妻結婚について考えてみましょう。
「ヤコブはラバンに言った。『期日が満ちたから、わたしの妻を与えて、妻の所にはいらせてください。』そこでラバンはその所の人々をみな集めて、ふるまいを設けた。夕暮れとなったとき、娘レアをヤコブのもとに連れてきたので、ヤコブは彼女の所にはいった。ラバンはまた自分のつかえめジルパを娘レアにつかえめとして与えた。朝になって、見ると、それはレアであったので、ヤコブはラバンに言った、『あなたはどうしてこんな事をわたしにされたのですか。わたしはラケルのために働いたのではありませんか。どうしてあなたはわたしを欺いたのですか』。ラバンは言った、『妹を姉より先にとつがせる事はわれわれの国ではしません。まずこの娘のために一週間を過ごしなさい。そうすればあの娘もあなたにあげよう。あなたは、そのため更に七年わたしに仕えなければならない』。ヤコブはそのとおりにして、その一週間が終わったので、ラバンは娘ラケルをも妻として彼に与えた。ラバンはまた自分のつかえめビルハを娘ラケルにつかえめとして与えた。ヤコブはまたラケルの所に入った。彼はレアよりもラケルを愛して、更に七年ラバンに仕えた。」
現代の啓示が記された教義と聖約132:34-35には、さらに多妻結婚が実践された理由について次のように明らかにしています。
「神がアブラハムに命じられたので、サラはアブラハムにハガルを与えて妻とした。彼女はなぜそうしたのであろうか。これが律法であったからである。そして、ハガルから多くの人が出た。それゆえ、ほかの数々の事柄とともに、これは約束を成就するものであった。それで、アブラハムは罪の宣告を受けたであろうか。まことに、わたしはあなたがたに言う。『受けなかった。』主なるわたしがそれを命じたからである。」
旧約聖書における多妻結婚
多妻結婚に関する疑問は、いろいろと考えさせられます。なぜなら今日多くの人々は多妻結婚を道徳に反するものとみなすからです。旧約聖書で最初に多妻結婚が記されたのは創世記4:19です。「レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダといい、ひとりの名はチラといった。」旧約聖書にはよく知られた人々が多妻結婚をしていました。それはアブラハム、ヤコブ、ソロモンなどで、彼らは複数の妻を持っていました。サムエル下12:8には預言者ナタンを通して神は次のように語られました。「あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。」そして列王記上11:3ではソロモンには700人の妻と300人のそばめがいました。
これを知ると、3つの大きな疑問が出てきます。「なぜ神は旧約聖書では多妻結婚を許されたのか?今日神は多妻結婚をどのように見ておられるのか?そしてなぜ多妻結婚に関する神の考えは変わるのか?」
多妻結婚に関する論議の土台あるいは前提として、前述したことに関連して、次のような疑問がわいてきます。「ジョセフ・スミスは1840年代初頭に神から多妻結婚を実践するように命じられたのだろうか?」モルモン教の会員は預言者、聖見者、啓示を受ける者としてジョセフ・スミスは多妻結婚の実施について神から啓示を受けたと信じています。
なぜ神は旧約聖書で多妻結婚を許されたのか?
この疑問に十分に答えるには、考慮に入れなければならないいくつかの鍵となる要素があります。まず第一は、現在の統計が示すところによれば、世界の人口では常に女性の方が男性より多いということです。聖書の時代に同様の統計があったとすれば、女性の数は男性よりもずっと多いでしょう。二番目には、古代には戦争などの残虐行為により、致死率が高かったことです。三番目には、古代社会における族長制度のため、未婚の女性が自立することは事実上不可能だったということです。女性は一般的に教育を受けず、訓練も受けていなかったため、食べることも、保護を受けることも父親、兄弟、夫に頼っていました。また、未婚女性はしばしば売春婦や奴隷にされました。女性と男性の比率が大きく違っていたため、多くの女性は自ら望まない境遇に身を落とさざるを得なかったのです。
そのため、他の方法では夫を持つことができない女性を守り、養うために神が多妻結婚を許されたのは理にかなったことです。そのようにして男性は複数の妻を持ち、すべての妻の養い手であり、守り手となりました。そうとはいえ、これは理想あるいは完全な状況ではなかったかもしれません。これはあくまで奴隷や売春婦や、飢え死にしないための緊急の選択肢なのです。
加えて多妻結婚は人口の増加をより速く可能にするので、神の命令である「あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ。」(創世記9:7)を満たすものとなっています。
初期のモルモンの歴史における多妻結婚の実践
モルモン教徒は19世紀に預言者を通して多妻結婚を行ったことに関する神の目的を十分に理解していると明言はしません。しかしながら特に興味深いことに、モルモンたちが「イエス・キリストのもう一つの証」と証するモルモン書は、神が多妻結婚を行うことを命じられた一つの理由を特定しています。それは神が旧約聖書の時代において多妻結婚を許された理由と合致するものです。モルモン書のヤコブ2:30には次のように書かれています。「万軍の主は言われる。『将来わたしのために子孫を起こしたいと思う時が来れば、わたしは民に命じよう。その命令がない間は、民はこれらのことに聞き従わなければならない。』」このようにして多妻結婚という戒めが遂行され、多くの子供たちが忠実なモルモンの家族に生を受ける結果となったのです。モルモン教の公式ウェブサイトの「初期のユタにおける多妻結婚と家族」という題の評論には次のようにあります。
