末日聖徒イエス・キリスト教会の集会に行ったり、動画や記事を読んでいると「御霊(みたま)を感じる」「証があります!」という言葉を聞いたり見たりすると思います。

なんのことだろうと思うかもしれません。これは教会員でもちょっと難しいと思うことなんです。

御霊とは

学習ヘルプには、「聖霊はしばしば、御霊、神の御霊と呼ばれる」と書いてあります。

御霊とは、聖霊のことです。

聖霊は、神会の神様、イエス・キリストに続く第三の御方で、霊の存在です。身体を持っていません。

そのため、わたしたちに神様の愛や祈りの答え、福音の教義に関する確信を与えてくださいます。すべての人が御霊を望んで行動するなら、必ず経験することができるんす。

教会員の家庭に生まれても

わたしは末日聖徒の家庭で生まれて、赤ちゃんの頃から教会に行っています。教会で祈りの答えや御霊について何度も学びましたが、高校を卒業するころまでよく分かりませんでした。

御霊を感じる時、教義と聖約9章8節には、「胸を内から燃や(す)」というように書かれています。これを知った時は、運動した時みたいに胸が熱くなるのかとも思ったほどです。

ハワイに留学していた時、ある事情でとても苦しかった時期があります。断食して聖典を読んでたくさん祈りましたが、状況はなかなか変わらず、悪くなっているようにも感じたほどでした。

御霊を受けた時に

それでも、今振り返るとあれは御霊だったと分かる経験があります。

高校受験で志望校を決める時、学校について調べてよく考えて祈った時に、やる気と希望で心が満たされました。

留学中の苦しかった時、とある眠れなかった夜に、寝るのを諦めたことがあります。それがきっかけで見た朝日から、安心感と、なぜかその時に「神様はいる!」という確信を得ました。

結婚して2人目の子供が生まれた後、夫の仕事の関係で遠くに引っ越すことになりました。下見に行くことができない距離だったので、夫だけが物件探しに行きました。

引っ越し先の環境や建物について、夫から電話で説明された時、夕飯を準備していたにも関わらず、目の前が明るくなって引っ越しについての不安が急に消えて、希望があふれました。

これらの経験で、わたしは涙を流したわけではありません。使い捨てカイロを当てたように、胸が温かくなったわけでもありません。

しかし、嬉しい、心穏やか、幸せ、希望、頑張ろう、というような気持ちに満たされました。そして「あ、これが御霊か」と分かったのです。

御霊を受けるには

では、どんな人が聖霊を受けることができるのでしょうか?

冒頭でもお伝えしたように、望んだすべての人です。もっと言えば、望んでいなくても聖霊を受けることができます。

人には善悪を判断できる「良心」があります。

わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。

へブル人への手紙13章18節

聖霊はわたしたちの良心に働きかけます

わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。

ローマ人への手紙9章1節

べドナー長老はこのように話しました。

わたしたちは天使を見たり、天の声を聞いたり、圧倒されるような霊的な印象を受けることはないかもしれません。神の御心に従っているかどうか完全な確信がないまま、望みと祈りをもって前進することが多いかもしれません。しかし、聖約を尊んで戒めを守り、善を行い善い人になるよう絶えず努めるなら、神が導いてくださることを確信して進むことができます。

「啓示の霊」2011年4月総大会より

自分が聖霊を受けたいと望んで、べドナー長老が言うようなふさわしい行動をする時に、自分で御霊の働きに気付くことができます。

ふさわしい行動の提案

ふさわしい行動はどんなものでしょうか?「戒めを守る」というのが1つあります。

また、「戒めを守る」を含めて、もう少し具体的に紹介しましょう。

・よく祈る

よく祈る

毎日、何度も祈ることをおススメします。祈りが習慣になったらいいですね。ただし、慣れ過ぎて気持ちを込めて祈ることを忘れないようにしてください。お祈りが終わったら、そのままちょっとの間目を閉じて、自分の心にどんな気持ちがあるか集中してみてください。

・聖典を学ぶ

聖典を読む

毎日自分でモルモン書を読んだり、宣教師や教会員と聖典を学びます。読んだ聖句についてどう感じたかを分かち合いましょう。

・福音の学習プログラムに参加する

セミナリーやインスティチュートに参加する

教会には福音を学ぶ機会が沢山あります。日曜学校のほかに、青少年向けの福音学習プログラム「セミナリー」や、成人向けの「インスティチュート」があります。宣教師とのレッスンが終わっている人はこちらをおススメします。

