末日聖徒イエス・キリスト教会、しばしば誤ってモルモン教会と呼ばれる、は神が今日語られること断言しています!

私は末日聖徒として、神が世界の人々に一般的なことに関して、また私自身に対しては個別なことについて語りかけることを信じています。神が私に語りかける2つの方法は、神の生ける預言者を通してと、個人的に聖典を研究することを通してです。

神は預言者を通して私たちに語りかける

mormon-Monson預言者は神に召され、神の代弁者としての任務を果たします。そして、世界中の人々に神から与えられた予言、啓示、戒めを伝えます。預言者は人々に悔い改めるように呼びかけます。もう1つの預言者の役割は、人々に神がだれであるかを教え、イエス・キリストの神聖な使命について証しすることです。

神は預言者ジョセフ・スミスに御姿を現された

様々な教派の教えを研究した後、神の戒めに従ってバプテスマを受けたいと望み、ジョセフ・スミスはヤコブ1:5を読みました。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」神が自分の真剣な祈りに答えてくださるという約束に勇気づけられて、森の中でひざまずきどの教会に加わるべきか神に尋ねました。ジョセフは記録しています。

「わたしは自分の真上に、太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そして、その光の柱は次第に降りて来て、光はついにわたしに降り注いだ。(中略)そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くしがたい輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。」(ジョセフ・スミス―歴史1:16−17)

永遠の父なる神とその愛する御子イエス・キリストがジョセフ・スミスに現れたのです!御二方はジョセフにどの教会にも加わらないように命じ、完全な福音は地上にはなく、回復されなければならないと告げました。神は御自身をジョセフ・スミスに現され、ジョセフを預言者に召しました。それからジョセフは他の人たちに神の本当の特徴について教えました。神は骨肉をお持ちの復活された方であり、神とイエス・キリストは別々の御方であり、耳を傾ける人たちにはまだ語りかけられることを教えました。

私が初めてジョセフ・スミスが父なる神と御子イエス・キリストを本当に見たのかについて祈ったことを覚えています。本当に改宗するために彼の記録が真実かどうかを知る必要がありました。わたしは聖霊の静かで平安な確信を感じてそれが真実であると感じ、モルモニズムを完全に自分の生活の土台にするという決意に必要な勇気を得ました。

神は今日も預言者を通して語られる

2013年の4月、トーマス・S・モンソン大管長、地上における今日の神の預言者、は全世界の聴衆に語りかけ、神の戒めに従順であることにより約束された力と知識についての祝福が実現されると話しました。

私たちの身体的な安全を確かなものにする助けになる規則や法律があります。同様に、主は私たちの霊的な安全を確かなものにする助けになる指示や戒めを与えられ、私たちがしばしば危ない事態にも会うこの世での生涯を首尾よく航行し、やがて天の父のもとに戻ることができるように計らわれました。

「私たちが探し求める知識、私たちが懇願する答え、この複雑で流動的な世界のチャレンジに立ち向かうために今日私たちが願う力は、私たちが神の戒めに喜んで従うために私たちに与えられるのです。」(トーマス・S・モンソン、「従順は祝福をもたらす」、総大会報告、2013年4月)

私がモンソン大管長の従順さについての勧告を聞いていたとき、神が優しく私の生活の中でいくつかの領域を改善すべきであると促しているのを感じました。

私は神が預言者を通して語りかけることに感謝しています!

神は聖典を通して私たちに語りかけられる

聖典は神がどのように人とかかわられるかについて記録しています。古代の聖典の内容は時代も文化も私のものとは異なりますが、神の力によって私は神の言葉を自分の生活に応用することができます!ダニエルのように祈ることによってライオンの檻の中に落とされるようなことは多分決してないでしょうが、私はそれでも、自分の標準や信条について私の友人知人に疑問にされたりあざけられたりする時には、やはり勇気が必要です。状況は異なりますが、人生の問題は一般的に性質が似ています。

神の言葉は私に恐れるなと語りかけます

私が聖典のお話の中で気に入っているのは、列王下6章です。シリアの王がイスラエルと戦っていました。預言者エリシャは神の力によって、イスラエルの王に彼の軍隊が救われる重要な情報を与えました。シリアの王はエリシャの予言について学び、軍を派遣して彼を捕まえようとしました。彼らは彼のとどまっている所を見つけ、夜にその町を包囲しました。「神の人の召使いが朝早く起き出て見ると、軍隊が馬と戦車をもって町を囲んでいたので、その若者はエリシャに言った、『ああ、わが主よ、わたしたちはどうしましょうか。』エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者より多いのだから。』そしてエリシャが祈って『主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください』と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。」(2列王6:15−17)

私はこれまで敵に、自分の弱点に、また自分の罪に取り囲まれてきました。何度となくこの驚くべき物語が私の恐れを和らげ、信仰を強めてくれました。「元気を出しなさい。恐れてはならない。主なるわたしはあなたがたとともにおり、あなたがたの傍らに立つからである。」(教義と聖約68:6)

確かに、神の言葉が聖典の中から飛び出して来て、私に語りかける時に、私の確信は強められます。

私にとって最も励ましとなる聖句の1つは、モルモン書の最後の預言者モロナイの言葉です。モロナイは彼の所属していた国民全体がひどい悪事によって自滅するのを目撃し、ほとんど彼の民の全員が殺されました。一連の戦いの後、敵は彼を狩り出そうとしていました。彼がキリストを否定しなかったからです。この恐ろしい状況の中で、モロナイの最後の言葉は、イエス・キリストを通して得られる救いについてでした。モロナイの言葉を読むたびに、聖霊はイエス・キリストに対する希望と信仰を私に満たしてくれます。モロナイはキリストの恵みにより私たちが試練を乗り越えることを証しています。そのことは私にとって驚くほど力強いメッセージです。

「まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全になることができる。(中略)さらにあなたがたは、神の恵みによりキリストによって完全になり、神の力を否定しなければ、神の恵みによりキリストによって聖められる。それはキリストの血が流されたことによるものである。キリストの血が流されたのは、あなたがたの罪の赦しのために御父が聖約されたことによるものであり、それによってあなたがたは染みのない清い者となるのである。さて、わたしはすべての者に別れを告げる。わたしは間もなく行って、神のパラダイスで安息を得る。その後、わたしの霊と体は再び結合する。そして私は勝利を得て(後略)」(モロナイ10:32−34)

私は神が私たちに教会として、また個人として、今日語られることを知っています!生ける預言者の語る言葉に耳を傾け、聖典を読むことによって、神があなたに語りかける言葉を聞くことができます。そしてその言葉は神の戒めに従う勇気を、もし必要であれば、悔い改める勇気を与えてくれます。どうぞ神との関係を強めてください。神はあなたを愛しておられます。そしてあなたが神に信仰をもつとき、あなたに語りかけてくださいます。

この記事はdelisaによって書かれましたが、彼女はJesus Christに3つの投稿をしています。彼女は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、66回引っ越しをしましたが、この美しい地球にまだ飽きていません!彼女は人々、言語、歴史や文化人類学、世界の宗教文化が好きです。彼女の生涯にわたる熱情は宗教的な象徴、とりわけ古代と現代における神でとの関連について研究することです。彼女のご主人のアンソニーと彼女はブルドックのウエリングトンと、冒険、旅行、映画、オートバイ、友だちや家族と過ごす時間が好きです。