自分の前世が知りたい!というか、前世って本当にあるんでしょうか?
率直な答え:
もし、わたしたちが生まれるまえに霊として存在していたことが事実であれば、わたしたちは本当に永遠の存在で、永遠の計画がわたしたちのために存在し、死すべきこの人生は試しと学びのひとときであり、わたしたち個人が実に無二な存在であるということを意味するでしょう。
順を追って答えていくと:
聖書のなかには、ルシフェルの堕落をほのめかす短い聖句と、世界が組織されるまえに天上で起きた戦争をほのめかす短い聖句があります。(ヨハネの黙示録12章4節、イザヤ書14章12−15節)神とキリストとサタン(ルシフェル)のみが永遠の存在であったと思われる天上で、どのようにその戦争が起こったのかと不思議に思った人はたくさんいました。他にもいたのではないか?と。参加者がいなければ戦争にはならないからです。
モルモン教徒は神から現代の預言者に与えられ、わたしたちが生まれるまえに何億年もの間存在していたこと、そしてその「前世」でわたしたちの永遠の成長にとって重要な事柄が多くおこったことについて理解するのを助けてくれる聖典を持っています。この肉体に生まれる前に関する知識を増やすことは、自分自身とすべての神のこどもたちについての見方を変えてくれます。それこそ、わたしたちの本質だからです。
ヨブ記の中の以下の聖句(38章4−7節)は、ただの美しい詩以上に意味を持つものです。
わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測り縄を地の上に張ったか。その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び歌わった。
生まれる前、神はわたしたちが神のようになるための永遠の計画を示しました。それを聞いた時、わたしたちは歓喜に叫びました。わたしたちは神の子孫であり、一人ひとりが神聖さの種を持っています。詩人であるワーズワースはこのことをほのめかしてこう書いています。
人が生まれるということは、眠ること、忘れることにすぎない。
わたしたちとともにのぼる魂、わたしたちの命の星は、
かつて別のところにあったもの。
それは遠くからやってくる。
すべてを忘れてはいない状態で、
完全に裸ではない状態で、
光の雲を引きずって、わたしたちはやってくる。
わたしたちが生まれたところ、神のもとから。
〜ワーズワース 「不滅のオード」(English Poetry in Japanese より)
生まれる前の記憶を取り戻すことで、わたしたちは神がわたしたちの起源であり、同時に目標であることを知ることができます。この物理的な世界の重要性は薄れ、学歴や賞、職業や所有物が高めることのできるものとは全く別の示現での自己意識が高まります。(See 伝道の書12:7; エレミヤ書 1:4–5; 使徒行伝 17:28; エペソ人への手紙. 1:3–4; へブル人への手紙 12:9; ユダの手紙 1:6.)
モルモン教の聖典からわかる「前世」
すべてのものは、神によって、その息子イエス・キリストを通して創造されました。キリストは、地球が組織される前の天国の広がりを見ていました。
「主なるあなたがたの神は、このように言う。すなわち、イエス・キリスト、わたしは有るという大いなる者、アルパでありオメガであり、初めであり終わりであり、世界が造られる前に永遠の大いなる広がりと天のすべてのこうごうしい衆群を見みた者、」(教義と聖約38章1節)
人ははじめから神と共に存在していた
人もまた初めに神とともにいた。英知すなわち真理の光は、創造されることも、作られることもなく、実にそうすることのできないものである。(教義と聖約93章29節)
しかし見よ、キリストの復活は人類、まことに全人類を贖なって主の御前に連れ戻す。(ヒラマン書14章17節)
世界が造られる前の人の創造に応じて、地が人の数で満たされるためである。(教義と聖約49章17節)
すべてのものはまず霊的に創造されてから、物質に創造された
地にはまだ野の植物もなく、また野の草も生えていなかった。主なる神であるわたしは、わたしが語ったすべてのものを、それらが地の面に自然に存在するに先立って霊的に創造した。主なる神であるわたしは、地の面にまだ雨を降らせていなかったからである。主なる神であるわたしは、人の子らをすべて創造していたが、まだ土を耕す人はいなかった。わたしは彼らを天で創造したのである。そして、地上にも、水の中にも、空にも、まだ肉なるものはいなかった。 (モーセ書3章5節)
神は御自身の声によって、わたしたちの先祖アダムに呼びかけて言われました。『わたしは神である。わたしは世界を造り、また人々を、彼らが肉体にある前に造った。』 (モーセ書6章51節)
まことに、彼らは生まれる前に、ほかの多くの者とともに、霊の世界において最初の教えを受け、主の定められたときに出て行って人々の霊の救いのために主のぶどう園で働く準備をしたのである。(教義と聖約138章56節)
前世で正体を隠した者たち
モルモン教の会員たちは、前世から特定の人しか救われないと決まっている「予定説」を信仰していません。しかし、モルモン教は「予任」すなわち地上の神の王国である役目を果たすことを、前世で神と聖約した、ということを信じています。わたしたちがその奉仕を辞退することは自由ですし、この地上に滞在しているあいだに基準に満たないこともあります。しかし、それでも救いはわたしたちの未来であり、昇栄は可能です。
第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また、第一の位を守らない者は、第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに、第二の位を守る者は、とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。(アブラハム書3章26節)
さて、主はわたしアブラハムに、世界が存在する前に組織された英知たちを見せてくださった。そして、これらすべての中には、高潔で偉大な者たちが多くいた。
神がこれらの者を見られると、彼らは良かった。そこで、神は彼らの中に立って言われた。「わたしはこれらの者を、治める者としよう。」神は霊であったこれらの者の中に立って、見て、彼らを良しとされたからである。また、神はわたしに言われた。「アブラハム、あなたはこれらの者の一人である。あなたは生まれる前に選ばれたのである。」(アブラハム書3章21節ー24節)
この記事はゲイル・ボイドによって書かれmormonhub.comに投稿されたものです。