「聖なる体」というのは、ダイアン・スパングラーが最近した話のタイトルです。このタイトルは、信仰と肉体に関しての押し問答をよくまとめています。人はよく見られたいものですし、時には言葉にして褒められたいものです。ブルカ(イスラム教の女性が着用する全身を覆う服)を着たりする人もいますし、しわ取りの注射を何本も打つ人もいます。わたしたちは「今、ここで」のことと同時に、ずっと先のことも心配し、なにが一番大切なことなのか見極めて自己イメージを高めようとします。わたしたちは自分たちの体に、恥と喜びのふたつを同時に見いだします。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会の信者たちに見られる自己イメージ

ブリガム・ヤング大学の心理学科准教授であるスパングラーは、宗教的な教義と肉体の関係について長く研究してきました。先週行われたユタ大学のシンポジウムでの講義の中で、彼女は「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員である生徒たちは、他宗教または無宗教の生徒たちに比べて著しく個人の体に満足している」という研究結果を発表しました。

彼女の主張はこうです。「モルモンの聖文に基づく、一般的な身体に関する教義が、教会員の生徒たち自身の身体に対する具体的な満足度につながっている。」

これは、教会員である男性と女性のほとんどが、彼ら自身の体が好きだと言っているわけではありません。スパングラー自身も摂食障害について研究していますが、治療を受けている女性のうちの数人はBYU(ブリガム・ヤング大学)の生徒です。国民調査によると女性のうち80%、男性のうちでは60%と、ほとんどのアメリカ人と同じように、LDSの女性の多くが、鏡に映る自分をみて、少しの不満を抱いているのです。それでも、モルモン教の信者は他の人よりも満足している、と彼女は言います。

この研究は一見直感に反するように見受けられます。テキサスで行われた二つの研究と同様に、スパングラー自身の研究でもBYUの女性をターゲットに含んでいます。この大学は、結婚相手として市場に上がっている女性の割合が大きいとして有名な大学です。そういった環境にいる彼らなら、むしろ外見に、さらにやきもきする傾向があるものではないでしょうか?

 

摂食障害との意外な関係

テキサス女子大学でジョディ・オーメン−アーリーによって調査された二つの研究では、18歳から30歳の女性たちがこれに関連する問題について調査されました。摂食障害です。オーメン−アーリーはBYUで卒業論文として健康科学に関しての研究をしました。彼女は、TWU(テキサス女子大学)での拒食症の生徒が、自分自身を否定しているときに「いい子」でいることができ、食べると罪を犯している気分になると言ったとき、増える一方の摂食障害と宗教的な敬虔さは相関性があるのだろうかと考えました。

オーメン−アーリーの研究は、バプティストまたはメソジストの女性がより敬虔だと、より摂食障害的な行動をとるという事実を明らかにしました。しかしながら、彼女が驚いたのは、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の女性がより敬虔だと、摂食障害的な行動が減る傾向にあるということでした。彼女は、「宗教的な敬虔さは、末日聖徒の女性にとっては保護因子となっているようです。」と言います。

「相関性は、原因と結果を等しくするわけではありません。ただそこに何らかの関係性があることを証明するだけです。」と彼女は警告します。

摂食障害は複雑で、その原因は多くあると彼女は言います。「しかし、宗教は個人の自分の体に対する見かたに重要な役割を担っています。そして宗教は女性が彼女自身に対する感じ方を形作る上でとても大切な役割をする可能性があるのです。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会で信じている「体」についての教え

スパングラーの見解は、教会の身体に対する教えが女性たちの態度に影響を及ぼしている、というものです。同教会のように、他のキリスト教も体は永遠だと信じていますが、彼女いわく、この回復されたイエス・キリスト教会の教義が他と違うのは、体を「進歩するもの」、つまり「完全にされ」、永遠に続くものと考えているところです。教会員にとっては、天地創造の際のアダムとエバの物語で、エバは誘惑をする女性ではなく、アダムと人類を神に近づくために必要だった死すべき運命へと入るのを助けた進行役なのです。

スパングラーが言うに、多くの宗教間で身体に対する困惑の歴史は長く、宗教に熱心だったがために、敬虔さを追い求めるあまり肉体を“克服”しようと試みた人々は多く、彼らは苦行を通り抜けたと言います。伝統的なアダムとエバのストーリーは、肉体は邪悪だという考えにつながる恐れがあり、その考えは、肉体は高潔であるという考えを凌駕してしまいます。

そして彼女が言うには、その信念は宗教に関係なく、また本人が認識するかどうかに関わらず現代の“より良い”体への探求に組み込まれて来ています。宗教の教えは身体に対するイメージへの唯一の影響ではないとスパングラーは言います。「しかし、わたしは積み重なって来た伝来のものを無視することはできないと思います。」

しかしながら、教会の教義では、肉体は本質的に“精神の枷”であり、支配される必要はないのだと彼女は言います。スパングラーは、教会の服装(長い丈のスカート、開きの少ない襟ぐりなど)やタトゥー、ボディー・ピアス、複数のピアスやセックスについてなどのルールはすべて肉体を支配するものであると主張する人々に反対の意を示します。

これらはつつましさに関してのものであり、恥や、支配ではないのだと彼女は言います。「肉体は贈り物です。そしてつつましさはその贈り物に敬意を表して守られているのです。」

では、もしあなたがあなた自身の体に満足していたら、体重増加や運動についてだらしなくなっていく傾向があるのでしょうか?

「研究結果が示すのは逆説的ではありますが、反対です。宗教をわきにおいて、表に出てき始めているものの一つは、人々がより自身の体に敬意を払うほど、彼らが自身の体をよりよく扱うということです。これらの人々は、健康的な食事をし、ビタミン剤をとったり、シートベルトの着用や運動、そして禁煙などの行動をとる可能性がほかの人々より高いと言えます。彼らは自分たちの体に対してより平安を感じています。そして彼らは体の変化に気を取られることが少ないのです。

 

この記事はElaine Jarvikによって書かれ、deseretnews.comに投稿されました。