合衆国の上院議会は64対32で雇用反差別法を可決し,それが実施されると,雇用者が従業員を性別によって解雇することは不法になります。同性愛結婚がアメリカ人の間で議論の的になっていますが,彼らは同性愛の人たちや同性愛同士で結婚したカップルのために他の権利については意見を一致させています。最近のワシントン・ポストの記事によると,共和党の支持者の60%と民主党支持者の80%がゲイの人やレスビアンのアメリカ人を職業に関しては保護しようとしています。 [1]

その法制化に賛成した上院議員のうち4人は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。この教会は時々はからずもモルモン教会と呼ばれます。イエス・キリスト教会はこのような声明を出しています。「選出された末日聖徒の議員は自分の意志で結論を出し,彼らの間で必ずしも意見が一致していませんし,教会の公式な見解とも必ずしも一致していません。雇用反差別法(ENDA)に関しては,教会は中立を保っています。同性愛同士の結婚については,教会は常に伝統的な結婚を支持する立場にありますが,すべての人は親切にまた理解をもって扱われるべきだと教えています。もしこの件についての教会の立場が変わってきているという者があれば,それは正しくありません。

神の子供たちの永遠の行く末についての神の計画において,男性と女性の間での結婚は中心的な位置を占めます。そのようなものとして,伝統的な結婚は根本的な教義であり,変えることができません。」 [2]

イエス・キリスト教会がゲイの人たちの権利に関する立場を変えているという誤解がありますが,それは真実ではありません。多くの福音派の人たちや他のキリスト教徒は反差別の方針を支持していますが,かといって彼らは同性愛者同士の結婚を認めていません。2つの問題ははっきり別のものなのです。

クリスチャンは結婚を守るために立ちあがる

イエス・キリスト教会の会員を含むクリスチャンは結婚を擁護して立ちあがっています。結婚は神聖な儀式で,厳粛な夫と妻と神との間の契約です。そしてその条件は神自らが制定なさったものです。「家族:世界への宣言」には次のように述べられています。「神がアダムとエバに授けられた最初の戒めは,彼らが夫婦として親になる能力を持つことに関連したものでした。わたしたちは宣言します。すなわち,ふえよ,地に満ちよ,という神の子供たちに対する神の戒めは今なお有効です。またわたしたちは宣言します。生殖の神聖な力は,法律に基づいて結婚した夫婦である男女の間においてのみ用いるべきものです。。。。。家族は神によって定められたものです。男女の間の結婚は,神の永遠の計画に不可欠なものです。子供たちは結婚の絆の中で生を受け,結婚の誓いを完全な誠意をもって尊ぶ父親と母親により育てられる権利を有しています。」

ダリン・H・オークス長老は十二使徒定員会(大管長会と共にイエス・キリスト教会全体を統轄する管理組織)の一員ですが,末日聖徒の見方を次のように説明しています。「人の律法は神が不道徳だと宣言されたことを道徳であるとすることはできません。わたしたちの最優先事項である,神を愛し神に仕えるためには,神の律法を自分たちの行動の基準にしなければなりません。たとえば,わたしたちは,たとえわたしたちが住んでいる州や国の法律によって犯罪とは認められていないとしても,わたしたちは依然として姦淫や私通を行なってはならないという神聖な戒めの拘束を受けています。同じように,法律がいわゆる「同性愛同士の結婚」を合法化したとしても,神の結婚に関する律法,あるいは神の戒めとそれに関するわたしたちの標準は変わりません。わたしたちは神を愛し神の戒めを守るという聖約のもとにあるのです。」[3]

堅固な結婚は家族を結束させ,国家を強める

今は亡きゴードン・B・ヒンクリー大管長はイエス・キリスト教会の預言者でしたが次のように語りました。

「国家はその国の家庭の強さ以上の高さに至ることはできません。国家を開拓したければ,家族から始めなければなりません。親から始めて,彼らが子供たちに前向きでしっかりした原則と価値観を教え,子供たちが価値のある活動にいそしむように向かわせるように教えなければなりません。」 [4]

