わたしたちは全員、人類のすべての人達が、なにか誇っては言えないようなことをしでかしたことがあるでしょう。自分自身や他人に罪の意識や痛みを感じさせるようなことです。あなたの間違った選択のために起きた罪の意識や重みを取り除くために、やり直せたら、と思ったことはありますか?

良い知らせがあります。やり直して、すべてを正しくする方法があるのです。その方法はバプテスマと呼ばれます。

 

なぜバプテスマを受ける必要があるのか

モルモン教では、個人が責任能力のある年齢とされる8歳になったとき、その子供はイエス・キリストに従うためにバプテスマを受けるかどうか選ぶことができると信じています。多くの教会がバプテスマの儀式を信じていますが、その儀式を執行する方法はそれぞれです。モルモン教では、イエス・キリストがその儀式を施されたのと同じように、神の権能を持つ人によって水に沈められるバプテスマを信じています。わたしたちは彼の模範に従い、罪から清められて神のもとへ戻る道を歩み始めるためにバプテスマを受けます。

 

イエス・キリストの模範に従う

イエス・キリストはわたしたちの完全な模範となり、救い主となるために地上に来られました。彼への信仰を行使し、悔い改め、そしてバプテスマを受けるために水に入ることで罪を赦されることができるのは、彼の犠牲によるものです。キリストは完全で罪を犯しませんでしたが、神の戒めに従い神のもとへ戻る道をわたしたちに示すために、彼はバプテスマのヨハネを探してヨハネからバプテスマを受けました。

キリストがバプテスマを受けることによって神とわたしたちへの愛を示したように、彼の模範にならって、神の権能を持つ人によって水に沈められることでバプテスマを受けることでわたしたちはキリストへの愛と、彼に従いたいという望みを表すことができます。

 

罪から清められる

バプテスマは、全身を一度水に完全に沈めてから出てくるもので、罪深く古い自分の「死」とキリストの弟子としての「生まれ変わり」を象徴しています。人が悔い改め、イエス・キリストの教会によってもたらされた彼の権能を持った人によってバプテスマを施されると、すべての罪は洗い流され、清く純粋な状態になることができます。わたしたちはきれいな状態で新しく始めることができるのです。

 

神のもとへ戻る道を歩み始める

キリストへの信仰をもって罪を悔い改めたあと、バプテスマによってわたしたちは神と聖約を交わします。悔い改めを続け、彼の御前に戻るために進み続けるという聖約です。聖約とは、神が決める二方向の約束です。わたしたちは神の戒めを守りいつもキリストを覚えることを約束し、神はわたしたちの罪を許し聖霊の賜物を授けてわたしたちが彼のもとに戻るのを助けると約束します。

悔い改めとバプテスマはわたしたちに罪を洗い流すだけでなく、この儀式によってわたしたちは地上での神の王国であるイエス・キリストの教会の会員となります。人生をかけてキリストに従うと約束することで、わたしたちはどこにいても教会の中で奉仕し、成長する機会を与えられます。これらの機会はわたしたちが救い主のようになることを助けてくれます。バプテスマの儀式は神聖で重要なものですが、これは始まりにすぎません。一度バプテスマによって「門から入」ったら、わたしたちは聖霊の賜物を受けて最後まで耐え忍ぶことによって神のもとへ戻る道を歩み続けなければなりません。聖霊の賜物と最後まで耐え忍ぶことについてはこのシリーズの続編を見てください。

イエス・キリストの福音、その一その二はこちらから読むことができます。
この記事はmormon.orgに掲載されていたものです。