コートニー・リッチは、家族に「ハッピー・クラブ会長」と冗談っぽく呼ばれていました。彼女が高校生の時に両親が離婚した後、最初のうつ病を経験した時は、状況による一時的なものであると考えられていました。しかし、それは18年ものうつ病との辛い闘いの始まりにすぎませんでした。
闘病中、リッチは天父に助けを祈り求めましたが、彼女が望むような「しるし」や「大きな瞬間」は一度も得られませんでした。しかし、教会の中央女性部会に出席した時に、答えは得られました。
今ではリッチは、キリストとの関係を通して喜びや達成感を見い出しています。あと、意外にもお菓子作りからも。彼女のケーキ作りを一から教えるビジネスは、とても成功しています。
ポッドキャスト「All In」のホストであるモーガン・ジョーンズは、リッチのうつ病との闘いと、キリストとの関係を築く決意について彼女と対話しました。
ジョーンズ:コートニー、あなたのうつ病との闘いについて、少し説明してもらえますか?それから、何が助けになったかについて話していきたいと思います。
コートニー・リッチ:分かりました。うつ病との闘いですが、それは絶えず続きました。何年も病気に悩まされ、どうやったら治るのだろうかとずっと思っていました。ベッドから起き上がれない日もありました。肉体的、精神的、感情的にも、力を奮い立たすことができませんでした。何年もの間、最も大変だったことは、断続的に天父との関係を理解したり、取り戻すことでした。わたしは、しょっちゅう迷い出た羊のように感じていて、しるしが欲しくて、「神がそこにおられ、今わたしが経験していることをご存知であることをわたしに教えてください」と声に出して祈っていました。しかし、何も感じず、戸惑いを感じ、祈りは聞かれてないのではないかと思いました。最近になって思い返してみると、そのように苦しんでいた時期にこそ、イエス・キリストを見い出し、主を近くに感じ、関係性を築いていたことに気づきました。 実に長いことかかりましたが、わたしが求めていたのは、優しい日々の憐れみではありませんでした。わたしが欲しかったのは、「コートニー、わたしはあなたとともにいますよ」と主の声が聞こえるような大きな経験でした。主をそばに感じたかったですし、奇跡が起きて、主に癒してもらいたかったです。
そしてその願いは3年前にやっとかないました。その日、わたしはとても調子が悪く、パニック発作に陥りました。父親に電話をし、発作とその週に起きた出来事について話しました。すると父は「コートニー、治すために僕たちに何ができると思う?」と言いました。 その瞬間、電球に光がパッとついたかのように理解しました。わたしは「お父さん、わたしたちができることは、ないんじゃないかな。これは、治せるものではないと思う。それよりも、わたしは、対処法を学ばなければいけないんだと思う」と言いました。病気とうまく付き合いながら、ベストな自分でいること。それは、病気を認識し、発作が起こる時にどうすればよいか理解することです。しかしそれと同時に、わたしは福音の中でも自分を見失いつつありました。うつが何週間も何ヶ月も続くと、罪悪感を感じました。わたしは恵まれていましたし、いいこともいっぱいあり、悲しい気持ちを感じるべきではないと考えました。祝福をたくさん受けているなら、感謝すべきだと。
ジョーンズ:うつの症状は、感謝知らずのしるしだと感じていたんですね?
