ある夏、結婚生活において重要な事柄が何かを、よく考える時間がありました。夫とわたしは1ヶ月間距離を置くことにしました。彼は仕事でインディアナ州へ、わたしはカナダのアルバータ州に、両親と過ごすためそれぞれ出発しました。カレンダー上では1ヶ月はたった4週間ですが、わたしには永遠のように感じられました。夫が飛行機で去って行った6月26日の朝、わたしは最初とても怒っていました。どうして彼は、わたしを抱きしめてキスをしてから行かなかったのか、と。しかし時間が経つうちに、日常のやりくり、夏の太陽、楽しいことに身を委ねる方が、夫がいないのを悲しむよりずっと楽だと気づきました。

そしてある日、あと1週間で夫が帰ってくるという時に、重い重いレンガがのしかかったように心が重くなりました。夫が離れて行ったことを、怒ってはいませんでした。しかし、やはり彼を忘れることは簡単ではなかったのです。必要とされたいと思っている自分がいました。そんなことを思い巡らせているうちに、人の関係や「真の理解者(またはソウルメイト)」について考え始めました。1人の男と女が人生を共に過ごすことの、何がそんなに大切なのか?なぜ、モルモン教とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会で、結婚が重要だとされているのかについてです。

男女の間の結婚は神によって定められたものであり、家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものである(「家族:世界への宣言」より)

「真の理解者」を見つけ、結婚することはそんなに重要なのでしょうか?

人の哲学

「真の理解者」とは、どのような人を指すのでしょうか?この言葉は、結婚や対人関係でよく用いられます。よく言われるのは、「真の理解者」とはこの地上で一緒になるべき、たった1人のこと。この言葉をより理解するために、わたしはもう少し調べてみることにしました。

その結果は少し期待はずれでした。わたしが読んだ5個の記事では、「真の理解者(ソウルメイト)」を以下のように表現していました。

  • あなたが備えられた時に現れる
  • あなたを奮い立たせる
  • あなたの心を成長させるため目を覚まさせる
  • 完璧だと感じさせてくれる
  • 運命に従って見つける
  • もしうまくいかないなら、「真の理解者」ではなかった

一見すると、とてもよい定義に見えますが、よく考えてみると不思議に思えてくることがありました。もし、これらすべてわたしのためにしてくれる人がいるとしたら、彼はきっと完全な人でしょう。では、完全な人がわたしなんかと一緒にいたいでしょうか?自分で立ち上がり、心の目を開く必要があるのではないでしょうか?もし自分が自分を完全だと思えないのなら、他人がどうやって完全にしてくれるでしょうか?

夫婦関係が悪くなり順調にいってないというだけで、すべて諦めてしまっていいのでしょうか?元々うまくいかないことになっていたのでしょうか?

読んだ記事の1つに、このように書いてありました。「まだ真の理解者を見つけていないなら、誰かと落ち着くべきではありません。探し続けてください。なぜなら、人の付き合いとは一時的なものであって、本物ではないからです」と。わたしは心の穴がポッカリと空いたような気持ちで、その記事をクリックして消しました。人との付き合いを投げ出すことは、こんなに簡単なものでしょうか?これが最近の世の中の付き合いに対する考えでしょうか?「あなたはわたしの真の理解者ではないです。だから終わりにしましょう」?

すべての夫と妻が完全に一致し、お互いがお互いにとっての真の理解者であることが理想です。しかし、そんな事はないでしょう。完全な人は1人もいません。わたしたちは皆、人格形成をしていく中で慈愛と慰めが必要なのです。

「わたしに足りないもの」

その言葉がわたしの頭から離れませんでした。夫と1ヶ月離れ離れで暮らすことはそんなに大変ではありませんでした。毎日1人で子供の世話をするのは、とても疲れるものでしたが、やれないわけではありませんでした。夫が家にいた時と同じような状態で、生活は続いていきました。

わたしがとても寂しく思っていたのは、わたしの真の理解者である人が隣にいないことでした。

子供たちに、もっと目を向けるようになりました。彼らが怖い思いをする時に頼るのは、わたしでした。けがをした膝や、ぶつけた肘にわたしがキスをしました。子供たちが夜に抱き寄ってきたいのはわたしでしたし、眠る前の本を読むのもわたしでした。