それに反して,国家を破壊したければ,その基礎である家族を弱めることから始めます。強い家族は強い結婚の上に築かれます。夫と妻は,それぞれが結婚の聖約を完全に貞節をもって守るのです。そして,強い国家はそのような家族の強さの上に築かれます。わたしはこのことを今年自分の家族の中で 経験しました。わたしの祖父は二人とも10年前に亡くなりました。祖母たちは長い病気の間,夫の世話をしました。1人はそれが17年にも及びました。今年,1人の祖母は家を売ってわたしの両親と一緒に住むことにしました。彼女は自分の家に50年間住んでいて,子供,孫,ひ孫と一緒に大きなパーティーを開き,わたしたちすべてがそこにいました。彼女の家族がそこにいて,彼女が梱包して,引っ越すのを助けました。そして彼女の子供たち(全部男性)は彼女が新しい家で,幸せで快適であるように助けました。

わたしのもう1人の祖母は,健康の問題があるため,運転ができなくなり,わたしのおじ夫婦のところに引っ越さなければなりませんでした。その二人は祖父が亡くなるまでの2−3年祖母を助けていたので,彼女は養老院に行く必要がありませんでした。そして,その当時,彼らは祖母がひとりで住めなくなったら自分たちが世話をすると決めていました。これはもっと難しい調整でした。しかし,わたしはわたしの母とその兄弟が愛をもって祖母が独りで住めなくなった事態を助けるのを見てきました。彼らは彼女が愛され,尊重されていると感じられるように,そして必要とされているように感じられるように取りはからいました。祖母の二人とも子孫に自分たちの宝を分かち合いました。そして彼らの宝は自分の愛する者たちで,その子孫はそのお返しに,同じことを行なったのです。

わたしの両方の祖母はこの世の宝だけでなく,永遠に続く遺産である真実と純粋な愛と決意を残してくれました。そしてわたしの両親と彼らの兄弟も同じ模範を彼らの子供たちや孫たちに対して残しています。それが家族の力です。彼らは互いに助け合っています。両親や兄弟だけでなく,世代を通じてそうしています。これが,国家がその構成要素である家族より強くなれない理由です。そしてその家族は夫と妻が結婚するところから始まります。それが,クリスチャンが伝統的な結婚の神聖さを守らなければならない理由です。

同情心を支持して

結婚を支持し,擁護するということは同情心の余地をなくすことを意味しません。それとは逆に,救い主は同情心,親切,互いの愛を教えられました。クリスチャンと福音派の人々は,この教えに従おうとしていて,とりわけ互いの接し方について注意を向けています。ですから,多くの人が同性愛者やレスビアンの人たちの権利をも擁護しています。末日聖徒イエス・キリスト教会はこの声明を出しています。

「教会の関与することの焦点は,特に同性愛同士の結婚とそのことが及ぼす影響です。教会は権利について異論を唱えませんが。。。。。入院,医療,公正な住居,就労の権利,遺言検認権などについてですが,それが家族の尊厳に対する見方に影響を及ぼしたり,教会の憲法で保障される権利,教会が政府の干渉なくその信仰を実践できるという点に影響を及ぼしたりしないという限定のもとに認められるべきです。同性同士の結婚に教会が反対するということは,同性愛の人たちに対する敵意を意味したり支援したりするものではありません。男女間の結婚を擁護することが教会員の愛,親切,すべての人々に対する人道的な態度というクリスチャンとしての義務に影響することはありません。」 [5]

宗教の自由に対する寛容

今日のアメリカにおける非常に波乱を呼んでいる傾向は同性愛に反対する人たちに恥をかかせて黙らせようとする試みです。これは誰にとっても真の自由ではありません。オークス長老は次のように述べています。「絶対的な真理を信じている人々にとって,行為に対する寛容さはコインの両側のよ

うなものです。寛容さと尊敬が1つの側で,真理はいつも反対側にあります。両方を意識せずに寛容さのコインを所有ないし使用することはできません。わたしたちの救い主はこの原則を応用なさいました。姦淫の現場で捕まった女性に対して,寛容さの慰めの言葉をかけられました。「わたしもあなたを罰しない。」それから彼女を去らせようとした時に,真理の戒められる言葉を語りました。「お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。」(ヨハネ8:11)わたしたちは皆,この寛容と真理の両方を語るという模範によって啓発され強められるべきです。語ることに親切であっても真理において不動なものであるということです。 [6]

