末日聖徒イエス・キリスト教会のニュースルームから出版された記事において、教会はカフェインが知恵の言葉(タバコ、熱い飲み物、アルコール飲料を禁止する教会員のためのガイドライン)に反するものではないことを表明しました。
カフェイン摂取について聖典から学ぶ
教会はこのことについてこう答えています。”教義と聖約にはカフェインの使用については述べられていません(教義と聖約89)。教会の健康の為のガイドラインには、アルコール飲料、喫煙、”熱い飲み物”の禁止が書かれています。特にお茶とコーヒーのことであると教会の指導者達から教えられています。
教会員はコーラを飲むことを許されています。末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)は、よく間違ってニュースやSNSにて教会員はカフェインの摂取を禁止されていると報じられています。そう言って、カフェイン入りのソフトドリンクは禁止されていないことを明かしました。
カフェインフリーのダイエットコーラを片手に、デイブ・ローリンズは「カフェインに依存したくない。今日のカフェインが必要だ、という風にはなりたくないんだ。」と言います。
カフェインについては churchofjesuschrist.orgに記載されています。
教義と聖約89:9には”熱い飲み物”は摂取すべきではないと記載されています。又、これは初期の教会指導者によって書かれており、”熱い飲み物”という用語はお茶とコーヒーを指しています。具体的にそれらをを飲んではいけないのはカフェインが原因だからであるとは書かれいません。
しかしながら、わたしたちは、ボイド・K・パッカー会長のこのお話を心に留めておくべきです。「知恵の言葉は『約束を伴う原則として与えられました』(教義と聖約89:3)原則は永続する真理、法律、規則であり、決断をする際の指針となるものです。一般に原則は詳しくは説明されていません。会員たちから手紙で、これやあれは知恵の言葉に反しますか、と聞かれることがあります。わたしたちはその原則を約束された祝福とともに教えます。人々は肉体と霊を損なう多くの習慣性のあるものを飲んだり、かんだり、吸ったり、注射したりしますが、それらは啓示の中に記されていません。勧告に従順であれば、人生の安全な側にいることができます。」(知恵の言葉ーその原則と約束 生徒の道1996年7月号21-22)
この記事はもともとMoroni Channelによって書かれ、moronichannel.orgに投稿されました。
カフェインが身体に良くないということではないんです。
詳しくは、末日聖徒は緑茶を飲まない?!心と身体の健康を保つ秘訣 をお読みください。
求道者です。コーヒー・お茶漬けを飲んだことがないと言う宣教師や、飲んでいたとしても頑張って止めたという宣教師ばかりだったので禁止なんだろうなと思ってました。
ただ、カフェインについてはある程度まではいいとかいういい話を聞くときもあればこれだけ飲めば体に悪いという話も聞きます。
カフェインに限らず、よく考えていくべきじゃないかなと思いました。
まきさん、コメントありがとうございます!コーヒーとお茶(緑茶や紅茶類)ははっきりと禁止されています。ただ、カフェインだけが禁止の理由ではないということですね。おっしゃる通り、カフェインの摂取・不摂取に限らず、体に良いものを取り、規則正しい生活を心がけることが体と心の健康につながりますよね。神様からいただいた体を大切にしていきたいです。
こういう記事をありがとうございます。。
長年、とても疑問に思っていることです。
お茶というのは紅茶のことですか?
ウーロン茶など、製法によって飲んでいいお茶と、飲んではいけないお茶があるということでしょうか。。
日本人としてもう一つ思うのは、緑茶、抹茶はダメだと、誰が決めたのだろうということです。
初期の教会員によって書かれたものならば、緑茶はどうなんだろうといつも思います。
杉田和子姉妹、コメントありがとうございます。「お茶」というのは、教会では、お茶の葉からできた飲み物をさしますね。ですから、紅茶、緑茶、抹茶、ウーロン茶、番茶など、味や製法が違っても全て同じお茶の葉からできています。ですから、ジョセフ・スミスが当時、日本での緑茶を飲む習慣を知っていて、緑茶はダメと言ったわけではないと思いますが、同じ葉のお茶ということで、日本に福音が来た時に、緑茶や抹茶などがいけないと言われたのでしょうね。実際に緑茶などの飲み物には高い濃度のカフェインが入っていて、常習性の強い飲み物になります。そういうことも考えると、やはり理にかなっていたのだなと思います。
はっきりと禁止されていたんですね。わかりました。ただ、私は以前茶道を習っていた事があったので、福音によって日本の素晴らしい文化が無くなるんじゃないのかな?それは嫌だな。と感じています。
まきさん、わたしも以前、改宗前ですが祖母から少しお茶を教えてもらっていました。素敵な文化ですよね。教会ではそれぞれの地域の文化を大切にすることを教えています。が、それと同時に神様の戒めと合わないものは避けるようにと教えられています。それは、新約聖書のマタイ15章に出てくるイエス様の教えです。なので、今では「お茶文化」として実践はしていませんが、お着物だったり、お茶に使う器で煮物を出したりと、色々と別の方法で楽しんでいます。
神様の戒めに従えるように、お茶というものにとらわれず、別の方法で茶道を楽しむ姿勢が素晴らしいと感じました。私も見習って行こうと思います。
まきさん、ありがとうございます!神様の戒めは一見論理的ではないこともありますが、従うと、本当に不思議なところから祝福がきます。ぜひやってみてくださいね!
