モルモン教のオリンピック選手ノエル・ピクスペースはワールドカップ・スケルトン・チャンピオン。オリンピックで落胆と喜びの両方を経験しました。彼女は2006年トリノオリンピックで金メダルを期待されていましたが、暴走したボブスレーが彼女に激突して右足を骨折したため、競技に出場することができなくなりました。

しかし、ピクスペースはこの逆境にくじけることはありませんでした。彼女は、「この事故により自分は肉体的、精神的、霊的にどのように創られているかを知ることができました。わたしたちが今ここにいるのは、選択をするためであると証を得ました。状況に関係なく、 物事には常に別の見方をすることができます」と話しました。そして2010年までにはオリンピックに挑戦する準備ができていました。しかし、世界で自分の力を証明する前に、彼女はメディアサミットで国民に彼女の標準を証明しました。

モルモンのオリンピック選手、ノエル・ピクスペース

 

いつでも神の証人になること

「メディアサミットという国家行事は、スポーツ、健康、またはフィットネスに関心を示しているすべての新聞、雑誌、テレビ放送、チャリティ基金、インターネット放送などのメディアが集まります。オリンピックに出場する選手たちは、このイベントに出席するよう招待状を受けました。」とピクスペースは、彼女の著書「Focused」で説明しています。

イベントの写真撮影会でアシスタントの一人が、上半身部分がキャミソール型(細い肩紐が付いた肩を露出する服)で丈の短い真紅のドレスを取り出して、健康的な心と生き方を奨励するため、参加している全女性選手はその赤いドレスを着て写真撮影をすると説明しました。ピクスペースがそのドレスは着ないと伝えると、アシスタントは地味な、しかし教会の標準に合った控えめなドレスを彼女のために用意しました。

「その時、あのドレスを着るか着ないかという選択はわたしにとっては簡単なものでした。それは『いつでも、どのようなことについても、どのような所にいても、神の証人になること(モーサヤ書18章9節)』をすでに決めていたからです。自分が何者であり、何を支持するかを世の人々が期待するようなものには合わせないと決意していました」とピクスペースは自著で語っています。

ピクスペースは衰えることのない高潔さを保ちながら出場した2010年バンクーバーオリンピックで、0.1秒の差で表彰台を逃しましたが好成績を残しました。その後引退した彼女は、最後にもう一度夢にかける決意をし、2014年ロシアで開催されるソチオリンピックに出場するために競技に復帰しました。そして出場したソチオリピックで、ピクスペースは見事女子スケルトンの銀メダルを獲得しました。何年もの犠牲、根気強さ、家族の支えを象徴するメダルがピクスペースの首にかけられた時、世界中のモルモン教の会員たちは彼女の首にもう一つの銀のペンダントである、若い女性のネックレスがかけられていることに気づきました。

当時、ステーク若い女性会長会の会長だったピクスペースは、彼女の信仰を示す若い女性のネックレスを大会中ずっと堂々と身につけていました。彼女はこのように話しています。「わたしは、誰かに何かを押しつけようとするつもりはありませんが、自分の信仰を表すことができることに感謝しています。わたしは若い人々が大好きです。彼らは偉大な人物になることができます。つまり、彼らが何者であり何を支持しているかを知る時に、どんなことでも達成できるのだと知って欲しいのです。」

 

この記事はダニエル・B・ワグナーによって書かれ、ldsliving.comに掲載されたものです。翻訳者はスミス寿子です。