2005年に公開された映画「ミーン・ガールズ」(スクールカーストに支配される女子高生たちの姿をコメディタッチで描いた映画)は、普通は福音学習には向かないでしょう。でも、次に紹介するその映画のやりとりほど、この記事の冒頭を飾るのにふさわしいものはないと思います。

レジーナ・ジョージ:「あなたは本当にきれいね。」

ケイディ・ヘロン:「どうもありがとう!」

レジーナ:「へぇ、あなた本当に自分が可愛いと思っているの?」

長い間わたしはレジーナでした。もちろんレジーナのように友達の悪口やひどいことを書いたノートを作ったり、誰かに顔面パンチを食らわせたことはありません。しかし人が自分の外見や賢さ、おもしろさを自慢しているのを聞くと、わたしの頭の中には「うぬぼれ屋!」と、警報機の音がけたたましく鳴り響くのでした。

わたしはいつもこのように考えていました。

あなたはその髪型がいいと思っているの?自分のことが大好きなんだね。

そのドレスがお似合いだと思っているの?バカみたい!

歴史のテストはもうちょっとで満点だったみたいだけど、そんなに自慢するなんておかしいでしょ?!

自分のことを大好きな人や、自分のことを認めている人を見ると、なんて表面的なのだろうと思っていました。

しかし、自分のことを好きでいることは悪いことでしょうか?ありのままの自分や、自分の肌の色で満足することは悪いことですか?わたしはそれは本当に素敵なことだと思います。それは「うぬぼれ」ではありません。


わたしたちは自分を愛するべきです

動く星空

2014年の『New Era』(教会の青少年用の機関誌)の記事を紹介します。

「主はあなたに、ほかの誰かではなく、そのままのあなたでいて欲しいと思っていらっしゃいます。主は、あなたやこの地上のすべての人には、強さと弱さがあることをご存知です。ほかの誰かと自分を比べることは自分のためにはなりません。もちろん自分を磨くことや目標を掲げることは大切です。そのときに大切なことは、ほかの誰かでなく、自分の最善を尽くすことです。」

わたしたちには個性があります。だからこそわたしたちは、それぞれに美しく大切な存在なのです。個人の価値や大切さを知ることは、平安と幸福の道へ続く大きな一歩となります。

ある律法学者が、イエス・キリストに一番大切な戒めを尋ねたことを覚えていますか?キリストはこのように答えました。

「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ。

これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」

驚きです!自分を愛するように教えている聖句があったんですね!

第二の戒めは、自分を愛するように隣人を愛することです。つまりわたしたちは自分を愛し、自分を大切にするように教えられているのです。この戒めはとても重要なことを教えています。それは、自分を愛することができないと、ほかの人を愛することがきわめて難しくなるということです。裏を返せば、自分を愛し人に奉仕すればするほど、ありのままの自分で満足できるようになるのです。


実は、「自慢すること」は、「ありのままの自分を受け入れること」とは

全く違うことなのです

スケボーで走り去る男性

自分を好きでいることは、うぬぼれとは全く違います。わたしが好きな言葉に「自分のことを過小評価しないでください。むしろ自分のことを考える時間を少し減らしましょう」があります。うぬぼれは自分を愛するだけでは飽き足りません。うぬぼれは自分のことだけを考えます!虚栄心は、自分は人よりもかわいいとか、才能があって優秀だ、などと考えることです。

昔の預言者モロナイは、慈愛はキリストの純粋な愛を示していることを思い出させてくれます。

「慈愛は​長く​堪え忍び、親切で​あり、​ねたまず、誇らず、
自分の​利益を​求めず、容易に​怒らず、悪事を​少しも​考えず、
罪悪を​喜こばないで​真実を​喜び、すべて​を​忍び、すべて​を​信じ、
すべて​を​望み、すべて​に​耐える。」(モロナイ書7:45)

