福音に出会い学んだ結果、バプテスマを受けてクリスチャンになると決意した人たちがいます。両親が教会員なので、子供の頃から教会員の人もいます。どのような経緯で教会に入ったのであれ、福音に従った生活によって、喜びや平安を得ることができます。しかし、その後教会に行かなくなる人たちも確かにいます。そのような人たちはどうして教会から離れたのか、具体的な112個の例と、再び教会へ通うようになった話をシェアします。
物理的な問題
1. 平日の仕事や学校が忙しく、日曜日は家で休みたい
2. 学校の課題が多くて、日曜日も取り組まないと終わらない
3. 教会へ行くための交通費がない
4. 教会が遠いために往復するのに時間が掛かる
5. 教会へ行くために他の会員が車に乗せてくれるが、それが申し訳なく感じる
6. 毎週日曜日に教会へ行くという習慣が体に馴染まない
7. 家族の反対があり、毎週日曜日に教会へ通えなくなった
8. 経済的な理由や職種の関係で日曜日にも仕事をしなければいけない
9. 日曜日の集会の時間に間に合うように、朝起きることができない
10. 部活、試合や習い事が日曜日にあり、そちらを優先している
11. 家族の介護があり、日曜日に長時間は家を離れられない
12. 病気や体力の関係で、2時間教会にいる事ができない
13. 責任やアサイメントがいくつも重なって、疲れ果ててしまった
クリスチャンになったことで、これまでの生活に変化が出る人がほとんどでしょう。長く教会へ通っていても、仕事や学校、体調の変化などで教会に行けなくなることもあります。そのような問題は、教会へ通うハードルを上げてしまいます。自分の生活をどのように福音と調和できるか調整できるよう考えて、できることを行動に移せるといいですね。
自分と他人を比較してしまう
14. ほかの人の強い証や信仰を自分と比べて自信が無くなる
15. 戒めや贖いなど知らない言葉が多く、レッスンなどが分からない
16. 聖典の知識がないので、ついていけなくて恥ずかしかったりする
17. 自分が着てる服がみすぼらしく感じる
18. 自分が逆境の中なのに、ほかの会員が幸せそうに見えて苦しくなる
19. よその子が大人しく座っているのに、自分の子供がちゃんと座っていられなくて居づらい
20. 子供が騒ぐので集会をしている部屋から出るが、子供の相手をしていると教会で学べないので何のために来ているか分からなくなる
21. 戒めを守れず、後めたさを感じる
22. お酒・たばこ・コーヒーなどを止められない
23. 什分の一が払えない
24. 純潔の律法(道徳規範)が守れない
25. ほかの会員が素晴らしく見える分、自分がダメだと感じる
26. 神殿結婚をしたいのに、その機会に恵まれないまま年齢を重ねていてプレッシャーを感じる
27. 結婚しているが、子供がいないので居づらい
28. 離婚したので、永遠の家族のコンセプトが辛い
29. 若い時、伝道に行かなかった、または途中で帰って来たので、肩身が狭い感じがする
30. 訳ありのため他の会員のように宣教師を家に招待したくないので、教会にいるのが後ろめたい
31. 教会員じゃない友達から、自分が教会に行っていることで仲間外れにされたり、白い目で見られたくない。
神様は一人一人をご存知で愛しておられる、という真理を知っていても、人と自分を比べてしまい、孤独を感じたり辛くなることがあります。そのような感情はいつの間にかどんどん大きくなり、教会から離れて行くことにつながります。それは、新しくクリスチャンになった人に限らず、長い間教会に集っている教会員にも起きることです。
福音の教えに対する確信が持てていない
32. 証がない
33. 信仰がない
34. 御霊が何か分からない
35. 御霊の感じ方が分からない
36. 自分の宗派特有の示現への証が持てない
37. 聖典に書かれている話で、神が人をを殺すように命じられたことが理解できない
38. バプテスマを受けたのは、宣教師が勧めたから(別に受けなくてもよかった)
39. お世話になった宣教師が転勤や帰還でいなくなって寂しいし、教会へ行く必要がなくなった
