タミー・ブルースはトークショーの司会者で、同性愛者コミュニティーに叩き付けられる虐待や憎しみ、そして差別をくぐり抜けて来たレズビアンです。彼女は最近、インディアナ州で有名になった宗教の自由復活活動について話しました。彼女の意見はLGBTの活動家とは違うもので、でも聞かれるべき貴重な意見でした。彼女の視点はシンプルです。少数派である自分に対する大衆の嫌悪がもたらす影響を感じてきた人たちが、別の少数派に対して同じように振る舞うのはつじつまが合わない偽善的行為だというものです。

迫害は神の道ではない

レズビアンとゲイはその性的嗜好のせいで何百年にもわたって迫害に苦しみ、時には死をも経験してきました。何者であるか、何を信じるかによって人を迫害し殺すのは、神の永遠の計画ではありませんし、一度もそうであったことはありません。一度もです。しかし今日、多くの国では同性愛者だと知られると、政府に殺されてしまうかもしれないのです。これは神の道ではありません。

クリスチャンも同様に迫害され、時にはその信仰のために死に追いやられてきました。かつてローマ人は、生きたままライオンに食べられるのを見るためにキリスト教信者をライオンの穴に投げ込みました。その後クリスチャン同士でも、教義の違いや聖句の解釈、そして聖書の印刷さえも問題にして迫害し合うようになりました。ミズーリ州は1830年代にモルモンの撲滅を言い渡し、彼らは命からがらミズーリから逃げ出しました。アメリカのクリスチャンは前世紀、大虐殺を経験しました。そして今、中東ではクリスチャンの大量殺りくが起きています。これらのうち一つとして、神から命じられたものはありません。

この二つのグループに共通するのはなんでしょうか?彼らはどちらも彼ら自身のアイデンティティのため、彼らが心に大切にしている信仰のため、そして迫害されずに彼らの人生を生きるための自由を欲しています。

自由は神から来る

すべての自由、特に信仰の自由は天父からの永遠の贈り物です。わたしたちの選択の自由は、わたしたちがどう人生を生きるか、そしてその選びの結果とどう向き合うかを自分で決める権利であり、これはわたしたちが地上に存在する理由の基盤です。十二使徒のロバート・D・ヘイルズ長老はこう言っています。

「わたしたちは、選択の自由が神の子たちのための神の計画に不可欠な部分であることを覚えておくべきです。この永遠の計画と選択の自由の贈り物は、天井の大会議でわたしたちに紹介されました。」 「選択の自由を保ち、信教の自由を守る」2015年4月総大会 ロバート・D・ヘイルズ

敵対者(サタン)は、これを知っています。そして率直に言えば、彼はこれを憎んでいます。この選択の自由を破壊することは、始めからサタンの計画でした。彼の計画はこの権利を奪い、わたしたちの人生をコントロールして選択の自由を否定させることでした。わたしたちに選択の自由を与え、その選択から学ばせることは神の計画であり、より良い道でした。サタンと天にいた者の三分の一は神の計画に背き、戦い、最終的にはその権利を失いました。反逆によって神の御前から追放されたサタンは、彼自身の自由を剥奪されたのです。そのため、サタンはわたしたちが助け合うべき人たちといがみ合うのを見るのが喜びになりました。

自由に対する攻撃を認識する

ヘイルズ長老はまた、次のように言いました。

「第一の隅石は、信じる自由です。いかなる人も、神について信じていることのために個人や政府から批判や迫害や攻撃を受けるべきではありません。それは非常に個人的で、非常に大切な事柄です。」 「選択の自由を保ち、信教の自由を守る」 2015年4月総大会 ロバート・D・ヘイルズ

タミー・ブルースはわたしのヒーローです。彼女は同性愛者たちに一歩下がって、同性愛者達が一生懸命克服しようと戦って来た嫌悪や偏見を、人生のあらゆる面で避けることをチャレンジしたのです。この困難を経験した彼らこそ、彼らと違う人々に対しても率先して慈愛を示すべきであり、率先して信じることの自由の権利をサポートするべきだと言いました。自分たちのありのままと信じる自由を他の人たちが認めてくれたらいいと望むのと同じように。宗教に関する信仰は神聖なものです。彼らの深い宗教的な信念に反することは、誰であっても強要されるべきではありません。