キリストの弟子に取って,真理なしで寛容を考えることができません。両者は不可分のものです。宗教の自由は考え,信じ,深く信じていることに応じて行動する自由です。それよりいくぶんでも劣るものは真の自由ではありません。人を誤って扱うことにはどのような言い訳もありません。自分の信条のために立ちあがるということは争いや訴訟を招くものであるべきではありません。色々な宗教の人々が同性愛の結婚を容認するか,そうでなければ食事のサービスを提供し,写真を撮るなどのことを拒否することによって復讐や罰を受けなければならないことが一般的になっています。これは本当にアメリカの民主主義の滑稽なところです。自分の信条に対して立ちあがることは決して容易ではありません。そうする人たちに対してわたしたちは称賛すべきです。その逆をする時に,自由の女神のランプは少しずつ光が鈍くなり,誰もが敗北者になってしまいます。オークス長老は次のように語っています。

「真理と寛容のバランスについては故ヒンクリー大管長の言葉に言い表されています。『わたしたちの地域で信仰を異にする人々にも手を差し延べましょう。良い隣人で,親切で,気前よく,そして慈悲深い者になりましょう。地域社会の中でよい目的のために活動することに参加しましょう。道徳的なことについて深刻な問題が絡んでいる状況に置かれることがあるかもしれませんが,わたしたちは原則に関することに妥協することはできません。そのような時でも,意固地にならずに尊敬の念をもって反対の意見を述べることができます。わたしたちはその立場を受け入れられない人の意見であっても,その真剣さを認識することはできます。わたしたちは性格よりは原則について話すことができます。』」 [6]

バランスを見いだす

ENDAのような反差別の政策は性的な傾向に基づいて人々を不正にあるいは不公平に扱うことをなくそうとしています。しかし,それにはバランスがなければなりません。寛容さは両者に与えられなければなりません。ゲイの権利が宗教の自由の陰を薄くするようなものであってはなりません。クリスチャンは同性愛的な生活スタイルや同性同士の結婚について,自分たちの信条を述べることに対して脅迫されたり罰せられたりする恐れなしにいられるようにすべきです。

イエス・キリストの十二使徒であるクウエンティン・L・クック長老は次のように述べています。「公の場ではすべての意見が述べられる必要があるという点をはっきりさせて下さい。宗教的な意見も,世俗的意見も共に沈黙させられるべきではありません。さらに,わたしたちは自分たちの観点が宗教的な原則に基づいているからという理由で,そのようなものとして自動的に受け入れられたり,それだけで優遇されたりするということを期待するべきではありません。しかし,そのような見方や価値観はその利益に基づいて評価される権利があることも明らかです。」 [7]

すべての立場の人が,一緒に力を会わせる時が来ています。それが好ましい,古くからあるアメリカ的な方法です。アメリカは偉大な融合を起こすポットで,そこでは多様な人々がそれぞれの文化,背景,信条の違いが深く存在しているのにも関わらず,平和のうちに共存することを学んできました。それが,アメリカが偉大であるゆえんです。そして,アメリカ人は何が自分たちを本当に特別にしているのかを忘れていません。それは一緒に働く能力です。一緒に働くには共通の基盤を見いださなければならず,その土台の上に築いていくのです。それは意見が同じであることを意味しません。それぞれの信条を尊重しながら仲良くやっていくことに同意しているという意味です。そして,互いの信条を尊重するということには互いに耳を傾け,たとえ意見が一致していなくとも,どのような声や意見も沈黙させることなく対話を続けることが求められます。

記事のタイトル:クリスチャンは雇用反差別法を支持している

著者:リサ・モンテーギュ

この記事はlmontagueによって書かれました。 アイダホの山間にある小さな町に住んで、妻であり4人の美しい子供たちがいます。家族は一緒に、冬はスキーをし、夏はキャンプ、釣り、海岸に行くなどの活動をします。彼女は生まれたときから末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、人生で救い主と福音の祝福があることに感謝しています。