40. 祈りによって問題を解決したことがない(覚えていない)ので、祈ってもどうにもならないと思っている
41. 問題に対してひざまづいて祈ることよりも、実際に動くことが大事だと思っている
42. 一生懸命戒めを守って祈っていたのに、家族に不幸があり神様が信じられなくなった
43. 頑張っているのに努力の成果を見ることができず、疑いの心が生まれた
44. 親が行くからなんとなく行っていたが、その後も行く意味が分からない
45. 進学や就職で親元を離れて教会へ行かなくなった
46. お兄ちゃん、お姉ちゃんが教会に行かなくなったので、弟・妹の自分もいずれ行かなくて良いと思っている
47. 聖文が難しくて理解できない
48. 証して泣くのは変だと思う
49. 宗教はダサいと思う
50. 教会に行ってても感化・鼓舞されていない自分がいる
51. 伝道に出たくない・伝道したくない
52. 自分が通っている教会が唯一の真実の教会であるという証が得られない
53. 自分が信じている教会を反対する文章を読んで、行きたくなくなった
54. 聖典に書いてあるように完璧になれない
55. 召し(教会での奉仕の責任)をもらいたくない
56. 他の活動で神様との関係、スピリチュアルな経験をしている
57. 他の宗教に加入したから
58. 興味がなくなった
クリスチャンとして毎週日曜日に教会で福音を学んでも、実際の生活で活用できないことも、教会から離れる原因となります。福音の祝福は学んだことを実際に行ってみることで得られるからです。祝福を感じられないと、教会へ行く気持ちも弱くなってしまいます。そうすると証や御霊を感じる機会は失われ、ますます教会から離れて行きます。
人間関係
59. ほかの会員に服装について注意されて気分が悪くなった
60. 気にしていることを言われて傷ついた
61. 自分の価値観・生活習慣を否定された
62. 戒めではないのに相手の価値観を押し付けられた
63. 自慢話をされるので行きたくない
64. 助けはいらないと言っているのにしつこく聞かれてうんざりした
65. 訪問する時間を考慮してくれなかった
66. ある会員に悩み事を相談したらほかの人にも話したようで、何人かの人が知っていたから嫌になった
67. ミニスタリングの担当とは気が合わないのに変えてもらえないから
68. 教会へ行っても誰も話しかけてくれない
69. 気の合う友達がいない
70. 仲良かった人が引っ越した・お休みになった
71. 教会で話す人はいるけど、孤独を感じる
72. できる限り召しを果たせるように努力してきたが、それを否定された
73. プライマリー(子供のクラス)の教師をしていたが、子供たちが話を聞かないで好き勝手するのでストレスが溜まった
74. 青少年のクラスのレッスンをするが、反応がなくその時間が苦しい
75. 青少年の指導者として召されているが、思春期の子供たちの考え方や人に対する見方が厳しくて辛い
76. バプテスマを受ける時に家族に反対されており、教会へ行き続けることにうしろめたさを感じる
77. 長い間励んでいた召しが解任され、物足りなさを感じる
78. 伴侶が広い地区を管轄する役割をもらい、毎週一緒に教会へ通えなくなった(一人で行くのが嫌)
79. 家族と関係が悪いので永遠の家族という教えが魅力的でない、一緒に教会に行きたくない
80. 対人恐怖症がある
81. 大きな空間に恐怖を感じる
82. 自分の教師が好きじゃない
83. 預言者や中央幹部の人たちが同じ人間じゃないように感じて親近感がわかない
84. 親の期待に応えられてないと感じている
85. 日本の教会の文化の型にはまりきれない
86. 教会員の中の派閥を感じる
87. 敵に回したら怖いと思ってる人がいる
88. 教会員同士で悪口を言っているのを聞いてショックを受けた
89. 言動と行動が伴わない偽善者がいるようで嫌になる
90. ビショップリックなど、地元の指導者と合わないと感じる
91. 重大な罪を犯してしまったことを皆が知っていて行きにくい