番組の訪問者のひとりがタミー・ブルースの言葉を後押ししました。彼女は司会者に、信教の自由に関する法律を支持すると話したのです。彼女は信仰深い人々の神聖な信仰を後押しし、政府に信仰に反することを強要されない権利を守る大切さを理解していました。彼女はまた、もし彼女がレズビアンで自身の彼女と結婚式をあげると仮定して話しました。もし信仰と教義を守ろうとするクリスチャンの花屋かケーキ屋があったとしても、彼らを強制して無理に協力させるより、むしろその信仰を重んじるほうを選ぶと言いました。顧客の性的な嗜好によってサービスを拒否することは差別であり違法であるということと、自分の信仰を守るためにそれに反するイベントへの参加を断るということの違いをはっきりとさせることはとても大切で、重んじられるべきものです。そこにはくっきりと境界線がありますが、どちらのグループも尊敬するためにはこの境界線は必要なものです。わたしはこの強い女性の、自分と違う人々に対する尊敬に敬意を表します。

「イエス・キリストの弟子として、わたしたちは似たものを信じる人々と共に、何が正しいかを知らせる声をあげる責任があります。」 選択の自由を保ち、信教の自由を守る」 2015年4月総大会 ロバート・D・ヘイルズ

信仰深い人々のほとんどが非独裁者です。同性愛者のほとんどは非過激派です。わたしたちはメディアが映し出す姿に流されがちですが、それは真実ではありません。それはマーケティングや、評価、そしてアジェンダに沿った嫌悪や嘘によって突き動かされたものです。サタンはすべての嘘の父です。現実世界に住むほとんどの人は、お互いうまくやっていきたいと思っています。わたしたちが独裁者に大きな権力を持たせるとき、わたしたちは反対する人とも平穏にやっていこうとする人々に危害を加えてしまいます。独裁者にあなたのグループを支配させてはなりません。

わたしたちの国は自由と平等の上に成り立っていて、そのバランスはここでも保たれるべきです。同性愛者を生きたまま焼いたり、クリスチャンをライオンの穴に投げ入れたりするのは残忍非道な行為です。しかしこうしている今も、中東やアフリカではゲイやクリスチャンの撲滅がまさに起こっています。この国の政治的軌跡を抜け出し、力を合わせて世界中で起きている残虐な行為と戦おうではありませんか。

「この終わりのときに霊的に自由に生きるうえで理解しておくべきなのは、選択の自由を忠実に用いるには信教の自由が不可欠であるということです。」 「選択の自由を保ち、信教の自由を守る」 2015年4月総大会 ロバート・D・ヘイルズ

あなたの宗教のために立ち上がってください。ありのままのあなたでいるために立ち上がってください。良い人間でいてください。真のキリスト教は、ユダヤ教、イスラム教、同性愛、誰であっても、あなたと違うものを信じる人への迫害を支持しません。キリスト教は、自身とは違うものに尊厳を持つ人々に対する嫌悪感を乗り越えるのを助けてくれます。同じように、同性愛者のコミュニティーも、信じることのために虐げられる人々のために立ち上がり、賛成はしなくとも彼らが信じる権利を守るべきです。

預言者ジョセフ・スミスは言いました。

「わたしは、天の前に確固として、わたしがモルモンの信仰を守るために命を落とす覚悟が出来ているのと同様に、プレスビタリアン、バプティスト、またほかのどの宗派のためにでも命を落とす覚悟が出来ていると主張します。まことに、末日聖徒の権利を踏みにじるのと全く同じ原則が、ローマカトリックや、自分たち自身を守るには少数派で弱い宗派の権利を踏みにじるだろうということを知っているからです。

自由の愛がわたしに霊感を与えてくれます。市民の、そして信教の自由は人類を完全にするものです。」 「歴代大管長の教え:ジョセフ・スミス」2007、345ページ

もしわたしたちが怒りや嫌悪で目を曇らせてしまったら、本当の敵に気がつかないでしょう。本当の敵とは、信教の自由に対するサタンの攻撃です。わたしたちは、世界が始まる前に守ろうと戦ったこの自由を失う危険に直面するかもしれないのです。

 

この記事はNanette ONealによって書かれ、ldsblogs.comに投稿されました。