わたしは主を信じて待ち、行動する時に、主への信頼を深めることができます。主への信頼が深まると、わたしは主の声をもっとよく聞くことができるようになります。
わたしは最近ネコを飼い始め、その子をハンクと名づけました。ハンクは大きくて抱き心地のよいトラネコです。寄り添って来てはいろいろなことに「ニャー」と鳴き、キッチンカウンターに飛び乗ることが大好きです。いかにもネコらしいでしょう?もちろんカウンターの上には、先のとがった物や人間のごはんが置いてあるので、清潔にしないといけないし、ネコの遊び場には断じて適していません!だからハンクが流し台に飛び乗り、わたしが昨日から置きっぱなしにしているお皿のにおいをクンクン嗅いでいるのを見つけたら、大声でハンクの名前を呼びます。でも絶対にハンクは顔を上げず、わたしには見向きもせずに、自分のしていることを止めようとしません。 わたしとハンクはコミュニケーションがまったく取れていません。
個人の啓示についての気づき
どうやってハンクを振り向かせようか考えていた時に、わたしとハンクは似た者同士なのだとハッと気づかされました。最近、わたしは啓示について深く考えていた時に、主にいくら叫び求めても答えが聞こえなかったり、今すぐ祈りに答えて下されば窮地から抜け出せたかもしれない場面を思い出しました。そして、もしかしたらハンクにわたしの声が聞こえないように、わたしも主の声が聞こえないのかもしれないと気づきました。
たくさんの人たちが同じような問題に苦しんでいると思います。わたしたちは主に助けを求める時に、天国が閉ざされているように感じるときがあります。それはまるで「子どもたち、頑張ってね!でも今回は自分だけでやりなさい」と言われているかのようです。わたしたちは祈りは答えられること、またジョセフ・スミスのように神から啓示を受けられることを教えられているので、祈りに対して落ち込むことがたくさんあるでしょう。 沈黙はわたしたちを天から引き離し、孤独を感じさせ、天父から見捨てられたと感じさせます。
でも、もし主がわたしたちを決して見捨てないとしたらどうでしょう?主に見向きもしないのは、わたしたちなのかもしれません。もしかしたら、主の声や主の御霊がわたしたちを呼んでいるのに、わたしたちはそれに気づいていないだけかもしれません。
十二使徒のリチャード・G・スコット長老(1928-2015)はこのように述べました。
「人は、このように感情の渦に巻き込まれてしまうと、自分だけでそこから抜け出すことがなかなかできなくなるのです……。」
「すぐに答えを欲しいと望んで祈っても答えがないように思えるのは、わたしたちが祈りに関する真理を理解していないか、あるいは答えを受けてもそれに気づかないためです。」
祈りの答えの3つのパターン
スコット長老は、主は常に次の3つの方法で祈りに答えてくださると教えています。
「祈りの答えを知る」『聖徒の道』1990年1月号、31‐33
でも、これってとても難しいことではないですか?わたしは毎晩のように心から祈っても、肯定的な答えも、否定的な答えも、どちらの答えも貰えないと感じることがあります。そして三番目の答えのように、答えを差し控えられるなんて耐えられません。
最近読んだ小説の中で、ある女性の登場人物が、知人にこのように助言を求めていました。「なぜ主はわたしを助けて下さらないの?…… 主の助けなしには死んでしまうことをご存じのはずなのに。」
でもその後、彼女は主の御心を理解しました。主が答えなかったのは、彼女が答えまであともう一歩のところにいることを示されるためでした。主は、彼女が目標まであともう少しのところにいたので、彼女が自分の力で目標に到達できると信じていらっしゃいました。
主はそれと同じような方法を取られることがあります。わたしは心配事がある時に主に祈りますが、何の答えも受けないことがあります。それは、過去に主から受けた指示を頼りに自分で選択できることを、愛ある天父は信じていらっしゃるからです。主は、わたしが答えに近いところにいること、また自分で答えを見つけて成長できることをご存じです。
主を信頼する大切さ
わたしは過去に、もし主の答えを受けていたら失敗していなかったと思うことがあります。でも、失敗した経験が今のわたしを形作っていることに気が付きました。
ハンクとわたしの関係について話を戻すと、もしハンクがわたしの声や自分の名前を覚えたら、もっとわたしのことを気にしてくれるようになるでしょう。そしてわたしの声を聞いて、危険から守られるなら、もっとわたしを信頼するようになるでしょう。
もちろん主とわたしの関係はもう少し複雑ですが、その原則は同じです。主の声を聞き、促しに従う時に、主をさらに信頼するようになります。さらに主を信頼するならば、より主の声を聞くようになります。もし主の声が聞こえなくても、主の存在や主の愛を疑うことはありません。主はわたしが良い決断をできること、そして失敗から学べることをご存じであることを信じるのです。
もちろん頭では分かっていても、わたしはそれだけでは満足できずに、孤独を感じ、混乱することもあります。しかし、それが人間らしさであると分かり始めてきました。わたしは恵まれたことに、泣きたい時、怒りを感じる時、愛に飢える時に、天のお父様やイエス・キリストに頼ることができます。ストレスや試練のさなかにあるときは、お二方がわたしを導いてくださいます。
この記事はもともとMackenzie Brownによって書かれ、churchofjesuschrist.orgに投稿されました。
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