みんな違ってみんないい

人生って本当に不公平だなって思うことが、生活の中でありませんか?その中の一つは顔だって思うんです。自分の顔を好きになるって実は難しいんです。人は自然に誰かを見た瞬間に、相手の顔が綺麗かカッコいいかなどと判断してしまう習性があります。それをやめようと思ってもなかなかできません。顔で人の外見を判断することが自分や周りにどんな影響をもたらしているのか、考えてみたことがありますか?決して健康的ではないと思います。

皆が美男美女になりたいだろうけど、映画の登場人物がみーんな美男美女で若かったら、映画はうまく成り立たないですよね。それぞれが違って、独自のキャラクターがあるから成り立つものです。なので、皆が違うから人生が豊かになることは間違いないですよね。

あなたの外見のコンプレックスは何?

自分の顔や体で悩んでいることがある人はいますか?と聞いたら、多くの人が「はい」と言うことでしょう。わたしは幼少の頃から親に似ていると言われ続けました。中学生の頃には、そのようなコメントにかなり敏感になります。似すぎて瓜2つ以上だねって言われたり、教会でも「〇〇さんて、笑うと目がすごく細くなるよね」などと何度も言われ、嫌だったのを覚えています。

学校では異性の先生に似ていると言うことで、その先生のあだ名で数人の男子生徒から勝手に呼ばれ続け、傷ついたことが何度もあります。もちろん、兄弟に外見をからかわれ、悲しい思いをして泣くこともたくさんありました。

さらに辛いのは、鏡を見るたびに、自分の顔を見ては落ち込む日々です。鏡はいろんなところにあって逃げ場がないため、そのような時期は非常に辛いものです。明らかに、誰もが自分の外見に対して悩みがあり、何か嫌な経験をしているものです。それは自分の内なるネガティブな考えか、周りの人に言われたことによって起きるものです。

最大の理解者イエス・キリスト

イエス・キリストは自らを低くされてかいばおけでお生まれになりました。ルカによる福音書4章では、キリストが地元で人々から拒まれ、丘のがけから突き落とされそうになったことが記されてあります。地上での人生の最後には使徒に裏切られ、不当に裁かれ十字架にかけられました。イエス・キリストの人生も不公平だったと言えると思います。

イエス・キリストの外見について聖典には何とかいてあるか読んでみましょう。「……彼​に​は​見目​の​良さ​も​なく、華麗さ​も​ない。わたしたち​が​彼​を​見る​とき​に、彼​を​慕う​よう​な​美しさ​も​彼​に​は​ない。」(モーサヤ書14:2)と聖典には書いてあります。私はこの事実に慰めを見いだすことができます。わたしたちのヒーローでさえ、外見の華麗さがなかったというのです。

救い主であるイエス・キリストは、常に神に近くおられ、この世で偉大な務めがありました。そのため、わたしのようにひどく外見には悩まなかったのだろうと思います。でも、外見に悩む人の気持ちをよく分かってくださるだろうと思うのです。なぜなら、人は自分と似た経験をした人に理解してもらえると、安心したり慰められるものだからです。

復活の1つの事実に落ち込んだわたし

末日聖徒イエス・キリスト教会では、イエス・キリストが復活したので、すべての人が復活するという希望のメッセージを教えています。

「手と足​と​関節​は​ことごとく​その​体​に​回復​される。まことに、髪の​毛​一筋​さえ​も​失われる​こと​なく、すべて​の​もの​が​本来​の​完全​な​造り​に​回復​される。」(アルマ書 40:23)

この約束はすごいもので、とても嬉しいことだと思います。復活後は怪我や病気も無く、安全、健康で平和に過ごせます。健康第一という言葉が来世ではいらなそうです。(笑)

でも、自分の顔にコンプレックスを抱き続けたわたしが、「同じ顔で復活する」ということに気が付いた時、とてもショックを受け、悲しく思ってしまいました。でも、もしも綺麗・ハンサムとして復活できたとしても、周りの人が自分に気が付いてくれなかったら、それはそれでとても寂しいだろうと思います。ですから今は同じ顔で復活するのは大丈夫だと、そう自分に言い聞かせています。

復活した後は、自分の顔についてはきっと気にならなくなるのでしょうね。『わたしに従ってきなさい』では「わたしたちが自分自身にどんな限界を見ようとも、天の御父と御子は、わたしたちの中に栄光に満ちた性質、神のような徳質を認めておられるのです」とあります。

今は理解できなくて質問がいろいろあっても、「主​が​来る​その​日に、主​は​すべて​の​こと​を​明らか​に​する」(教義と聖約101:32)という約束を信じます。今明らかにされていないことについては時間をかけて思いめぐらさずに、「待つ」という選択ができると思います。

また次の聖句にも希望を見出すことができます。

「この世で​は​あなたがた​の​喜び​は​満たされない​が、わたし​に​あって​あなたがた​の​喜び​は​満たされる​から​で​ある。」(教義と聖約101:36)

