前回の投稿でなぜ神が多妻結婚を許されたのか、また、戒めとして与えたのかを紹介しました。続いて多妻結婚についてお読みください。

永遠の多妻結婚の正しさについての証

モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の聖徒たちの中には多妻結婚を犠牲と霊的に精錬する贖罪の過程であると見なしていました。ヒーバー・C・キンボールの娘であるヘレン・マー・キンボールによれば、ジョセフ・スミスが次のように述べたとあります。「この原則を実践することは、聖徒たちがかつてないほど信仰を試される最も辛い試練となるでしょう。」彼女は個人的には多妻結婚は彼女の人生にとって「最も厳しい」試練の一つであっても、後にそれは自分の人生にとって「最も祝福されたものの一つ」だったと述べています。

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の第二代大管長のブリガム・ヤングは多妻結婚の原則について学んだ後、次のように述べています。「生涯で初めて,自分は墓に入りたいと思いました。わたしは絶え間なく祈らなければなりませんでした。信仰を働かせなければなりませんでした。すると主は,それが真理であることをわたしに啓示してくださり,わたしはそれで納得しました。」ブリガム・ヤングの第一顧問であったヒーバー・C・キンボールは、妻のビレイトが多妻結婚は正しいと裏付ける示現を受けて初めてそれを実践することに慰めを見いだしました。彼の娘のヘレンは、母親が次のように語ったのを回想しています。「母は自分の見た示現により納得し、多妻結婚が神から与えられたものであると知ったということを父に話した時ほど父が幸せそうに見えたことはなかったと話していた。」以下がヘレンによるビレイト・キンボールの示現のさらに鮮明な記述です。

 

「わたしの父の心は嘆願と同時に高められました。そして人が命乞いをするように嘆願しているときに母の心に示現が開かれ、母は美しい栄光の中に描かれた日の栄えの結婚の原則を見ました。また、母が多妻結婚を受け入れ、夫の傍らの場所に立つならば永遠の日の栄えの世界で偉大なる昇栄と誉が母に授けられるのを見ました。母は父が妻とした女性を見せられ、この多妻結婚に従うことにより、もたらされる広大で無限の愛と結びつきについて、また王国、力、永遠に広がる栄光と終わりのない世界について喜びながら思いを馳せました。

母の心は安心し、神の御霊に満たされました。喜びに満ちた表情で母は父の所へ行き『ヒーバー、あなたがわたしに隠していたことは主が見せてくださったわ。』と言いました。

母はその光景をわたしやその他多くの人々に話してくれ、その示現について父に説明し、自分がそれは神から来ていることを知って納得した、と話した時ほど父がほっとした表情を見せたことはなかったとわたしに話してくれました。母は父の傍らにいて、その原則を尊ぶということを神に聖約し、それを忠実に守りました。母に与えられた試練はしばしば重く担うのが耐え難いものでしたが、母の誠実さは死ぬまでひるまないものでした。」〔H・M・ホイットニー、『人生の出来事』(1882年7月15日):スタンレー・B・キンボール、『ヒーバー・C・キンボールと家族、ノーブー時代』ブリガム・ヤング大学研究第4(1975年夏)、461-462〕

 

ルーシー・ウォーカーはジョセフ・スミスから妻になるように言われたときの内なる葛藤を回想し、次のように記しています。「わたしの魂のすべての感情はそのことについて嫌悪感を抱いた。」彼女は数日間眠れずにひざまずいて祈った後、その事について平安を得ることができました。

 

「わたしの部屋は天からの威光で満たされました。自分にとってそれは輝く太陽の光が真っ黒な雲からほとばしるようでした。…わたしの心はかつて知らなかった静かな、甘美な平安で満たされました。最高の幸せがわたしの全身を包みこみました。そしてわたしは『日の栄え、または多妻結婚』と呼ばれる結婚の聖約が真実であるという力強い否定できない証を得たのです。それは人生のすべての試練の中にあって錨となっています。わたしは朝の空気の中に出て行って、わたしの魂を満たした喜びと感謝を表さなければいけないと感じました。階段を降りると、スミス大管長は下のドアを開け、わたしの手を取って言いました。『良かった。君は証を得たのだね。僕も祈っていたよ。』彼はわたしを椅子に座らせ、わたしの頭に両手を置いて、わたしの心が望むことのできるあらゆる祝福でわたしを祝福してくれました。」

 

もう一人の初期の聖徒、サラ・レビットは次のように証しました。

 

