以前、モルモン教の会員でない男性が、モルモン書をアフリカーンス語に翻訳したという話を読みました。その男性が翻訳作業をしているときに、英文訳にいくつものおもしろい表現が使われていることに気づきました。特に、わたしたちみんなが知っている「さて、~した。」という表現です。(英語では “And it came to pass.” 日本語訳は「さて, ~した。」)その男性はこのことにとても興味を持ちました。それというのも、彼も言っているように、話し言葉や書き言葉で「And it came to pass.(さて~した。)」という語法を使う英語圏の人など聞いたことがなかったからです。

And it came to pass. さて、~した。

この話を聞いてから聖文を手にしてみたときに、この特有な表現は聖書にも登場していますが、時が経つにつれて使用頻度が減っていることに気づきました。創世記では61%の章でこの語法が使われています。それが旧約聖書全体で見ると、わずか22%まで減ります。そして新約聖書の時代には、たった13%しか使われていないのです。

さらに新約聖書では共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の著者だけが、この表現を用いています。これらの福音書の著者は、へブル人、ローマ人、ギリシャ人たちのために古代の記録を用いて、イエスが約束されたメシア(救世主)であると説きました。

それと同様に、モルモン書全体では63%の章のなかでこの表現が使われていますが、モルモン書の最後の預言者モロナイは、執筆した10章のうち2回しか使っていません。それ以前の預言者に比べて随分使用頻度が低いことが分かります。さらに興味深いことに、ジョセフ・スミスは自分が受けた啓示の中で、一度もその表現を使っていないのです。

神と最初の親の言語とのつながり

わたしはこの情報をもとに、おもしろい仮説を立てました。仮に「And it came to pass.さて、~した。」がアダム語までさかのぼるとします。(アダム語は人類で最初の親の言語です。)

次はこの仮説を試すことでした。ヤレド人の言語が乱されなかったことに着目し、エテル書を研究することにしました。なぜならその書は、与えられている聖典のなかではアダム語に一番近い言語だからです。嬉しいことに、「And it came to pass.さて、~した。」はヤレドの歴史書のなかでは、すべての章に使われていました。エテル書だけでも160回使用されています。これはすべての聖文のなかでは最高頻度になります。平均すると、二節ごとに使われています。 

さらに「And it came to pass.さて、~した。」が聖文のなかで使われているときは、過去の歴史的な出来事を示していることが分かりました。救い主の誕生、生涯、務め、完全な贖いよりも重要な一連の歴史的出来事はあるでしょうか?ルカが主の誕生をこう記しています。「そのころ(日本語訳ではAnd it came to passは省かれている)、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。」(ルカ2:1)

And It Shall Come to Pass.さて、~のようになる。

 この発見のあとで、仲の良い友人であるリー・ネルソンが、故レオノラ・リート教授の書籍を紹介してくれました。リート教授はエール大学の修士課程を修了し、聖ヨハネ大学で英語学を教えました。彼女は「カバラの奥義」「蘇るへブル神秘科学の鍵」という著作の中で、先ほどの言い回し「And it came to pass.さて、~した。」は、神がとくに重要な過去の出来事を示すときに使われていると述べています。

ところがさらにリート教授は、この語法には変形型があると指摘しています。「And it Shall Come to Pass.さて、~になる。 」は、未来の出来事や、最も神聖な神の名である「エホバ」と関連しています。このことを知るやいなや、わたしは聖文を手に取り、この言い回しが157ヶ所あることを見つけました。

どの預言者が「And It Shall Come to Pass.さて、~になる。 」を使っているか調べてみると、預言者は現代や主の再臨について預言していることに気づくでしょう。例えばジョセフ・スミスは「And it came to pass」をまったく使っていませんが、「And It Shall Come to Pass.さて、~になる。」 を広範囲にわたって使用しています。

And It Shall Come to Pass.さて、~になる。」を研究してみると、この表現ををよく使う預言者がいることに気づきました。イザヤ (22回)、エレミヤ (7回)、エゼキエル(4回)、ゼカリヤ (6回)、ニーファイ(23回)、アビナダイ(8回)、イエス(7回)、そしてジョセフ・スミス(25回)です。彼らはわたしたちの時代や再臨について預言しました。主がこの表現を7回用いていることに着目してください。これはとても大切なことだと思います。なぜなら主の数式を研究すれば、数字の7は完璧さ、完全さを現しているからです。ある人はただの偶然と言うかも知れませんが、主はわたしたちを無限に愛してくださるがゆえに、わたしたちの生活や聖文の隅々まで細かい配慮をしてくださることを知っています。この7つの場面を探して読んでみるときに、わたしの言っている意味がお分かりになるでしょう。

And Now It Came to Pass.さて、~すると。

最近になってモルモン書を読み返していたときに、3番目の表現を見つけました。それは現代に関連がある表現です。その心に響いたフレーズとは「And now it came to pass.さて~すると。」です。この表現は他の2つの表現と同じように、主が定義される真理を思い起こさせてくれます。すなわち「真理とは、現在あるとおりの、過去にあったとおりの、また未来にあるとおりの、物事についての知識である。」(教義と聖約9324)この深遠な真理の教義に関連した記述をご覧ください。

And now it came to pass.さて~する。」は現在の事柄に関連している。

And it came to pass.(さて~した。)は過去の事柄に関連している。

And it Shall Come to Pass.さて、~になる。 」は未来に起こる事柄に関連している。

もしこれらの語法がアダム語(世界で一番最初の言語)にさかのぼるとすると、天父の言語、すなわちすべての聖文は、まるで主の足跡のように現在、過去、未来における真理へと導いてくれるのではないでしょうか。モルモン書の第3ニーファイ11章と19章の中で「And now it came to pass. さて、~する。」が2つの重要な場面において使われています。19章においては、ヨハネ17章にある、主の偉大な大祭司の祈りが成就した様子が描かれています。アメリカ大陸の人々が主をお迎えしてから心の清いシオンとなり、互いに一つとなり、主と一つとなっている場面です。これは、今主の再臨を待ち望むわたしたちにはとても大事な教訓です。

標準聖典を調べてみると「And now it came to pass.さて、~する。」は、モルモン書以外には使われていないことが分かりました。この表現は神聖さをもって用いられており、また現在にかかわる真実を研究し学ぶならば、モルモン書は神の賜物と力により翻訳されたことを理解することができるでしょう。

なぜこれらの表現は重要なのでしょうか。

これらの語法は古代と現代の聖文が織りなす雄大なハーモニーを表現しています。「今」+「~する。」という表現は紀元前後を問わず、また東西半球において執筆された書物のなかで使われています。特定の預言者が使っているのではなく、主の確かな足跡を描写するときに用いられています。

モルモン書が翻訳された過程を考慮してみれば、ジョセフ・スミスがわずか数年間の教育を受けただけで、これらすべてを学ぶことは不可能だったと信じることができるでしょう。この3つの表現を通して、神様はすべての聖文の真実性を証されているのです。この語法が偶然に使われているとは考えられませんし、そのように考えることは理にかないません。これらの表現はまるで3人の証人のように、モルモン書が真実の書物であること、またその奇跡のルーツを証しています。

聖文を読むときに、誰がこの語法を使用しているか、そしてどのように使われているか研究するならば、霊感あふれ、胸躍る、神から直接の証を受けるでしょう。この3つの表現を念頭において聖文研究をするならば、救い主の栄光ある再臨により備えることができると信じています。

 

この記事はDavid W Allanによって書かれ、LDSLivingに”The Powerful Book of Mormon Phrase We Always See but Never Think About“の題名で投稿されました。

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