92. 離婚したので自分だけでなく周りの会員も接しづらいのを感じる
93. 召しを果たさない人がいるので、自分がカバーしていてきつい
94. 教会員ではない友達に戒めを守ってて可哀そうだと言われた(ピアプレッシャー)
95. うつがあって行けない時がある
96. 被害妄想をする人がいてしんどい
97. お金の貸し借りをしてしまってお金が返って来ない
98. 指導者同士のコミュニケーション不足で問題が起きている
99. 日曜は教会に行かずに、もっと家族で時間を過ごし、家族の絆を強めることにしている
100. 自分はLGBTQなので行きづらい
101. 教会員からいじめにあっている
102. クラスで一緒に座りたいと思える人がいない・どこに座ったらいいか分からなくて緊張する
103. ほかの家族は食事に招待されているのにわたしの家族は誰からも招待されない
104. 教室に入りにくい。どこに座ったらいいかも分からず、なんとなく居づらい
105. クラス中ひどいことを言われたが、誰も後から気にしてくれなかった
106. 教会の過去の会員がしたひどい行いを認められない
教会とはいえ、そこは社会と同じで、いろんな人がいます。わたしたちはみんな不完全です。そのため、間違うことがあります。人間関係もそうです。神様を信じていても、戒めを守っていても、価値観の違いなどのトラブルが起きてしまいます。福音を通じて友情を強くする人もいますが、逆を言えば福音が関わっている状況で人と問題を持ったら、相手からだけでなく教会からも離れたくなってしまいます。覚えておきたいのは、必要じゃない人は誰もいないということです。「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体したいである」(コリント12:27)大変なことがあったとしても、わたしたちはお互いを必要としているのです。
誘惑
107. 日曜日にしかしていないイベントなどへ行ってしまう
108. 別に毎週行かなくても問題ないと思い、気付いたら教会へ行っていなかった
109. 教会と同じ時間に好きなテレビ番組がある
110. 教会へ行っていなくても幸せそうに生きている人はいっぱいいると思った
111. 悪いことをしてても幸せそうだし、裕福な人をみると教会に行ってるのがばからしく思える
112. 日曜日でも友達に誘われると遊びに行ってしまう
クリスチャンになった後、教会へ通う時間は充実していたかもしれません。しかし、ほかの物に魅力を感じてしまい、そちらを取ってしまうこともあります。誘惑に負けてしまうと自覚している人もいますが、それが誘惑であるということを認識していない人もいます。
教会に戻ってくる決意
上記の理由などにより、教会から離れたクリスチャンの中には、再び日曜日に教会に通うようになった人たちもいます。きっかけはさまざまです。家族も教会員であった場合、自分が教会へ行っていなくても、家庭の中で福音を実践してくれていると、それが大きな助けとなります。また、ほかの会員から継続的なコンタクトをもらった人もいます。「教会に来ていないからもう関係は終わった」のではなく、友達として、隣人として、優しさと愛を示してくれているのです。個人で聖典を学んでいる間に得た導きによって、また教会へ戻った人もいます。教会から足が遠のく数ある問題以上に、教会へ行くことへの大切さを感じ、教会へ再び行こうと決意するようになります。
神と自分の関係が鍵
教会に行かないと、教会へ行くことで得られる祝福を逃してしまうのは確かです。教会へ行くことで得られる霊的な成長があるからです。毎週教会で学ぶことで、安定した平安を得る方法を習得できるようになります。教会に行かないことで、毎週教会へ通うことの本当の喜びに気付くことができません。もし、個人の問題や誰かとのトラブルによって、教会から離れたのであれば、神との関係を築き、それをさらに強くしていくことで、解決の道が開くきっかけになります。神を信頼し、お祈りを通して自分の生活の中にある悩みや問題を相談します。レンランド長老は、彼の友達のお母さんが言った言葉をシェアしてくれことがあります。「……教会は大きな病院のようなものよ。わたしたちはみんなそれぞれ病気を抱えていて、助けを得るために教会に行っているの。」(「末日聖徒は努力し続ける民です」リアホナ2015年5月号)神に頼りながら、あらゆる問題の解決のためにさまざまな努力をすることで導きを得て、新たな発見や進歩を見ることができます。
