モルモンー神殿で教えるイエス

モルモンー神殿で教えるイエス・キリスト

イエスの現世での務めが成就に近づいたとき、ご自分の神聖について証しされることや悪い怠惰な者を非難することをより大胆になさいました。ユダヤ人の偽善を引用することは新しいことではありませんでした。多くの例では、旧約聖書に記録されているように、神は、選民であるべき人の偽善を非難しておられます。多くの点で、神はユダヤ人が神殿に持ってきた燔祭を拒み、焚かれた香と彼らの本心とはかけ離れていると言われました。ユダヤ人は戒めを守っているように装いましたが、しかし彼らの心は主から離れ、彼らは多くの罪を犯していたのにもかかわらず悔い改めることを拒みました。

ヨハネによる福音書12章1−8節では、マリヤがイエスの足に貴重な高価な香油を注いだのがわかります。これは十字架にはりつけになる5日前のことで、イエスは再び友人とエルサレム近郊のベタニアでマリヤとマルタの家に滞在していました。

「客の頭に油を注ぐことは、その油の質が並そのものであってもその客を敬うしるしであった。そして客の足にも油を塗ることことは並外れて特別に敬うしるしであった。しかし、客の頭と足に高価なナルドの香油を、しかもこのように多量に塗るというのは、王候にもまれにしか与えられない、恭しい敬意の現れを示すことであった。マリヤの行為はまことに熱烈な敬慕の表れであって、崇敬と愛情に満ちあふれた心のほとばしりであった(『キリスト・イエス』、第三版、[1916年]、499)。」

ユダはこの行為を批判し、この高価な香油を売って貧しい人々のために使うことができたと言いました。彼は物質的な事に心が向き、霊的な瞬間を見過ごしてしまったのです。キリストはこの親切な贈り物に慈悲深い受領者としてふるまいました。贈り物を快く受け取ることは、送り主にとって大きな祝福です。わたしたちも神から贈り物を受け取るときは、キリストがマリヤから受け取ったのと同じように受け取るようにするべきです。

勝利の入城

マタイによる福音書21章1−11節には勝利の入城されるキリストが書かれています。イエスの名声はラザロを生き返らせたために先行しました。イエスが街に近づくと、自分の上着を通る道に敷き、ヤシの枝を持って歓迎する群衆に迎えられました。敬意を表すことは通例は王や統治者のみに行われました。これによってゼカリヤの預言(ゼカリヤ9:9)は成就し、イエスが約束されたメシヤであるという事がさらに証明されました[1]。

偽善者

マタイによる福音書22章15−46節では、律法学者とパリサイ人の両方はイエスご自身を不利になるようわなにかけようとしたことが記述されています。彼らはイエスに冒涜させたかったのです。しかし、イエスは永遠にわたしたちすべてを寄せ集める以上により聡明な御方です。律法学者がイエスをわなにかけて冒涜させるか、またはローマに対する反逆罪となる言葉を言わせようとしましたが、イエスは歴史的な「カイザルのものはカイザルに」と答えられました

マタイによる福音書22章23−28節詳述されているように、サドカイ人は復活を信じず、その上イエスを罠にかけようとしました。教義と聖約132章15−16、19節にはイエスの教えが明白にされています。神殿結婚の聖約を交わすことも守ることもしない者は天でも独りのままです。それらの聖を交わし守る者は、結婚は永遠に持続します。結婚は天では行われず、地上でのみ行われます。すでに亡くなった方は、代理人よって地上で神殿結婚を行うことができます。

イエスを罠にかけようとした3度目の試みはマタイによる福音書22章34−36節に見る事ができます。イエスは戒めの中でもっとも大切な2つの戒めは何かと訊かれました。それらは「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ。」また、「自分を愛するようにあなたがたの隣人を愛せよ」です。

「彼は主を心から愛していたので、その人は…持ち物を手放し、主を喜ばせてたたえるためならどのような苦しみも身に受けるか、または行う備えができていた。彼は精神をつくして神を愛し…そのためなら自分の人生をあきらめてこの世の快適さ奪ってでも神をたたえる備えができていました。彼は自分のすべての力をつくして神を愛し、肉体と精神のすべての力を神への奉仕で発揮した。彼は思いをつくして神を愛し、神を知りまた御心を知るためだけに自分自身を当てはめ、すべての物事において神を知り、すべての方法に神の存在を認める(カンファレンスレポートでのハワード・W・ハンター長老、1965年4月、58;または『Improvement Era』1965年6月、512)。」

マタイによる福音書23章でイエスは偽善者を非難しておられる。その時代のユダヤ人指導者たちにはそれがはびこっていました。謙遜なユダヤ人とイスラエルの民は救い主の足もとにひざまずき、犠牲を払って従いました。