今不満に思うことがあっても、主によってわたしたちはいつか真の喜びを得ることができます。その日が待ち遠しいですね。

もっと大変な試練が欲しい訳じゃない

世の中には皮膚病で太陽の光を浴びられず、外出できない人もいます。外見のためにモンスター扱いされる人もいます。Ted トークという番組で、ロバートさんが自分が顔を受け入れた経緯を話しました。ロバートさんは生まれる前からおでこに腫瘍がありました。死ぬ可能性が大きいという手術にも臨み、その後も多くの手術を受けました。それでもいじめや沢山の試練に遭いました。

ところがその人は、自分の醜さが自分の顔を受け入れやすくしたと言いました。自分の顔によって受けたすべての愛も痛みも受け入れること、自分の顔にありがたみを感じることを勧めました。この人がそうできるなら、わたしも自分の顔を受け入れたいと思えるようになりました。

もしも美男女として生まれてきていたら、それはそれできっと違う試練を経験することでしょう。もしも自分が既に外見で悩んでいるのに、上記のような試練がやってきたらどうでしょうか?きっととても耐えがたいことでしょう。だからこそ、自分が与えられた外見や物事をありがたく思い、その範囲以内でベストを尽くすことを神はわたしたちに望んでおられると思います。

わたしのある知り合いは、このわたしの顔についての悩みは「贅沢な悩み」だと言います。紛争が無く、避難民でもなく、家があり、家族、親戚、友達がいる。普通の生活ができていてありがたいことではないでしょうか。青少年の頃から抱いてきた顔や外見への悩みが贅沢な悩みだなんて、今まで考えたこともなかったのですが、それに気がつかせてくれた友に感謝したいと思います。考えてみると、わたしたちの日常の多くの悩みは贅沢な悩みばかりなんでしょうね。その事実に気が付いて、充実した暮らしをして、人生を楽しめるといいですよね。

自分の顔を好きになるための解決策

他人が褒めてくれたら素直に受け入れてみよう。
誰かが綺麗だね。カッコいいねって一度でも褒めてくれたらそれはすごく大事です。自分のネガティブな感情や、以前言われた嫌なことで自分を否定しないようにしたいですね。大学時代に「あなたは綺麗だよ」って知らない人が伝えに来たことがあります。そう伝えるべきだっていう印象を受けたそうです。神様は知らない人を遣わしてまで、わたしに「綺麗だ」って伝えたかったみたいなんです。神様は本当に私たちの思いをご存知です。

自分の外見でできることは改善しよう。
顔ヨガ、顔マッサージ、運動、ファッション。上記の例のように「見た目美人・ハンサム」を目指せるように何か心がけていることがありますか?もし何もしていないで悩んでいるなら、何か自分にできそうなことから挑戦してみましょう。

自分の顔に誇りを持つ。
自分の顔は先祖があってのものです。あなたの先祖たちもそれぞれが試練に遭い、それらを乗り越えて、人生のバトンをわたしたちに渡してくれました。わたしたちの顔は先祖の努力の結晶と言ってもよいでしょう。なので、自分の顔にありがたみを感じられるように心がけてはいかがでしょうか?

神の自分への御心を受け入れる。
全知全能の神が人を見て良しとされたのだから、その御心を受け入れようと思うこともできます。「神で​ある​わたし​は、自分​が​造った​すべて​の​もの​を​見た​ところ、見よ、わたし​が​造った​すべて​の​もの​は​非常​に​良かった。」(モーセ書2:31)気が付きましたか?「非常に良かった」と書いてあります。わたしたちは神の自信作だということではないでしょうか?

神様が自分のことを愛しておられるのだから、そのことを自分の自信の基盤にしましょう。そしてありのままの自分をそのまま愛してあげましょう。鏡を見ながら「わたしは神の子で神の自信作です。わたしは神に愛されています」などと、前向きな言葉で日々自分に語り掛けてみましょう。自分の外見を受け入れ、愛せるようお祈りしてみましょう。

内面を磨いて内面で勝負。
外見で悩んでいるなら内面を磨いて、一緒にいる人たちが癒されたり、笑えたり、心地よくなれるキリストのような人を目指しましょう。周りの人はそんなあなたを受け入れ、尊敬してくれることでしょう。

写りが良い自分の写真を飾る。
自分が綺麗・かっこよく写っている写真はありますか?それをフレームして部屋に飾ると、自分のベストを容易に思い返すことができます。その写真を見ると良い気持ちを感じると思います。自分も素敵だという自信や頑張る励みに繋がるでしょう。

自分の顔を好きになる解決策

​まとめ

自分の顔、外見は気になる時も、気にならない時期もあると思います。どうしても気になって落ち込む時は、自分にできることをやって良しとしましょう。ありのままの自分を受け入れて、自信を持って自分らしく輝けるように心がけてみよう。だってわたしたちは神様に愛されている特別な神の子供だから。神の自信作である自分の個性を活かして、自分や周りの人の人生をキリストの弟子として豊かにすることに貢献していきましょう。そうすることで、後悔の無い充実した人生を送ることができるでしょう。