モルモン教と親しくなる

モルモン教と親しくなる

以下の記事はペンシルベニア州で800人の会衆を率いる福音派の牧師のものです。この記事には論理と愛が表現されています。

彼の著書「モルモンとの対談:福音派の信者への招き」でマウ博士は、自分の子供の時の話について書いています。彼の教会で話した巡回牧師が、リンカーン大統領の時代を研究している現代の学者について話しました。その学者は、今は亡き大統領についてあらゆる事実を知っていました。それからその福音派の牧師は,リンカーン大統領の隣りに住んでいた少女についても語りました。彼は時々立ち止まって彼女に話しかけ,ちょっと抱擁してくれることもありました。大統領について知っていることは少なかったのですが,彼女は彼の暖かい抱擁について知っていました。その説教者はそこで止まって,会衆に尋ねました。リンカーンについてよりよく知っているのはどちらですか?知識は知っているとしても個人的に会ったことのない人ですか?あるいは,リンカーンの指導力についてはあまり知っていませんが,彼の愛のある抱擁について知っている少女ですか?

わたしはキリスト教の信仰とその神学について学ぶのが大好きで,神学の修士号を得ていますが,わたしの信仰の中心は救い主の愛で,私を暖かく抱擁してくださる方の愛です。1995年から2008年までモルモン教の大管長であったゴードン・B・ヒンクレーはイエスが,「わたしたちの礼拝の中心で,・・・・キリストはわたしたちの王、主であり・・・・主はわたしたちを愛し,その血をもってわたしたちの罪を洗い流し,わたしたちを神であり御父である方の王であり祭司にしてくださり,その父なる神に栄光と統治を永遠に備わるように尽力されたのです」と述べています。そのような宣言はあらゆる福音派の信徒が心から賛同する内容です。

わたしの友達のグレッグ・トリンブルが一つの単純な質問をわたしにしました。「モルモンはクリスチャンですか?彼らは救われているのですか?

モルモン教はクリスチャンです。初期の教会で救いの必須条件についての理解で混乱があった最中に,使徒パウロは書いています。「すなわち,自分の口で,イエスは主であると告白し,自分の心で,神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら,あなたは救われる。」(ローマ10:9)

もしあなたがイエス・キリストを主として愛し,自分のために十字架の上で亡くなられたことを認め,主が墓から物理的に蘇られたと信ずるならば,・・・・パウロによるとあなたは救われているのです。わたしは友人のグレッグがこの真理を受け入れていて,また多くの彼の教会の人たちも同様であると知っています。モルモン教はすべて救われているでしょうか?もちろんそうではありません!バプテスト派のすべての人も救われているわけではないことにおいて変わりありません。プレズビテリアンの人たちや,無教会派の人たちでも状況は同じです。「救われている」のは本当に,主イエス・キリストを知り,信頼し,愛する人たちだけです。聖書はわたしたちに,末日には多くの人々が,「信心深い様子をしながらその実を捨てる者となる」(2テモテ3:5)と警告しています。

福音派は多様で複雑な集団です。確かにわたしたちはある人々がそう見せかけようとしているような一枚岩の集団ではありません。わたしたちのモルモン教との関係は難しいものでした。わたしたちの多くは,モルモン教は純粋なクリスチャンではないと考え,モルモン教はわたしたちが欠陥をもっていて,真実の回復された教会に導かれなければならないという見方をしています。ここで明記すべきは,どちらのグループも相手のバプテスマを受け入れません。わたしたちが和解するためには長い道のりが必要です!わたしはすべての福音派を代表することは出来ません。わたしはそのことを自覚しています。しかし,ある特定な人々を代表して語れます。そして,確かにわたしは心から語ります。神はわたしにモルモン教に対して純粋の愛を与えてくださいました。そして彼らとの関係を築きたいという願望を与えてくださいました。互いに見解が一致していないことがありますし,モルモン教の見解の中にはわたしが強く反対する点があります。それと同時に・・・・共通する考えも非常にたくさんあります。わたしにはモルモン教にたくさんの兄弟姉妹がいます。彼等と出会ってきたからです。個人的に,わたしにとっては教会が何を説教するかはそれほど大事ではありません。大事なのは自分が知っている人たちです。

毎年,マッキントッシュが主催し,マックワールドと呼ばれるコンピュータの大会があります。何千ものディーラーや流通業者やソフトウェアの開発者がこの催しに出席します。ある年,故人であるスティーブ・ジョブズ(創立者の一人)が話者として予定されていました。その大会に入るにはバッジが必要でした。スチーブはその日ホテルを出て,その会場のコンベンションセンターに行くまでそのことに気づきませんでした。「問題ない」と彼は思ったのです。しかし不運にも,ドアのところの守衛は彼を知らず、バッジを持っていなかったので彼が中に入ることを許しませんでした。ジョブズの助手が、彼に自分のバッチを使うようにさせようとしたところ,その守衛は両方とも逮捕されると脅したのです。急いで携帯で電話をかけた後,マックの従業員はその守衛の上司を見つけ,彼が正門のところにきました。スティーブ・ジョブズはこの男性を知っていて,ついにスティーブは入ることができ,そこで話すことができました。

彼が会社の創立者であることは関係ありませんでした。もしスティーブ・ジョブズがその守衛のボスを知っていなかったら,そのドアから入ることはできませんでした。自分が何者であるかは関係ありません。誰を知っているかだけが問題なのです。イエスを知っていることが,神の決して尽きることのない受容,憐れみ,そして赦しにわたしたちがあずかれるようになる条件になります。それがわたしたちすべてにとって朗報です!

 

この記事はもともとgregtrimble.comに投稿されたものです。