これは、教会員でなくても受講することができますので、お近くの教会に問い合わせるか、「神への信仰」へコメントメールをしてください。

・聖餐会に参加する

毎週聖餐を受ける

日曜日の集会に参加してみてください。讃美歌を歌ったり、お互いの経験や証を分かち合います。お互いに教え合ったりもします。わたしたちは、ほかの人との交流や福音について話す時にも御霊を感じます。

ほかにも、いくつかのワードを対象にしたステーク大会や、全世界の人に向けた総大会があります。どれもとても霊的な集会です。

・自分の心にフォーカスする

自分の心にフォーカスする

祈っている時、聖典を読んだり分かち合っている時、福音を学んでいる時、聖餐会に参加している時、自分は今どんな気持ちを感じているかと考えてください。この時間はとっても大切です。もし、この聖句のような気持ちがあれば、それは御霊です。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

ガラテヤ人への手紙5章22-23節

・心も身体も清くする

心と身体を清くする

末日聖徒イエス・キリスト教会では、心と身体を清く保つための戒めがあります。
例えば、タバコ、お酒、お茶、コーヒーなどを摂取しない知恵の言葉と、法的に結婚している夫婦間でのみ性的な関係を認める純潔の律法です。これらを守ることで、自分自身を清くし、御霊を受けやすくします。

御霊と証の関係

証と御霊はとても強い関係があります。

聖霊によって与えられる知識と霊的な確信。個人が真理として理解していることを公式に、あるいは法律に基づいて宣言する証言も証の一つである。

学習ヘルプより

御霊を受ける事で、わたしたちは福音への理解が強まります。聖霊が助けてくれて、神様からの答えと確信を得ます。そして、それを人に分かち合う時、証となります。「イエス・キリストの御名により」証を分かち合うことも大切です。

専任宣教師として奉仕していた時、わたしは商店街で出会った人に証を分かち合う機会がありました。イエス・キリストについて証する時、モルモン書について証する時、アーケード内で流れていたBGMは急に聞こえなくなり、わたしたちの周りだけ静寂が訪れたような感覚になりました。

話しかけたその人の表情は急に明るくなりました。そんなに長い時間ではありませんでしたが、とても良い時間でした。そして確かにわたしたちは御霊による影響を受けていました。

聖霊は証を与えてくださいますが、証を分かち合う時に、また新たに御霊を感じることができます。

証がないと思っていても、良い経験やその時の気持ち、福音についての理解や確信を人に分かち合うことで、御霊の助けによって証を強める事ができます。

御霊を感じることも、証を得ることも人生で1度きりの経験では充分ではありません。教会員は生涯を通して、御霊を感じるための行いをして、証を強め、更新するために、学び人に分かち合います。

証は生もので、定期的に分かち合わないと腐っちゃうっていう話もあるくらいです。

御霊を感じることも、証を得ることも人生で1度きりの経験では充分ではありません。

べドナー長老は次のように言いました。

時々、啓示の霊は即座に強く働くことがありますが、それ以外のときは、わずかに少しずつ、そして多くの場合意識的に認識できないほど繊細に働きます。しかしどのようなパターンでこの祝福を受けても、啓示の霊がもたらす光は皆さんの心を照らして広げ、理解力に光を注ぎ(アルマ書5章7節; 32章28節参照)、皆さんと家族を導き守ってくれるでしょう。

「啓示の霊」2011年4月総大会より

ですから、教会で立派に証をしているように見える教会員がいるとしたら、彼らは霊的な経験ができるように行動しているはずです。

御霊も証も人それぞれ

御霊を受けるタイミングや方法、そして証を得ることも、人それぞれ違います。

ただ、御霊を受けることも神様からの答えと確信を得ることも、諦めないでください。必ずそれが分かる日が来ます。

今回、この記事を準備するにあたって、何人かの教会員に彼らの経験を聞いてみました。本当にいろんなパターンがありました。ただ、共通していることは、みんな福音を生活に取り入れたり、宣教師や教会員との関わりがあることです。

そして、教会へ行き、宣教師だけではなくほかの教会員と交流したり、聖典を読み祈ることを続けることで、繰り返し霊的な経験をしています。

御霊を受けることに具体的な理想がある人がいるかもしれません。ただ、神様はわたしたちに必要な時に必要な方法でさまざまなものを与えてくださいます。御霊を受けるなどの霊的な経験も含まれています。神様を信じて待つことも必要です。