(多妻結婚)は他の幾つかの点でも19世紀のモルモンの社会を形成するのに役立ちました。すなわち, 結婚を望む事実上すべての人が結婚できるようになりました。経済的に恵まれない女性たちが結婚して経済的にもっと安定した家庭を築くことで,一人当たりの富の不均衡が軽減されました。7 異なる民族間の結婚が増し,それが多様な移民者たちを一致させるのに役立ちました。また多妻結婚は,末日聖徒の間の結束意識と集団としての一体感を生み出し,強めるのに役立ちました。8 教会員は,自分たちを「特異な民」であると見るようになりました。9 外部から反対を受けても神から命じられたことを果たすという聖約を固く守り,自分たちの信条ゆえに受ける追放に耐えるのをいといませんでした。
多妻結婚が宗教上の原則であると教えられた期間、モルモンのすべての会員はその原則は神からの啓示であると受け入れることを期待されました。しかしすべての人がその原則に従うようには期待されてはいませんでした。旧約聖書の時代のように、女性の数が男性よりも上回っていたという事実から万人が多妻結婚を実践するという原則とはなり得ませんでした。教会の指導者たちは多妻結婚を教会全体に与えられた戒めであるとみなしましたが、それを実践することを選ばなかった人々も神により認められているとみなされていました。
多くの変更や困難のために、多妻結婚をした人々は個人的に多大な犠牲を求められました。「ユタの初期の時代における多妻結婚と家族」に再び戻ってみましょう。
多妻結婚を行った男女が残した記録には,経済的な苦難や個人間の対立,夫からいつも伴侶として優しくされたいという願望など,彼らが経験した問題や苦難が述べられています。11 しかし,多くの人が自分の家族の中に見いだした愛と喜びについても記録されています。 彼らは,当時それが神の戒めであって,従順がこの世でも来るべき世でも自分と子孫に大きな祝福をもたらすと信じていました。 多くの多妻結婚の中に深い愛と優しさと愛情がある一方,その慣行は一般的に,ロマンチックな愛よりももっと宗教的な信仰を基盤としていました。12 教会の指導者たちは,多妻結婚を行う者はそれに関わるすべての人に対する無私の寛大な精神とキリストの純粋な愛を育むように努めるべきであると教えました。……女性には,自分の配偶者を選ぶ自由,多妻結婚をするか一夫一婦の結婚をするか,あるいはそもそも結婚をするかどうかを選ぶ自由がありました。16 教会の指導者から求められたために多妻結婚をした男性たちもいましたが,自らそうしようとした人々もいました。しかし,すべての人は,多妻結婚を行う前に,教会の指導者から承認を得る必要がありました。17
多妻結婚の大家族を抱えていた指導者たちもいましたが,多妻結婚をした男性の3分の2は同時に二人の妻しか持っていませんでした。18 教会の指導者たちは,多妻結婚は特に女性にとって難しいということを理解していました。 したがって,結婚で幸せを感じない女性は離婚することができました。再婚も容易でした。19 ユタ入植の最初の10年に,女性はかなり若い年齢(16歳か17歳,あるいはまれにもっと若い年齢)で結婚しました。当時,辺境地に住む女性にとってそれは普通のことでした。20 他の地域と同様に,社会の成熟とともに,女性はより高い年齢で結婚するようになりました。
編集者の一言:次回は永遠の観点から見た多妻結婚、また、今日の価値観についてお伝えします。こちらからご覧ください。
このオリジナルはキース・L・ブラウンによって書かれ、モルモン教の歴史に投稿され、高根澤リエによって翻訳されました。
このテーマで投稿してくださって感謝します。今、世界へ向けてこのテーマについて発信できる時代になって嬉しいです。知らない人には、面白おかしく、そして忌まわしく論じられて来ましたが、そういった視点での問題ではないので、下品な中傷が少しでも収まってくれると信じています。
私も以前、旧約聖書の多妻婚の所を読んだ事があります。第1婦人の許可があれば第2婦人が得られ、第3婦人を得るには、第1第2婦人の許可が必要である。そして、それぞれの家族を平等に養わなければならない。とありました。そして、その内の婦人が離婚したい場合は、箪笥一つを持たせて、信頼できる兄弟に嫁がせなければならない。というような事が書いてありました。
先に結婚している婦人たちの許可が必要であることは、許可なくば次の婦人を得ることはできない事であり、多妻婚が嫌なら断れる事が保証されていたわけです。
現在の不埒な男性が隠れて不貞を犯すのとは、随分、違った様子です。
また、多妻婚の中の妻となっても、妻側からの離婚が認められており、その妻を手放す場合は、嫁入り道具を持たせて、信頼ある男性に嫁がせなければならないとあります。これは、現代の無責任な離婚をして養育費も支払わない男性達とは、これまた、随分、趣が違っています。
私は、このくだりの戒めを読んで、女性も納得するなぁと思いました。一般社会にあって現代の男性は、無責任な離婚もするので、これもちゃんとした律法だなと思いました。
それこそ、教会外の人が、面白おかしく下品に想像している趣とは随分、違う物でした。これで、下品な想像が止むように祈っています。
菅野姉妹、そうですね、そのような下品な想像や中傷が止むといいですよね。菅野姉妹はよく勉強されていますね。姉妹のコメントを読んで勉強になりました。私もその旧約の時代の掟は良いものだと思います。またぜひコメントしてくださいね。
教会員向けにより深く分かち合っています。
日の栄えの律法 多妻結婚
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1034323508.html
ちこたんさん、とても詳しく書いていらっしゃいますね。リンクを紹介してくださってありがとうございます。