私。彼らのたった1人の母親。何でも、どんな時も、どこにいても信頼できるたった1人の人。そんな人がわたしにはいなかったのです。わたしの真の理解者。わたしのために生きてくれる人。

もちろん母と父と一緒にいることは楽しかったです。共に過ごす時間は喜びで、何でも隠さず話すことができると思っています。でも、わたしが子供から大人へと成長していくのを見守る過程で、両親は夫が思い悩んだ問題を経験したことがなかったのです。両親がわたしから去っていく事はないでしょう。でもそれは、わたしの親だからです。わたしたちは切っても切れない関係なのです。

しかし夫は、たくさんの女性の中からわたしを選びました。そして、決してわたしから離れることはないと約束しました。わたしが読んだ記事が真の理解者の定義だとしても、社会は人間関係を人生の様々な局面で変わるものだとしています。夫は、そうは思わないでしょう。

明らかになった事

夫が必要であると気づけたことは、とても素晴らしいことでした。それはまるで古くなった物が新しくなり、宝物だと気づけた感覚です。しかし、まだ頭の中をぐるぐると回っている問いがありました。

なぜ夫が、真の理解者になったのか?

わたしたちはよく喧嘩しました。何度も「意見が合わない」と、何が違うか言い争いました。それぞれ、相手が自分を理解してくれないと思い込んでいました。

わたしは真の理解者の定義を見直してみました。その中で、2つわたしの目を引いた物があります。

  1. あなたの心を成長させるため目を覚まさせる
  2. あなたを奮い立たせる

これらの定義を読み、わたしは前述した「家族:世界への宣言」を思い出しました。1995年に発表されたこの宣言は、結婚と家族を持つ理由と、夫、妻、子供の役割、そしてこの基本的な社会の単位を守る大切さを明確に記しています。わたしの大好きな一文がありますが、それは結婚と家族がどのように強められるか記されています。

「家庭生活における幸福は,主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません。実りある結婚と家庭は,信仰と祈り,悔い改め,赦し,尊敬,愛,思いやり,労働,健全な娯楽活動 の原則にのっとって確立され,維持されます。」

夫とわたしは、以下のことを実践するために一生懸命取り組みました。

  • キリストの模範を研究し、従う
  • お互いに対して、また主の導きと意図に信仰を持つこと
  • 家族として、夫婦として、また個人として祈る
  • 悔い改め、悔い改め、またさらに悔い改める
  • 積極的に赦し、お互いを尊敬する
  • 互いに愛し、思いやりを持つ
  • 共に働き、共に遊ぶ

各々で勢力を尽くし、お互いの関係をAからB地点へ、その後にC、D、そしてE地点へと進める時、お互いに単独で責任を持つようになりました。お互いのためにしている努力は、そうすることが世の風潮だからでも、ただ問題を解決したかったからでもありません。

結論

両親の家から空港までは車で2時間半かかり、おまけにカナダとアメリカの国境も越えなければなりません。しかし、長く孤独に過ごした1ヶ月がついにあと数時間で終わろうとしています。制限速度をオーバーしないようにはやる気持ちを抑えながら車を走らせました。

生まれて初めて、夫がどれだけ自分にとって大切かを知る機会となりました。彼がハンサムで賢く、面白いから大切な人ではなかったのです。わたしが子供の世話で手一杯だった時に助けてくれたから、大切だったわけではありません。もちろん彼がしてくれる行いが大切だと分かっています。しかし、今回のことで今まで気づかなかったことに気付いたのです。空港へ迎えに行く男の人が、わたしの真の理解者だということに。そして、わたしは夫にとっての真の理解者だという事に。結婚生活が上手くいくように、どんな時も全精力を尽くした努力があったからここまでたどり着けたのです。

ここまで来れたのだから、これからも続けていきます。お互いのために。

 

この記事はJessica Clarkによって書かれ、ldsblogs.comに投稿されました。