リッチ:そうです。でもどうすることもできませんでした。母にも話せませんでした。母に「今回の発作を起こした引き金になるようなことが何かあった?パニック発作の原因は何だったの?うつのきっかけは何?」と聞かれても、わたしは「分からない」と答えるだけでした。時々「もしかしたら、あれが原因だったかも」と言える時もありました。常に記録をつけていて、病気のことを理解しようとしていたのですが、そのストレスが大きかったのだと思います。何も書けない日もあり、書けないととてもがっかりしました。すると喪失感を感じるんです。 自分で答えを見つけられなかったり、どうすればいいか分からなかったので、周りからは「あなたには健康な子供が二人もいて、あなたも健康だし、仕事もしていて、素敵な家族もいるじゃない」と思われているのではないかと思うと、落ち込むべきじゃないと感じていました。
罪悪感にさいなまれている時に、敵は入り込んできて、事をもっと最悪な状態にしていきます。「こうなったのは、お前のせいだ。病気なんかじゃない。お前には価値もない」と思い込ませるのです。他のネガティブな思いがいっぱい押し寄せてきて、さらに落ち込んでいきます。これは、とても危険なサイクルです。ここまで落ち込むと御霊を感じるのは難しいです。しかし、最近ですが、今ではそういう時こそ御霊を強く感じられるようになりました。この差は何かというと、わたしと天父との関係性だと思います。わたしは長いこと、「わたしのところに来てください。来てください」という感じで、わたしの方から神様に近づこうとはしていませんでした。父がわたしに「コートニー、治すために僕たちに何ができると思う?」と言った時に、わたしは霊的な危機にありました。わたしは常に、福音の証があると言ってきましたし、福音は真実であるという気持ちは常にありました。
しかし、3年前のその頃から「わたしの人生の目的って何だろう?」と思うようになりました。それはインスタグラムを始めたり、人に教えたり、ソーシャル・メディアで自分についてシェアし始めていた頃でした。そして「福音についてシェアした方がいいかな?わたしは福音についてどう思っているだろう?わたしの立ち位置ってどこなんだろう?福音を人に分かち合えるほど、天父と強い関係を築けていると感じているだろうか?」と自問しました。「わたしは聖文をよく知らないし、どうやって福音を分かち合ったらいいかも知らない。そんな風にちゃんと聖典を読んでないし」などと考えていると突然、「わたしって、教会にとってふさわしい人ではないのかもしれない。ちゃんと、あれもこれもやっているあの兄弟やあの姉妹のようにできないのならば、わたしにやる資格があるのかしら?」と感じました。 自暴自棄になりながらも「自分のため、家族のため、特に自分のために答えを見つけなければいけない。天父と御子イエス・キリストに近づく必要がある」と思いました。
その数ヶ月後、教会の中央女性部会に招かれました。最初にわたしたちが会ったのは、その時でしたよね。
疑問がたくさんありましたし、自己不信を抱きながら大会に行きました。救い主についてさらによく知ることは、これ以上にないくらいわたしにとってタイムリーなテーマであり、試練でもありました。その夏に、イエス・キリストに関する聖典と概要を読む課題が与えらましたよね。それは主に関する聖句ガイドをすべて読むという課題でした。そこで、わたしはそのチャレンジを受け、夏の始めにこう祈りました。「主がわたしに望まれることをすべて行います。わたしは、これが自分にとって必要であることを知っているので、わたしのすべてを捧げます。主がそばにおられることを知りたいんです。試練の時に、主はわたしをご存知であり、主を感じられなくても、そばにおられることを知る必要があるのです。母として、またビジネスを運営する上で、人生をどう前進したらいいかを知ることは必要不可欠です。」わたしは意気消沈していましたし、導きが必要でした。
それで、わたしはチャレンジに従い、大会に行きましたが、「話者は皆、素晴らしいお話をしているけれど、わたしはそういう経験をしたことがなくて、すべておとぎ話のように聞こえる」と感じました。そしてまた、「誰も試練や苦労について話していないけれど、祈っても答えが得られないとか、すぐに慰めを感じられないとかないのかしら?それってわたしだけなの?」と思いました。そして部会の終わり近く、何についてお話されていたのかは覚えていないのですが、はっきりと聞こえました。「コートニー、あなたのための場所は用意されています。すべての人のために場所はあります。あなたは必要とされています。」 誰かが壇上でそう言ったのではありませんでしたが、わたしは聞こえた言葉をノートに書き込みました。「そうなんだ。完璧でなくていいんだ」という気持ちで家に帰りました。わたしは、理想の教会員からはかけ離れていますが、祈りの答えは、「あなたのための場所は用意されている」でした。わたしは、「よし、ちょっとだけそれを信じてみよう」と思いました。
それ以来、あの瞬間に御霊を強く感じ、主を近くに感じた経験により、救い主との関係がとても重要だということに気づきました。それから3年間、救い主に近づく努力をしています。聖典を最初から最後まで読むという感じではないですが、救い主について学び、『わたしに従ってきなさい』を学ぶのが大好きです。聖典の物語を自分たちの生活に当てはめて、毎日の生活の中に主の深い憐れみを見つけられたらいいなと思っています。この数年の間に、わたしは毎日救い主の深い憐れみを探すようになったので、試練は変わらなくても、わたしの物の見方が突然変わっていきました。日々の優しい憐れみが試練や経験に直接関係なくても、パニック発作の最中でも、主がそばにいてくださることを知ることができます。今は前とは違う見方ができるようになったので、主を近くに感じることができます。
この記事はもともとGreyson Gurleyによっって書かれ、ldsliving.comに“There Is a Place for You”: How a Single Message of Peace Helped One Woman Combat Depressionの題名で投稿されました。
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