「わたしのもとにきなさい… …休ませてあげよう。」
マタイによる福音書11:28には次のようにあります。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」悩んだり苦しんだりする時こそ、神に祈り求めてください。すぐには解決しなくても、求め続け、自分のできる限りの努力をします。無理をする、ということではありません。今できる精一杯を前向きに取り組む時、神がわたしたちに足りないところを助けてくださいます。
もし教会に行かなくなり、再び教会へ行くと決意することは、とても勇気がいることかも知れません。しかし、神はすべての人が教会に来て、喜びと平安を得ることを望んでいらっしゃいます。それは、親が子供の幸せを望むようなものです。教会へ行くことに何か問題があるなら、迷わずに神に頼って解決できるように行動してみてください。必ず、良い方向に進みだします。
こちら合わせてご覧ください。
これを読んだあなたにおススメの記事
教会に言って平安を得ることはできない
未婚であること、子がいないことが蔑みの対象になるのは知っている
教会ではそれがより顕著であり、説教の中でも未婚や子なしを煽るような言動をする牧師は非常に多い
そして、神に従わないものは地獄行きだと暗ににおわせる言動もある
キリスト教はクズだ
牧師を殺すことをいつも考えている
牧師の話で大変辛い思いをされてきたんですね。苦しかったですね。
未婚や子供がいないことで苦しまなければいけないような説教は神様は望んではおられません。人が鼓舞されるべき説教で誰かが苦しむのは真のキリスト教の姿ではありません。
神様はあなたのことを愛しておられ、そしてキリストも分け隔てなく人々を愛しておられます。キリストが何を教え、どのように生きられたのかを学ぶと、何を伝えどう振舞ったらいいのか分かるのかと思うのですが。指導する立場の人がそのような姿勢だとキリストの教えによって祝福を得られないですね。いつか教会で心安らぐ経験ができることを心よりお祈りしています。
クリスマスや元旦、教会に行けば綺麗な格好をしたカップル家族連れ3世代だらけで街中よりも居づらいですよね。
説教も「夫婦や家族の素晴らしさ」よくて「1人で頑張って地位や名誉を作った方」が多い。
何もない者には教会は冷たいです。むしろそれを伝えた処で「そんなことない。あなたの捉え方が悪いだけ」です。
金も地位もなく未婚で子もない家族もない人間にとっては、教会は地獄そのものです。
持てる者さんたちには平和で笑顔溢れる幸せな場所なんでしょうけどね。
キリスト信仰と教会名簿に名前があることとは全く別物だと思います。
同じような方がいて少し癒されました。
湯さんも辛い思いをしてきているんですね。教会が地獄であり、居場所がないのはとても残念なことです。たくさんの人が通る道だと思いますが、辛いですよね。わたしも教会で居場所がないと感じたことがあり、辛い時期を過ごしたことが何度もあります。教会で自分の居場所を見つけたり、作るのは難しい時もありますが、それができるよう祈ってみるのも助けになるかと思います。教会は病院だと言われていて、みんな不完全なので、残念ながら何か嫌なことが起きても不思議ではありません。何か嫌なことを言われたりされても、湯さんの偉大な価値は変わりません。大切な神様の子供です。
湯さんに平安があるようお祈りします。
先ず述べることは、末日聖徒イエス・キリスト教会は世の人々が言う処の「キリスト教」の教会ではありません。時間的、歴史的、地理的に出処が全く違います。だから牧師とか神父などの聖職者は居ません。
