あなたは普段、自分や周りの人を「勝ち組、負け組」に分けて考えていますか?
家族間、学校、隣人、会社などと、誰かと対立したり、他人と比較する場面が日々たくさんありますね。
たとえば成績の良し悪しや、SNSの「いいね」の数を気にすることもそうです。どうして人は自ら対立する環境を築き、心が削られる社会を作ってしまっているのでしょうか?
理想の社会はスポーツマンシップに見られます。「スポーツは『勝ち負け』ではなく、互いの技量の高め合いなのです。…競い合い、活かしあいのスポーツこそ『対位』なの」(伊藤友宣『子どもがつい話したくなるお母さんの「聞き方」』131ページより)です。わたしたちに必要なのは対立ではなく、対位です。
勝ち組、負け組はそもそもどうやって生まれたのか
もともと勝ち組とは、戦後日本が負けたのを聞いて、それを信じなかったグループのことを「勝ち組」と呼びました。逆に、負けたことを知っていた人たちのことを「負け組」と呼んだたそうです。この言い争いは1960年代まで続きました。
(東京大学学内広報『「勝ち組」「負け組」』7b.biglobe.ne.jp, 2021/11/12)
その後、落合信彦氏の『これからの「勝ち組」「負け組」逆風の時代に成功する条件』や酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』というエッセイ、三浦氏の『下流社会』などの本を始め、小泉政権による改革などが積み重なってこの言葉が流行る要因になりました。そして、2006年には「勝ち組、負け組、待ち組」という言葉が流行しました。
(あなたを変えられるのはあなただけ『人生の『勝ち組・負け組』って…❤️(゚ω゚)✨』https://ameblo.jp, 2021/11/19)
(『勝ち組・負け組みという言葉は誰が考えて宣伝した』https://okwave.jp/qa/q4975330.html, 2021/11/19)
そのような言葉を日常的に使っていたら、競争心や高慢の心が大きくなって、お互いに潰し合う生活になってしまいそうです。
影響力が強い友達の言葉
ある時、「やばい、負け組になる!」と友達が言いました。初めてその言葉を聞いたわたしはびっくりしました。それからというもの、勝ち組、負け組の会話を普段から聞くようになりました。何かを成し遂げられなかったら負けるという気がして、焦りを感じました。たとえば大学卒業後、仕事が決まらずに実家に帰ることは、負けのように感じていました。だからといって故郷に帰る友達は負けたのかというと、そうではないと自分に言い聞かせていました。ただ、この負けるという悲惨な気持ちは、一体どういうことだろうかと自分でも理解できず、必死で考えたものです。
今思えば、この流行語があの時の考えや思いに至ったのだとやっと納得できたのです。勝ち組、負け組という観念は、多くのストレスがある生活に、更にいらないプレッシャーと余計なストレスを与えて、心が削られる社会にエネルギーを与えているようです。「『勝つか負けるか』の反対は、…『どちらも生かし合う』ことなのです。」(伊藤前掲書、34ページ)
誰が勝ち組か負け組などということに集中する代わりに、お互いを生かし合うことに集中するほうが人生を満喫できると思います。
神がわたしたちに望まれていること
地元地域では優秀でも、全国、全世界に出ると、自分が井の中の蛙だったということに気が付くことがあるでしょう。これはスポーツでも芸術でも何にでも言えることです。他人と比べ続けていればきりがありません。でも数年前の自分、昨日の自分と比較すれば上達が見えやすくなり、自信に繋がるものです。
神はあなたが「生まれながらの人を捨てて聖徒となり、子供のように従順で、柔和で、謙遜で、忍耐強く、愛にあふれた者とな」(モーサヤ書3章19節)ることを望んでおられます。
キリストの弟子になった人々が以下のような約束をしました。
「あなたがたは……重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、 また、悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望」(モーサヤ書18章8-9節)むことです。これがキリストの弟子の精神です。
人生はいつも勝つか負けるかのレースではありません。それは窮屈で大変なことです。たとえば、バイオリンの弓はずっと張りっぱなしだとダメになります。緩めないと、木と毛がリラックスできずに傷む原因になるからです。人にもきっと同じことが言えるでしょう。ずっと意気込んでいたら、休むことができずにとても疲れてしまいます。人も休むことが大切なんです。休むことは格好悪いことではありません。疲れているという身体や心のサインを察知したら、積極的に5分でも10分でも休んでください。その方が効果的に後の時間を過ごすことができます。
神はわたしたちが互いに助け合い、補い合うことを望んでおられます。
「また、あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教え合わなければならない。」(教義と聖約88章77節)わたしたちが、相手に分からせようとするのではなく、教え合おうという思いで向き合えば、謙遜で平和な社会を見出せると思います。それは対立の代わりに「共有、共感、協同」を目指すことです。そうすることでわたしたちの心は豊かにり、より良い社会が築けるでしょう。このような道を選んで、キリストのように平和をつくりだす人になりましょう。
周りに意気込んでいる人がいる時の対処法
「人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変える方がやさしい」とアルバート・アインシュタインは言いました。他人を変えることはなかなかできませんが、自分を変えようとすることはできます。ではあなたの態度や視野を変える方法をご紹介します!
- イヤな人の心の正体を知る
もしかしたらその人は自分の弱さを見せることを常に恐れていたり、劣等感を感じているのかもしれません。「この人はきっと自信がないんだな。劣等感を感じてるんだな」と思うことで、相手への怒りを和らげることができます。
- 上から目線ではなく神様目線
「あの言い方はないだろう」などと、イヤな性格の人を上から目線で見ると腹が立ちます。代わりに、「あの性格で生きていくのは大変だろうなー。あれじゃあどこに行っても嫌われちゃうだろうな、自分はあんな性格でなくて良かった」などと神様目線で遥か上から相手を見ます。すると憐れみや同情の気持ちで相手を見ることができ、あなたの心が和らぎます。
- 「のれんに腕押し」戦法
嫌味や悪口を言われた時に、「そんなことない!!」と否定すると、不思議なことにますます腹立たしくなるんです。なので、「そうだよ」などとあっさりと肯定することで、怒ることなくその場をやりのけることができます。そうすると、相手も何も言えなくなってしまうでしょう。
- イヤな人を味方にする方法
雑談量を増やすことで、共通点を見つけることができ、親密度が増します。親密度が増すと、イヤなコメントも減るでしょう。
(心理カウンセラー・ラッキー『もう悩まない!「嫌な人」との上手な接し方|しあわせ心理学』)
- 人と事を分ける
時々、「あの人は好きじゃないなー」と思うこともあるでしょう。でもその人の言葉、態度、行動が嫌だったのであって、その人自身が嫌ではない、というように見極めることで相手との関係を壊さずに済むかもしれません。
- 「けど」「だけど」「けれども」は対立を生み出す
前述した言葉は聞き手ではなく、説得や意見をする立場に自分を置きます。代わりに「のに」「だのに」を使うと、相手の話に寄り添うことができて、対位の関係を築きやすくなります。(伊藤前掲書 69-70、102-103ページ)たとえば「頑張ったのにね」といったように相手に寄り添うことができいます。
まとめ
人生には誰かと比較したり、対立する場面が常にあります。でも神はわたしたちが互いに助け合い、補い合うことを望んでおられます。勝ち負けといった潰し合いの代わりに「共有、共感、協同」を目指して平和な社会を築いていきましょう。そうして少しでも心が削られる社会から遠のくことができるしょう。
誰かを変えることはなかなかできませんが、この取り組みをあなたから今日始めましょう。そうすれば、あなたの心に平安や希望が宿って、その良い波紋があなたの周りに広がっていくでしょう。