もし自分と人を真心から愛するならば、わたしたちは長く堪え忍び(忍耐)、親切で無私の心を持つことができるでしょう。慈愛がある人は、四六時中自分の素晴らしさを考えるようなことはしません。むしろありのままの自分を受け入れています。だからこそ自分の欠点を気にせず、人のために時間や労力を使うことができるのです。

1979年3月の『New Era』に掲載された質問を紹介します。「人から自分を愛しなさいと言われますが、うぬぼれずに自分を愛するにはどうしたらいいですか?」これに対して、ボイシー州立大学のクラーク・スウェイン教授がこのように答えました。

「あなたが自分の才能を伸ばすときに、時として自分は他者よりもある分野では秀でていることに気がつくでしょう。うぬぼれとは、自分と他者を比べて自分の方が優れていると評価することです。他者と自分を比較することは劣等感や優越感につながります。心理学者のマックスウェル・マルツ氏は、劣等感と優越感は同じ一枚の硬貨の表裏であると述べました。しかもその硬貨は偽物なので、そもそも劣者や優者など存在しないのです。人は皆それぞれ違うのです。

自分を他者と比べることをせずに、自分には個性があることを受け入れてください。そうするならば、うぬぼれでなく真に自分を愛することができるようになるでしょう。」

うぬぼれとは他者と自分を比べて(心の声であろうが、実際に声に出そうが)、他人を低く見ることです。裏を返せば、幸せな人や自分に満足している人は、自分の才能や強みを知っているということになります。それと同時に自分には成長の余地や課題があることを知っているのです。そして他者にも同じように配慮することができるのです。わたしたちは他者からの認証を切望しているわけではないので、自慢する必要などないのです。一番大切なことは、神から認められること、そして自分自身を認めることであると知っています。


自分を愛することを学ぶ

紅葉した枝

自分を好きなことはとても大切ですが、それがどれほど重要なことかを忘れるときがあります。それはわたしたちの生活のすべての面に影響を与えます。例えば、自分を大切にしているのか、人から大切にされているのか、また将来をどのように見据えているのかなどです。

1982年の『聖徒の道』(教会の機関誌)の中で、ある女性が自尊心を手に入れるまでの道のりを紹介しています。

「わたしは自分自身を知り、愛することの必要性を痛切に感じるようになりました。それはわたしがおろそかにしてきたことでした。

自己肯定感はすぐには身につくものではありませんでした。わたしは27年間、自分のことを否定的に捉えてきたので、すぐに変わることができなかったのです。破壊力のある考えが、隙(すき)あるごとにわたしの心の中に忍び込んできました。しかし、今のわたしは否定的な考えは敵であることが分かっていたので、残された力を振り絞って抵抗しました。

わたしはまず否定的な考えや批評は、事実ではないことを自分に言い聞かせました。不適切な考えが入り込んだときは、まるでテレビを消すときと同じように、その思いを消すことができるようになりました。その代替えとして、自分の自信がある箇所を思い出して、前向きな考え方をするようにしました。

最初は自分のことを肯定的に捉えることが難しかったです。自分の強みを探そうとすると、頭が真っ白になりました!幸運なことに夫がその溝を埋めてくれました。彼は何度もわたしの称賛に値する箇所を忍耐強く教えてくれました。わたしが自分で気づいて認められるようになるまで助けてくれました!天父はわたしを愛していることを、聖霊が確証してくれたことも助けになりました。祈りを終える時に、そのような気持ちがわたしを包み込み、ずたずたにされた自尊心を繕ってくれました。

自分の強みを見つけることで、自分の価値や優先順位を見つめ直すきっかけになりました。これらのことに着目することによって、わたしは自分のよくできているところを認め、何をどのように変えたいのかを見極めることができるようになりました。」

この著者は自分を好きになればなるほど、他者を愛し、忍耐深く親切に接することができると述べています。

自分を好きなことは高慢ではありません。それは虚栄心でも、うぬぼれでも、自己陶酔でもありません。

それはあなたを幸せにするでしょう。


この記事はもともとAmy Keimによって書かれ、
thirdhour.orgに投稿されました。