「…わたしは主から油注がれた者は多妻結婚をするように命じられなければ二人以上の妻を持たないと思っていました。それでもわたしは多妻結婚が真理であるという知識を自分でも持ちたかったのです。わたしは夫にその件について私たち二人も啓示を受けられないかしらと尋ねました。夫は自分には分からないと言いました。…〔その晩〕わたしの心は地上から運び去られて、日の栄えの王国の秩序を見ました。…わたしはこの儀式に多くの誤解が起きていることが分かりました。そしてもし自分が否定できないものを天の御父から受けていなかったら、自分もそれが真実であることを…疑っていたに違いありません。しかし主が天の示現によりそれをわたしに示してくださったので、多妻結婚が真実であることに、心に疑いの気持ちを抱くことは決してありませんでした。」〔『サラ・S・レビットの自伝、彼女の生涯から』ジャニタ・レビット・パルシファー編、1919年6月23日、ユタ州歴史社会図書館、ソルトレーク・シティー、ジョージ・D・スミス、『ノーブー多妻結婚』359-360で引用。〕

 

そして自分が神から慈しまれたことを理解したマーガレット・クーパー・ウェストは次のように証しています。

 

「男性が二人の妻を持つのは正しいことだと始めて耳にしたとき、わたしたちはノーブーに住んでいました。当時、二人以上妻を持つことは絶対考えられなかったことで、自分にとっては恐ろしいことに見え、天から天使がやって来てそのことをわたしに話しても、それが正しいとは絶対信じないとわたしは言いました。たとえ、全能者や天使がわたしのところにやって来て、それが正しいなどと言うのを聞くようなことがあっても、絶対信じないと。わたしは自分の考えをよく理解していました。これはアブラハムが息子を犠牲として差し出すように言われたときのように、わたしの徳を試すためだけのことだろうと思いました。わたしがそのような憎むべきことを信じなければ、主はさらにわたしのことを愛してくださると思っていました。なぜなら主は徳高い女性を愛されるからです。…

わたしは当惑し、ほとんど話すこともできませんでした。わたしはそのことに心から真剣に取り組み、祈りによって解決しようとしました。次の日曜の朝、夫とわたしが教会に行く支度をして門を出ると、夫が言いました。『(主人の兄弟の)ジョンのところに寄ろう。教会に行く人もいるだろうから。』わたしたちが門を抜けると、示現が開け、すべての創造物がわたしの目の前に広がりました。それはまるで自分が草原の草になったようで、草原は遠くまで続いていました。そこに日の栄えの結婚の秩序である複数の妻が見え、それが正しく高い徳を持った原則であり、イエスの永遠の福音に属するものであることを知りました。それから教会の指導者たちが見え、彼らがこの特異な教義を確立するために苦しんだ様子を目にしました。多妻結婚は福音の重要な点であり、この時代に確立しなければならないものであり、それをうまく逃れることはできないもので、この世に出て来なければならないものでした。指導者の兄弟たちの努力や労苦や苦しみを目の当たりにしたとき、わたしの心は彼らへの思いで痛み、彼らを気遣い、気の毒に思いました。わたしはもはや二人の妻を持つことに反対する者ではありませんでした。それを口に出しては言いませんでしたが、心の中ではそのことを深く考えていました。この天の原則に結びついた栄光と昇栄の美しさに気づきました。それは壮大で見事なもので、わたしは喜びでいっぱいになりました。〔マーガレット・ウェスト『マーガレット・ウェストの証』35ヘールズ、ジョセフ・スミスの多妻結婚 第2巻、185-186で引用〕

今日、神は多妻結婚をどのように見ておられるのか?

神が多妻結婚の関係をある期間許されてはいても、聖書は一夫一婦制の結婚が神の結婚に関する理想を守っているとはっきりと教えています。創世記2:24は「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」と教えています。英語では人々(men)、妻たち(wives)、いくつもの体(fleshes)とはなっておらず、一貫して、人(man)、妻(wife)、一体(one flesh)という風に単数形を使っているのは慎重に注目すべきことです。また、聖典はソロモンの生涯に見られるような複数の妻を持つことにより引き起こされる問題について警告を与えています。「彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。」(列王記上11:3-4)

新約聖書の1テモテ3:2、12とテトス1:6ではすべて霊的な指導者の資格として「ひとりの妻の夫」という描写をしています。もしこれが教会の指導者の資格として説かれているとすれば、すべてのクリスチャンにもまた当てはまるのではないでしょうか?なぜならすべてのクリスチャンは聖なる者と呼ばれるべきだからです。(1ペテロ1:16参照

