モルモン教会とも呼ばれることがある末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、イエス・キリストが地上に来て私たちの罪を贖われたと信じています。この世での生活を終えて天に昇られるとき、二人の天使がそこにいた人たちに説明して、主は去られたときと同じ方法でいつか再び戻って来られるといいました。この次の訪れのことは、モルモン(モルモン教会の会員の呼称)の間では、再臨として知られています。

キリストの再臨

モルモンはイエスが再び地上に来られると信じています。聖書には私たちが注意を払うべき主の再来のしるしについて書かれていますが、私たちはその正確な日時が分かりません。再臨は悪人にとっては恐ろしいことです。そうでない人たちはこの日を喜びと期待を持って待ち望むことが出来ます。

再臨が近づいていることを示すしるしの一つは、少なくとも永遠の観点からですが、すべてのものの回復です。

「あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわしてくださるためである。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して、昔から予言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。」(使徒行伝3:20-21)

なくならないものを回復することはあり得ませんから、回復の前にまず背教が、あるいは完全な真理から逸れてしまうことが起こらなければなりませんでした。今日あまりにもたくさんの教会が存在すること自体、背教が起こったことの現れです。キリスト教の教派がたくさんありますが、それぞれが救い主や福音について非常に異なることを教えています。

聖書と対をなす書物であり、イエスがキリストであると証するモルモン書が現れることも予言されていました。(イザヤ29:4-18参照)背教の時代には悪が地を覆うことが警告されており、しかしまた、イエス・キリストの福音が完全なままで回復された後に、全世界に宣べ伝えられることが約束されていました。

回復についてのもう一つの関連する予言は、イスラエルが再び集まることです。

福千年

モルモンは再臨によって福千年が始まると信じています。その時にはイエスが地上をサタンの力から取り戻します。救い主は1,000年のあいだ地を治められます。悪人は取り除かれ、義人だけが残ります。モルモンは末日聖徒だけが残るとは教えていません。むしろ、善良な人はその宗教の種類にかかわらず(あるいは無宗教の人も)地上に残ることを許されます。すべての人が福音を受け入れるか否かの機会を与えられているわけではないので、伝道活動も教会の他のプログラムと同様に進められます。人々はサタンの混乱させる影響力のない状態で福音を聞く機会が与えられます。

この期間の最後にサタンは一定の自由を与えられ、その手下を組織することが出来ます。善と悪の戦いがありますが、善が、つまりイエス・キリストが勝利を得ます。それからサタンは永遠に追放され、その新たな追従者を得ようとする能力は終わりを告げます。

モルモンは文字どおりの福千年を信じています。それは初期の教会の指導者たちと同じです。そのような信仰はアウグスティヌスのような指導者によって、4世紀になって文字通りの意味から象徴的な意味へと変えられて、キリスト教徒に教えられるようになりました。

再臨を恐れる必要がない

再臨が近づいていることを告げるしるしの多くは恐ろしく思われますが、神はその子供たちに、もし善良でいるならば恐れることはないと約束されています。地上のすべての人は悪人たちの選択により影響を受け続けますが、また、善良な人たちも地を襲う惨事の結果命を落としますが、そのような人たちも神の王国に救われます。どのようなことが起ころうとも、善良な人たちの側に神はいつもいて下さいます。そして彼等の信仰によって試練を堪える力を得ます。

モルモンは悪人だけが試練に遭うとは信じていません。試練はこの世の生活の必要な部分で、それによって私たちは試されます。私たちは物事が難しくなっても、強く、忠実でいるでしょうか。試練に立ち向かうことは難しいですが、そうすることの報いはすばらしく、忠実ならば結果的には私たちは喜びを得ます。

モルモンはしるしに注意を払うように教えられています。しかし、それに固執しないように、また不必要に恐れないようにも勧告されています。私たちは生活の状況がどのようであれ、喜んで対処するように、この世の試練に感謝をもって、また快活な態度で向き合うように教えられています。私たちは恐れることは必要ないのです。私たちは神がすべてのことを支配なさっていることを知っているからです。

大局的な見方をし、神の私たちに対する計画を理解しましょう。

 

この記事はテリー・リン・ビトナーによって書かれました。