お茶やコーヒーについては、「熱いお茶やコーヒー」が身体や腹に良くないのであって、「冷たいまたは常温のお茶やコーヒー」は知恵の言葉の観点からは問題無いのでは?
同じ茶葉が駄目だからとか、豆からは駄目だとか、カフェインが駄目(今はokなんですよね)だからとかは理由としては後付の感が強く受け入れ難いと思っています。
きっと主が伝えたことに対して、勝手に理由を想像してしまい、100%の答えを出せていないのに他の方々に伝える事が間違いなんだと思います。
また知恵の言葉を、より上の戒めとしていることにも疑問をもっています。
コメントありがとうございます。回答を先に言いますと、お茶やコーヒーは熱くても冷たくても知恵の言葉で禁止されています。他の戒めもそうですが、主の戒めは霊的なものです。なので、物質的、肉体的に論理的かどうかより、まず、私たちが主の預言者に信仰を示し、聞き従うかが求められます。なので、主の預言者ジョセフ・スミスが「熱い飲み物」つまり「コーヒーとお茶」と言った時点で、それは戒めに反したものになります。また、知恵の言葉には「強い飲み物」も避けるようにとあります。カフェインという物質が人の脳や体に強い影響を与えると近年の研究でわかってき、そのカフェインが、知恵の言葉で禁止されているコーヒー、お茶に多く含まれていたので、教会員たちは、カフェインも避ける傾向がありましたが、歴代の預言者が公式に「カフェインはだめ」と言ったことはありません。(なので、今okになったという訳ではなく、昔から禁止されていませんでした。)余談ですが、英語で”hot drink”のhotにはstimulating刺激的なという意味もあります。そういう意味でも、熱を持っているかいないかではなく、刺激度が高い飲み物、強い飲み物としてコーヒー、お茶が取られたのかもしれません。ここの記事にも書かれているように、主の原則はいちいち細かくは説明されません。しかし、原則にのっとり、体と心を大切にすると、たくさんの祝福が与えられ、守られると知っています。
「より上の戒め」という表現はあまり聞きなれませんが、どういう意味でしょうか?
まず私自身は知恵の言葉はayae sのコメント通りで教えられ、今でもコーラすら飲みません。(コーラやマウンテン・デューも駄目だと教えられまして20年以上経ちました)
しかし教義と聖約では下記のように記されています。「あいさつとして送られるもの。戒めや強制としてではなく、啓示と知恵の言葉としてのもので」
知恵の言葉は「戒め」や「強制」ではないと私は知っています。
知恵の言葉は戒めでは無いのでは?このようなものを摂取するのは良くないよ、当時高価だった紅茶を買うの家計的にも辛くなるよ、というアドバイスなのでは?
その意味でアドバイスを、より上の「戒め」としてしまい、本来バプテスマを受けられる人達や、お茶やコーヒーを飲んでいる人達を福音を通して受けられる祝福から弾き出しているのでは?