エペソ5:22-23では夫と妻の間の関係について述べています。夫(husband単数形)について触れる時、常に妻(wife単数形)となっています。

 

「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのために御自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。いずれにしても、あなたがたは、それぞれ自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」

 

もし、多妻結婚が許されるのであれば、キリストとその体(教会)の関係の全体の構図と夫と妻との関係は崩壊してしまうでしょう。

多妻結婚の変遷の過程

19世紀の終わりの多妻結婚は、初期の時代とはかなり異なるものでした。1862年に始まった連邦法は総じて多妻結婚の実践からモルモンの女性とアメリカ文化を保護することを期待して反対の決議をしました。

けれども公に多妻結婚の実施を擁護し、その実践に喜んで加わると主張するモルモン教の女性はたくさんいました。1879年の合衆国最高裁判所による多妻結婚に反対する法律が合法になったのに続き、連邦警察は1880年代に多妻結婚をしていた夫や妻たちに厳しく対処するようになりました。中にはその法律は不当であると感じ、多妻結婚を続け、民事的には逮捕されないように反抗したモルモン教徒もいました。彼らは一旦有罪判決を受けたら、罰金を払って刑務所に入りました。多妻結婚した妻たちはしばしば異なる所帯に別れたり、夫を迫害から守るため、妊娠したり出産した時は偽名を使って隠れました。

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の公式ウェブサイトの「ユタの初期の時代における多妻結婚と家族」の評論からもう一度見てみましょう。

 

1890年、ウッドラフ大管長の公式の宣言が多妻結婚をするようにとの戒めを撤廃したとき、モルモンの社会はほとんどヨーロッパや合衆国東部の移民からなる強い、忠実な核となる会員を形成していました。しかし世界中に教会が広がるにつれ、人口統計学上の構成は変わり始めました。1890年代初めには、アメリカ合衆国外の改宗者は、ユタに移住するのではなく、むしろ自分の国で教会を築くように言われました。その後に続く数十年間、モルモン教徒は新たな機会を求めてグレートベースン(アメリカ合衆国のロッキー山脈とシエラネバダ山脈の間にある地形学的に広い乾燥した地域)から移住しました。多妻結婚はモルモン教徒がたくさん居住する場所以外では勧められませんでした。特にこれらの新しく形成されたユタ以外の信者たちにより、一夫一婦制の家族は宗教礼拝と学びの中心となり、教会がアメリカ西部を越えて広がり成長するにつれ、一夫一婦制の核家族はますます流動的に拡大する会員としての資格に適応しました。

 

なぜ変わったのでしょうか?それは、神が以前は許された何かをもう許されなくなったという視点で見るのではなく、むしろ神が本来の計画に結婚を戻されたと見るべきでしょう。多妻結婚という関係は神の結婚についての本来の計画では決してなかったのです。神はご自分のために「子孫を起こす」ときに多妻結婚をお許しになりました。現代のほとんどの社会において、多妻結婚は全く必要ありません。ローマ13:1-7によれば、わたしたちはその国の法律に従うべきです。法律に従わないことが許されるのは、法律が神の戒めに反するときだけです。(使徒5:29参照)そのため、神は多妻結婚をするようには命じられず、ただ御自分が意図されたときにのみ多妻結婚をお許しになるため、多妻結婚を禁止するあらゆる法律は支持すべきものです。

多妻結婚の実践の影響

評論「ユタの初期の時代における多妻結婚と家族」は、この討論の頂点となるこれらのコメントで締めくくられています。

 

多妻結婚をした多くの人々にとって、それはかなりの犠牲となりました。経験した困難にもかかわらず、多妻結婚をしたこれらの人々の忠実さは、教会に数えきれないほどの方法で益をもたらし続けています。19世紀の聖徒の血統から正しい父母、イエス・キリストの忠実な弟子、献身的な教会の会員、指導者、宣教師として福音の聖約に忠実な多くのモルモン教徒が出ています。現代の教会の会員は多妻結婚を禁じられていますが、今の会員たちは自らの信仰、家族、地域社会のために多くの犠牲を払ったこれらの開拓者を誇りに思い、尊敬しているのです。

 

このオリジナルはキース・L・ブラウンによって書かれ、モルモン教の歴史に投稿され、高根澤リエによって翻訳されました。