末日聖徒イエス・キリスト教会は「イエス・キリスト教」の教会です。つまり、ローマ帝国皇帝の後押しで創られたカトリック教会や正教会の分裂する
以前の大元の教会と繋がる教会ではなく、イエス・キリスト自らが弟子を集め、或いは呼んで弟子達に創らせた教会です。
上記の教会はヨーロッパにあった異邦人の為のイエス・キリスト教の教会が教会員の背教によって潰れた後に創られた教会であり、末日聖徒イエス・キリスト教会はそれが潰れた為にイエス・キリストが再降臨までに全人類が滅びないようにする為に再び同じ様な教会を約1800年後に回復させたのです。
これに対し、ユダヤ人を含めたイスラエル人の為のイエス・キリスト教会は封印はされてそれがイエス・キリスト教会であると素人目には判らないようにカモフラージュされていますが潰れずに今日まで残っています。
いずれその封印が解かれ、末日聖徒イエス・キリスト教会と1つになる時が来ます。
次に述べることは、そのようにあなたが行きたいと望まないような教会へ行く必要はありませんし、そのような牧師に腹立てて殺すことを考える必要はないはずです。今時、悪い奴らは大勢いますし、その牧師を殺してもまた新たな嫌な牧師が出現してきます。
しかし、あなたが牧師を殺したならばあなたに自由が無くなり、強制的に刑務所に連れていかれ、更には死刑となることにも繋がり、あなたにとってその後の人生が損か得かと言えば損になるだけでなく、死んだ後には地獄には行きませんが精神的にそれに近い気持ちで永遠に暮らさなければならなくなってしまいます。牧師にあなたの心を捕らわれさせては駄目です。捕らわれるか捕らわれないかを選ぶのは牧師でなく、あなた自身です。
あなたも私もこの地球で人として産まれて人生を送るために来ていますが、その目的は嫌なこと、(精神的、肉体的)に辛いこと、などを経験し、神の国へと帰ることです。何故なら、神の国にはそのようなことがなく、平和であり、平安であり、平和ボケに浸って魂の成長が出来ないからです。そしてその嫌なこととか辛いことは神の国にいるときにあなたが神と共に計画し、選択したものです。勿論、そんなこと覚えてはいませんが。だから神はあなたのその選択に対してどう対処するのかを黙ってみています。
例えば、イエス・キリストは前世で父なる神と共に立てた計画においてこの世では十字架に掛けられて無実の罪により殺されるという選択をしました。だから父なる神はその為に彼が祈っても彼を助けることは敢えてしませんでした。
そのように既に神と共に立てた計画がある場合、神はどんな辛いこと、嫌なことがあろうとも勝手に助けることはしません。
そして最後の審判の時には全ての人類はこの世の嫌な事や辛い経験を他人のせいにしたり、神々のせいにしたりしては駄目だということ、つまり、自分がそれを選択したことを思いだすことになります。
それまでに自分の心を整えて自由な状態にしておかないと自分自身が辛い目にあうことになります。
そのようなことにならないようにする為に神は予め「戒め」を与えてその辛い目に遭うことにならないようにしているのです。
言い換えると、神々は前世(神の国で暮らしていた時のこと)のあなたの代行をしているのです。何故ならあなたは前世の記憶や自分が立てた計画について忘れてこの世に来ているからです。
だから神々は前世のあなたの代行者。仮にあなたが神々に対して腹を立てる、背くということになればそれはあなた自身への背き、腹立を立てるということになり、大変なことに至ってしまいます。全ての責任は自分でとるしか道はないのです。
故に、他人(牧師、その他の人)の為にあなたの心を捕られるがままにしていては駄目です。あなたはあなた自身が短所となっているこのことにおいて成長して長所となるべくする為にその牧師を(悪い言い方をすれば)利用しているのです。神公認ですから利用して悪いことではありません。
別の例えで言えば、私がこの地球上で試しの生涯を送るにあたって私は産んでくれて育てた母親、父親を前世で選び、この世では利用しました。
ですから心を自由なままで維持するように努めて下さい。いずれ悪い牧師、又は教会員はイエス・キリストの再降臨後には居なくなります。