今後中国やそして日本のようなお茶文化のある地域で伝道していく中で足かせになっていないでしょうか。
また調べても見つからず教えて頂きたいのですが、預言者ジョセフが「熱い(刺激があるや「辛い」もそうですよね。もちろん習いましたよ)飲み物」を「コーヒーとお茶」であると言っているところが見つからないんです。手引きではお茶とコーヒーって書いているのは見つかったのですが。英文の文献か何かでしたでしょうか?(教義と聖約に載っているのでしたらごめんなさい)
「辛いラーメンのスープ」もこの「Hot」見解だと入りますね。私は大好きですが神殿面接では問題ないと思っています。
知恵の言葉を、細かい成分や種類で回答してしまうのは、とても怖ろしく感じています。
少し調べるのに時間がかかってしまって、返信が遅くなってしまってすみませんでした。おっしゃる通り「知恵の言葉」はガイドラインとして預言者ジョセフ・スミスが啓示を受けました。なので、当時は少しの量を摂取している教会員もいたようです。1902年のジョセフ・F・スミス大菅長の時に「知恵の言葉」を守っていない聖徒は神殿推薦状を受けることができないとなったようです。そして、1921年にヒーバー・J・グラント大菅長の時にはっきりと「知恵の言葉」がガイドラインではなく、戒めとして提唱されたそうです。(LDSLivingより)
また、ジョセフがコーヒーとお茶がいけないと言った供述ですが、それは、わたしはJoseph Smith Foundationというジョセフ・スミスについて研究している団体のサイトから見つけました。(英語です)
おっしゃる通り、辛いラーメンのスープもこの「hot」の見解だと「知恵の言葉」に反していることになりますが、歴代の預言者がコーヒーやお茶のようにダメですと言っていないので、それはガイドラインであり、わたしも神殿推薦状の面接で問題となることはないと思います。
今回、このことを勉強させていただいて思ったことは、大切なことは現代の生ける預言者に従うということです。調べている時に、こんな文章もありました。「ジョセフ・スミスに『知恵の言葉』が啓示として神から与えられたことは明らかであり、でも、それがリーダーたちを含め人々の生活に浸透するために、神様は100年ほど忍耐されておられた。」わたしたちの今の社会でもそうですよね。何か新しい法律が試行されるまでに、まず発表があり、皆にある程度その考えが浸透し慣れてきてから実際に執行されます。そんな猶予期間だったのかなとも少し思いました。考えさせられる質問、ご意見、ありがとうございました!
私も求道者の一人です。自分も知恵の言葉がネックとなり、先に踏み出せない者です。体に悪い影響がある物を避けて、清い体に近づくために必要だとは理解できますが、この戒めを絶対として、守れない人は教会員にもなれない、神殿にも入れないと言うのは厳しすぎるのではないかと思います。確かに聖典の記述は正しく、今後の人生を生きるには守る努力は必要だと思います。福音の大切さは理解できますが、教会員に課せられる多くの戒め(知恵の言葉だけでない)や決まり事は曖昧にしないで明確にして欲しいです。宣教師や教会員に訪ねても曖昧な答えしか返って来ないです。
ちなみに、辛いラーメンなど刺激の強い飲食物については、歴代の預言者(大管長)達がご存じないだけで、体に悪い飲食物として認め判断されると戒めとして禁止になるのではないでしょうか。
なかなか知恵の言葉について話せるサイトが無いので日頃思っていた事を語らさせて頂きました。
橋本さん、コメントありがとうございます!わたしも求道者だった時、知恵の言葉が難しかったです。でも、わたしの場合、ある日「もしわたしが知恵の言葉で禁止されてるものをやめる事によって、神様がわたしの周りの人や世界中で飢えに苦しんでる人たちに祝福を捧げる事ができたら、すごいな」って思いました。実際に教会員になって地球の裏側にわたしの従順さのおかげで誰かが祝福を受けているかは分かりませんが、わたしの心が徐々に変わった事で、周りの家族や友人に「良い影響」はもっと与えられているのではと思っています。決まりごとが曖昧に見える事があるのは、きっと神様がわたしたちに選択の自由を使い、考えて欲しいからだと思っています。辛いラーメンは体に良くないですが、戒めとして禁止にはならないと思います。タバコ、酒、薬物などと違って、人に被害を与えたり、常習性があったり、肉体をコントロールしないからだと思います。(もちろん、わたしは預言者ではないので100%ならないとは言えませんが。)このサイトを見つけてくださって、こうやって話せる事に感謝します!他にも些細な質問でもいつでも気軽に聞いてくださいね!
