だれも完璧な人はいません。この現実では、わたしたちは時に神の戒めを破って罪を犯すこともあるという事実を伴います。こういった選びは、しばしばわたしたちに罪の意識や悲しみ、さらには落胆といった感情をもたらします。もしあなたが今までに悪い選択をしたせいで、耐えられないような罪の意識や後悔、または深い悲しみを感じたことがあるなら、それらの感情を平安や喜び、そして幸せに変えることは可能だということを知っておいてください。イエス・キリストのおかげで、わたしたちが人生で感じる罪の意識を乗り越える方法が与えられました。キリストの福音の悔い改めがその方法です。

悔い改めとは

イエス・キリストが地上にいた間、彼は人々に彼に従って、信仰をもち、悔い改め、バプテスマを受けるように教えました。悔い改めはイエス・キリストに従うために必要不可欠なステップなのです。

イエス・キリストの福音に従う上で信仰の次にくるステップは悔い改めです。悔い改めは、人生における新たな見方を表し、神との関係の認識の変化、そしてわたしたちの行動と心を神と一致させる変化を伴います。真の悔い改めとは、自分の過ちを認め、これを修正してその結果としてより従順に人生を歩むよう努力することです。 悔い改めは、わたしたちが最高の自分になる機会なのです。

わたしたちが悔い改めをすると、わたしたちはまず自分のまちがった選択に気が付き、その選びについて神からくる悲しみを感じます。神からくる悲しみとは、悪いことをしているのが見つかったから悲しいのではなく、その選択が神から自分たちを遠ざける選択であったと理解するからこそ感じるものです。そしてわたしたちは自分たちの罪を告白し、祈りを通して神に許しを求めます。それからわたしたちはその選びによってもたらされた間違いをすべて修正するよう最善を尽くします。これらの段階を通して、わたしたちは変わることができます。わたしたちが自分自身に変わることを許すことで、神に従いたいという望みが大きくなるのです。

わたしたちの人生において、修正したり変化したりすることはこわいことのように感じられるかもしれません。しかし、よくなるための変化はいいことなのです。もちろん、そのためにはわたしたちは謙遜になる必要がありますが、これはわたしたちがよりイエス・キリストに近くなるための機会なのです。また、悔い改めは一度で終わるものではありません。悔い改めは、わたしたちが人生のなかで成長するにあたり続けていくべきものです。

わたしたちが心から悔い改めるとき、わたしたちは平安、喜び、そして許しを感じます。

 

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このシリーズのパート1は、ここで読むことができます。

 

この記事はmormon.orgに掲載されていたものです。