—メディアを騒がせる予言や噂をきっかけに考える、備えと信仰の話—
最近、ある漫画家による予言がインターネット上で話題になっています。彼女がかつて夢で見たという出来事が過去に実際に起こったとして度々注目されています。
こうした話を聞くと、不安に駆られたり、「本当に起こるの?」と半信半疑になったりする方も多いでしょう。しかし、たとえその予言が当たるかどうかに関係なく、日頃から備えることの大切さには、誰もがうなずくのではないでしょうか。
「大災害」だけが危機ではない
日本は地震や台風など自然災害の多い国ですが、人生において備えるべき「災難」はそれだけではありません。
たとえば、突然の失業や長期の病気。また、自分の責任とは無関係な交通事故や犯罪被害も、いつ誰の身に降りかかるかわからない現実のリスクです。
日々を真面目に過ごしていても、思いもよらない出来事が人生の流れを大きく変えることがあります。だからこそ、人々が不安と興味でする噂があるから備えるのではなく、備える姿勢こそが未来への信頼と希望を生む行動だといえるでしょう。
苦しみにどう向き合うか
不測の事態に直面したとき、心のバランスを崩すこともあるかもしれません。ショックや喪失感、不安や怒りに襲われたとき、どう心を立て直せばよいのでしょうか。
実は、「覚悟」や「前向きな心構え」は一朝一夕で身につくものではありません。日頃から「万が一」の可能性を受け入れ、少しずつ心を鍛えておく必要があります。
備えには「物理的」な面と「霊的」な面がある
● 物理的な備えとは?
備蓄、水や食料、防災グッズ、保険の加入、災害時の連絡体制など、具体的な準備です。これは家庭や地域で取り組める現実的な行動です。
ぜひこちらも参考にしてみてください→本気で非常時に備えようと思っているあなたへ
● 霊的な備えとは?
心の強さや信仰、祈り、家族との絆、希望を持ち続ける力です。目に見えないけれど、非常時に最も頼りになる力でもあります。
新約聖書マタイによる福音書25章に10人のおとめのたとえ話があります。花婿を迎えるためのランプの油の予備を持っていた5人のおとめは、花婿を迎え無事に婚礼の儀を迎えることができました。予備の油を準備していなかった残りの5人は、その場にさえ入ることができなかった、という話です。
いつ何が起きるか分からないことに備えておくことで、不安は小さくなり落ち着いていることができるでしょう。
忠実であり、常に祈り、あなたがたのランプの芯を切りそろえて火をともし、油を備えて、花婿が来るときに用意ができているようにしなさい。
教義と聖約33章17節
これはただの聖典の話にとどまらず、災害はもちろん、どんな困難にも当てはまる真理だと思います。備えがあるからこそ、私たちは恐れず、落ち着いて対処できるのです。
今のわたしたちにできること
わたしが子どもの頃、ノストラダムスの大予言などがメディアを騒がせ、友達同士でもよく話題になり、不安を感じていました。それから成長しても、1999年7月の始めはちょっとだけビクビクしていましたが、気が付けば何事もなく8月になっていました。
不安になることよりも、今できることがたくさんあります。まずは今日をしっかりと生きます。またこれまで日本を始め世界中で起きた災害や戦争から学び、物質的な備えをします。足りていない物を買い足したり、家族と万が一の時にどうするかを話します。
わたしは少しでも平安を感じられるように、日頃からよく祈り聖典を読みます。福音を活用して、災害や災難が起きた時に、誰かを責めて立ち止まらずに、大切な人と一緒に前に進みながら助けを必要としている人に手を差し伸べられるようにしたいです。
信じるかどうかより、「どう生きるか」
世間を騒がす予言や噂が実現するかどうかは、誰にも分かりません。でも、それが話題になった今という時を、「考えるきっかけ」にすることはできます。
私たちが本当に問われているのは、予言を信じるかどうかではなく、
「どんな未来が来ても大丈夫なように、今をどう生きて備えるか」なのではないでしょうか。
霊的にも、物理的にも、希望と信仰をもって備えながら、一日一日を大切に過ごしていきたいものです。