回答して頂きありがとうございます。自分は聖餐会に参加して宣教師のレッスンを長い間受けていますが、その場ではある程度分かったつもりでも、家に帰って思い返すと、つい反論が浮かんで素直に受け入れるのが難しいです。人生の半分以上生きて来て、今さら福音の計画や戒めなどを聞いても、なかなか改宗する勇気がありません。今まで歩んで来た人生や過去の経験とは異なる新しい気持ちや考え方を持たないと難しいです。少しずつ時間をかけてイエスキリストの教えや聖典を読んで学びたいと思います。
私も教会を知ってから改宗するまでに3年ほどかかりました。自分の心地よい生活を変えてまで福音にその時すぐに改宗する必要性がなかなか感じられなかったからです。いいなとは思っていましたが。改宗して10年以上経ちますが、はっきりと言えるのは、聖霊の賜物によって福音を学び、実践するときに自分の考えがとても広がり、前では思いもつかなかった能力や機会に恵まれているということです。それぞれの人に違った可能性が秘められていると思いますが、改宗し、神様の力を身近に感じることによって、普段の生活でその可能性を最大限また時にはそれ以上出されているのではと感じます。改宗しない事にしたとしても、やっぱりイエス・キリストの教えや原則は人を幸せにするものです。これからも共に学んでいきましょう!またお話しできる機会を楽しみにしています!
少し調べものをしていて、たまたまこのサイトに寄り道しました
興味深いやり取りだったので、一言コメントを残しておきます。
1975年にバプテスマを受けて一時期を除いてずーっと毎週教会に出席しています(十分にジジイです 笑い)
聖書に書かれているように「本質的に悪いものはありません」
カフェインが悪いのではありませんし、アルコールが悪いわけでもありません
全ての物はその使い方により「有益」であったり「有害」であったりします
カフェインは神経を活発にします。アルコールが殺菌性があり刺激を与える作用があります
言葉と言うのは「単一的に」捉えてはいけません
どの様に使われるかが重要です。
「熱き飲料」が悪いのではありません
私は熱き飲料が大好きです。体に良いからです
冷たい飲料の方が体に悪いのです
戒めには与えられた状況があります。
当時、長老たちの集会が終わった後の部屋は「とても不快」な状況だったのでしょう
タバコの煙が充満し、床には葉タバコがこびりついている、コーヒーを溢した跡もあったでしょう
はっきり言って「とても汚い」状態だったでしょう
そういう状況に対して与えられた戒めが「知恵の言葉」なのです
随分と抑えた感じの表現であり、戒めでもなかった
直接的な表現は極力抑えてある、それは神様は人間の自由意志を尊重しているからです
「言わなくても、自分で考えてみれば分かるだろう」と神様は考えておられるのです
生まれて初めて酒を飲んで、「おいしい」と感じた人間はこの世に一人も存在しないでしょう
生まれて初めてタバコを吸って、「心地よい」と感じた人間はこの世に一人の存在しないでしょう
コーヒーという真っ黒な液体を見て、「マジかよ、これを飲むのか」と思わなかった人間は、多分感覚がおかしいでしょう
お茶は体に良いとおもいますよ(笑い)
私は基本的に暑い飲料が好きだからね。多分その理由で年齢のわりには元気です
毎日、往復で25Km程に距離」を自転車で通勤してますよ
若い時は、今の自分の年齢で機械設計ができるとは考えもしなかったが、今でもバリバリの現役設計技術者です
神様は何事にも強制はされません
「こういうことをしてはいけない」と神様は言われません
逆に神様の敵であるサタンは言います「おらおら、神様が言っているだろう、ダメだ、こういうことをするな!!」
そうは言っても教会は巨大な組織です
各自の自由意志のままにしていたら、「無秩序な教会」になってしまう。その為に「戒め」としてある程度の規制をするのです
でもそれはあくまでも「組織の都合」であって、個人の救いの関わることではありません
救いは、神様と個人との関係だけです
私は戒めを意識しません
どの戒めも「当たり前すぎることがら」ばかりだからです
酒を飲みたいなんておもいません
タバコを吸いたいなんておもいません
コーヒーなんて飲みたくもない(笑い)
お茶は嫌いではないが、白湯で十分
浮気なんてしたくもない
日曜日に仕事なんてしたくない
日曜日に教会に行かなくなったら、金ばかりを使ってしまうから教会にいきたいよ(笑い)
私から特に言っておきたいのは
知恵の言葉なんて戒めは
特に考えなくても「感覚的に」分かるだろう と言いたいのです
自分の感覚を大事にしてください
科学的根拠なんて意見もあるが、科学を信用してはダメだよ
科学は日夜進歩している
と言うことは、今日の科学はやがて「時代遅れの科学」になるのです
私がいきてきた人生のなかでさえ、科学的根拠はめまぐるしく変化している
これからも、どんどん変化します。どんどん時代遅れになる
そのような不安定の物にすがってはいけない
神様から全ての人間に発信されている「心の声」「良心」「心からの平安な気持ち」を大切にしてください