神のその子供たちに対する救いの計画や贖罪は,全人類のためのものです。最初に前世で,神の子供たちは神のみもとに住んで,霊の存在として成長し発達しました。神は地球を試しの時期の状態として組織し,そこでその子供たちが肉や血の身体を得、神から与えられた選択の自由を使って、神の戒めに従うかどうかを見るようになさいました。死の後で,墓に肉体がおかれている間,彼らの霊は霊界で生き続け,復活を待ちます。それから,彼らの霊は不死不滅の骨と肉である体と一緒になり,そのような状態で永遠に存在します。

 

だれが人類を贖うのか?

前世では,父なる神がその子供たちにご自分の計画を提案なさいました。その計画には堕落が必要でした。それはアダムとエバがこの世に死をもたらすことによって起こりました。人は自由意志を持ち、自分の生き方を決めることができるとともに,物理的な諸力の影響を受けるようになりました。この世での生活の間,選ぶ機会があることに伴って罪を犯す可能性も出てきました。「清くないものはそこに住むことができないからである。」(モーセ6:57)神は人が悔い改め,清められる方法を備えられました。人が地上に足を踏み出す前に,イエス・キリスト(神の子供の長子)はこの世で人によって犯される罪の代価を支払うことに同意なさいました。完全で罪のない暮らしを送られることで,イエスは人類を罪と死から贖う資格を与えられました。

わたしたちの日常的な用法では,「贖う」とは「購入するないしは返済を終わる;支払いあるいは他の満足させる方法で取り戻す」となっています。聖典によると,キリストは文字通り代価を支払って,人を罪と死の支配から「買い戻す」ことをなさったのです。「あなたがたは,代価を払って買いとられたのだ。」(1コリント7:23)

ゲツセマネの園,そして再びカルバリの十字架で,理解を超える方法で贖い主は堕落の効果のために,そしてまた個人の罪、悲しみ、病気,そして不当な扱いに対しての神聖な代価を支払われたのです。悔い改め(自分の罪を告白し捨てる)を条件に,悔いる人々はキリストの恵みを受け入れます。キリストの恵みにより、物理的にバプテスマ、聖霊の清めの力などの福音の儀式によって促進されて, 人は生れ変わり,清められ,神の国に入ることができるようになります。「清くないものは,決して父の王国に入ることができない。したがって,信仰を持ち,罪をすべて悔い改め,最後まで忠実であることによって,わたしの血により衣を洗われた者の他には,父の安息に入る者はいない。」(3ニーファイ27:19)

 

贖罪による影響力

イエス・キリストの贖いの行為は、この世の悔いる人たちに清め,平安,そして希望をもたらしますが,贖いはまたはるか永遠にまで及びます。

キリストのすべての人類に与えられる無条件の贖いは、人類を死と地獄の鎖から解放することによって,アダムの堕落から来る物理的な結果から贖います。これはすべてのこの世の人々に無料で与えられる恵みの賜物で,神のすべての子供たちが、いずれは神の栄光の一つの段階に救われることを保証します。

「彼,すなわちイエスは,世のために十字架につけられ,世の罪を負い,世を聖め,それをすべての不義から清めるために来た・・・。彼により創られたすべての者が,彼によって救われるためである・・・・。御父から御子を示された後に御子を否定する滅びの子らを除く,その御手によって造られたすべての者を救われる。」(教義と聖約76:41−43)

しかし,悔いる精神の無い罪人の贖罪は,その人が福千年の間に自分の罪の神聖な代価を払い終わるまでは完成しません。

「それゆえ,わたしは,悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって,わたしの憤りによって,またわたしの怒りによって打たれて,つらい苦しみを被ることのないように,悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない。見よ、神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。しかし,もしも悔い改めなければ,彼らは私が苦しんだように必ず苦しむであろう。その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,からだと霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。」(教義と聖約19:15−18)

キリストの贖罪の条件は,神の恵みと不死不滅の約束を,神の律法と儀式に対するその個人の従順さに対して結びつけます。この贖いは,その個人に対して,この世におけるものと霊的なものの両面で,「堕落」の影響を克服します。その人の罪は許され,昇栄を受ける,ないしは神とともに住むことができます。

「この白い衣を身にまとっている人々は,だれか。また、どこからきたのか。・・・。すると,彼はわたしに言った,「彼らは大きな艱難をとおってきた人たちであって,その衣を子羊の血で洗い,それを白くしたのである。それだから彼らは,神の御座の前におり,昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは,彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。」(ヨハネの黙示録7:13−15)

 

もし贖罪がなかったらどうなるか?

すべての人は,「自分の罪のゆえに罰せられ,アダムの背きのゆえには罰せられない」(信仰箇条第2条)のですが、アダムの「堕落」によって人類は死と悪魔の影響力を受けるようになりました。もし贖いが死を克服しなければ,人はその堕落した状態で永遠に留まり,復活の望みはなく,永遠に悪魔の影響力を受け続けます。

おお,神の知恵,神の憐れみと恵みよ。見よ、もしも肉体がもう二度と起き上がることがないとすれば,わたしたちの霊は,永遠の神の御前から落ちて悪魔となったあの天使に従うようになり,もはや起き上がることはない。そして,わたしたちの霊は,あの天使のようになっていたに違いない。わたしたちは悪魔の使いである悪霊となって,神の御前から締め出され,偽りの父とともに,彼自身のように惨めな状態にとどまっていたに違いない。まことに,その者はわたしたちの始祖をだました者であり,光の天使であるかのように装い,人の子らをそそのかして人殺しをする秘密結社を作らせたり,あらゆる隠れた闇の業を行わせたりする者である。おお,神の慈しみの何と深いことか。わたしたちがこの恐ろしい怪物に捕まらないように,神は逃れる道を備えてくださっている。まことに,その恐ろしい怪物とは死と地獄であり,わたしはそれを肉体の死および霊の死と呼ぶ。(2ニーファイ9:8−10)

ジェームズ・E・タルメージは、1911年にモルモン教の十二使徒に召されました。イエス・キリストの贖いの使命が絶対的に必要であることについてこう述べています。

そのような事柄が贖い主の必要を示しています。主がいらっしゃらなければ、人類は堕落した状態に永遠にとどまることになり,永遠の進歩の望みは必然的になくなってしまうでしょう。この試しの生涯は進歩する機会なのですが,困難や危険は非常に大きく,この世における悪魔の影響はあまりにも強く,それに対する人間の抵抗力はあまりにも弱いために,天からの力による助けがなければ,人類の中のいかなる人も自分がもともと来た所である神の御もとに戻ることはできないでしょう。贖い主の必要性は人が自分自身ではこの世のレベルから霊的なレベルに上がれなく、低い王国から高い王国に上がれないという能力不足によるのです・・・・。ですから,人が現在の堕落して比較的後退した状態からより高い霊的な生活に進むためには,自分自身の力以上のものが働いてくれなければなりません。より高い王国で得られる律法を機能させることによって,人に手が差し伸べられ向上出来るでしょうが,自力では自分を救えません。人類の贖い主であり救い主の存在は,何の疑いもなく永遠の父の計画を実現するために必須のものです。すなわち、「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」です。そして贖い主であり救い主である方はイエス・キリストで,この方を除いて他にはあり得ません。

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資料

  • 「贖う」,dictionary.com,ランダムハウス株式会社,2013年9月13日
  • タルメージ,ジェームズ・E,「キリスト・イエス」,2006年

 

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